先だっては社会に対して愚痴のような文句を垂れさせていただいた。

とはいえ、これに関しては会社だけの責任とも言えない。

学校で勉強する内容を「こんなものが将来何の役にたつんだ」などと蔑ろにして遊び呆ける学生にも問題はあるだろう。

私自身、彼らの事を決して笑う事が出来ないのが痛い話ではあるが。


さて、本題に入るとしよう。

「学校とは勉強の場である」
授業中に遊んでいる人間がこう叱られていたのをよく覚えている。

確かに学び舎とも呼ばれていたことから間違いなく勉強の場であろう。真面目にやっている人間もいるのだから授業の邪魔をしてはいけない。

では、学ぶとは何を勉強するのだろうか。勉強とは何を学ぶのだろうか。

実際、直接的に役に立つものは少ないように思う。

数学なんて特に見えて来づらいだろう。

しかし、数学は理論的思考を鍛える事で、仕事をする際に非常に役立つものだ。

「こうならないようにこの仕事をやっておいて」と上司から仕事を渡された際に、禁止事項から逆算して幾つかのやり方を見出す。そこから正確かつ可能な限り早く終わらせる道筋を辿る事も可能だろう。

こうやって具体的に一つ例が出ればなるほどと納得もしてもらえる事だろう。

社会だってそうだ。

歴史関係はかつての人々の成功例、失敗例などの教訓が沢山詰まったものである。

どうやって成功したのか、何をして失敗したのか、それを疑似体験出来る貴重な時間だと言えよう。

それを知って、自分がどうなりたいかを確立する事で、社会に羽ばたいてどう生きるかの道筋だって見えるはずだ。

まさに「温故知新」。古きを温め、新しきを知る、である。

残念ながら偉大な人間ほど不条理な最期を遂げていたりするのだが。

地理だって、いざという時に地図を読んだりするための勉強になろう。

いきなり細かい地図を読んでも頭がこんがらがるだけだ。

社会人になって迷子なんて笑えないどころの話ではない。

もっとも、今の世の中スマホやカーナビで簡単に道が分かるため、そこまでして必要かどうかと問われれば答える事が出来ないのだが。

英語に至っては世界共通言語といえばその重要性は容易にりかいできよう。

そして、理科だが、私自身まだ役に立つ所を見つける事が出来ていなかったりする。

私のクラスの理科の担当先生達、スミマセン。


国語?

それはこの文を読んでくださってる皆さんならばもうお判りの事だろう。


と、まあ主要5科目だけ見ても中々に役に立つものだと分かっていただけただろうか。

もしも学生のみなさん方が「おっ」と思ってくれたなら、ぜひ間に合う内にやっておく事をお勧めする。

だが、強制はしない。ハッキリ言ってしまえば他人事であるし、そもそも強制されてやるものではないからだ。

私自身、テストで最低限の点を取る事しか考えていなかった。「真面目、真面目」と揶揄されていたが、大して真面目でもなく、放課後の部活や家でのゲームの事ばかり考えていた。

結果、言われた事しか出来ず、それすらも不器用かつスローペースで期間内に終わらないダメ人間が出来上がってしまった。

皆さんはこうはならないように願っている。

そのためにこんな偉そうな文章を綴っているのだから。