まともに話のできる仲間と語り合った。

もちろんタイでだ。


テーマ1 「継続組 vs キャリア組。」


そぅなんだ、私はかつて転職に長けていた。

日本の社会で生きていくなら、同じ会社で一筋に勤労することが

一番なのは知っている。


なら、なぜそんなに動かなくてはならなかったのか。


なぜなら、日本の社会というものが全くできていない。

少なくとも今の私の所属する業界は20年いや、少なくとも10年は

世界に取り残されている。

これは携帯のシステムでも同じだ。

独自のシステムをつくってしまって、効率よく世の中をまわしている

振りをして全くできていない。

他国から取り残されていってしまっているのだ。

けど、我が国はそんなこと気づいてもいない。

それが私の転職の多さにもなってしまった。


同じ業種の中でも色々な部署があって、あらゆる部署は独立して

しまっているからだ。組織というものが大きくなるほど、その独立は

はなはだしい。

私はその壁を越えたかった。越えるためには転職するしかなかったんだ。


日本では確実性を求められる。だから大きな賭けにでることはない。

独自システムの誕生だ。

私は国のシステムが求めるように、その部署部署で着実な

仕事を遂げ、そしてキャリアアップの為に転職をする。


一方他国では、わざわざ動かなくてもトータルコーディネートで

仕事を任せてもらえる。

これは大きなチャンスとともに、大きな挫折を味わうことにもつながる。

いわゆるアメリカン・ドリームにチャレンジするようなことだ。


私にチャンスが巡る、新しいシステムに挑むという。。。

だが、いざ海外に出てみて、自身に満ちた鼻をへし折られる。

部署ごとの仕事は完璧にこなせるのに、そこに仕事の流れが

つくれない。

頭でそれぞれの部署の流れがわかっていても、うまく仕事に

その完璧な部品を組み立てることができないのだ。

なんとも悔しいことか。

が、その悔しさも吹き飛ばしやることはやった。

自信にもつながった。


いざ日本へ帰ってきた。

業界も会社も花形人気企業トップを飾ると世間ではいうが、私には

なんとも滑稽だ。

自分ができる仕事の一部しか1つの会社にはない。

どの部分を選ぶかで転職さえも余儀なくされてしまうのだ。

その社会で転職をしようとすると、履歴書にはいくつもの経歴を

書かなくてはならない。


これが日本でどういう意味をなすか、、、。

単に仕事が続かない飽き症の性格。

忍耐力のない性格。

いわゆる「ダメ男ダメ娘」の検印をおされるのだ。


他国ではどういう意味をなすか、、、。

経験豊かな経歴の持ち主。

積極的な性格。

いわゆる「キャリア・アップに有効」の検印をおしてくれる。


この判断の基準はとても難しい。

前者の上部はいつも言う。

「CSが上がればESもあがる」

後者の上部はいつも言う。

「ESが上がればCSもあがる」と。


これは日系or外資系を選ぶ人が求めるもの、それぞれの経験値に

関してバック・グラウンドが異なるからだと思う。


日本にいる間は何も疑うことはなかった。

国外へ出てしまった私は人と話をする度に後者に一票

入れてしまうのだ。

なぜなら、終身雇用で保険をつけてしまう存在と(vs)

常にリスクを伴うチャレンジをしつつも、そのリスクをクリアする

達成感と自分の中に秘めた自信を売りにできるという存在は

やっぱり後者をたたえるべきだと思うからなんだ。


現在ヨガ中毒にかかりつつも、熱心に新たなステップの為に

就職活動をはじめている友人がいる。

頭から外資系企業しか念頭に置いていない友人だ。

彼女の経歴を聞いていると、もちろんそぅ選ばなきゃ人間腐っちゃう感と

いうか、ぜひ社会のためにそうしてください!といいたくなるような

自信と功績、そして何より麗しき人柄をを兼ね備えているんだ。


私も頑張らなきゃ。そぅ思った。自分に自信が持てるように。。。


またこういう人もいる。


「すべて給与は交渉制。自分に自信があるから要求する。

それだけの成果を出してるのだから要求する。

自分の職場と仕事ぶりが大好きだから要求する。

地位も給与もアップは求めて当然」


ピノキオ。 の奴だ。また悔しいくらいに晴れ晴れと語る。


もぅすぐ36歳。私もぐずぐずしちゃいられないよ。

いつも私はピノキオ。 を越すことができないでいる。


悔しいよ、いつも奴は忘れた頃に立ちはだかる。