神保悟志さん | いっこく堂オフィシャルブログ「ドゥーチュイムニイ」Powered by Ameba

神保悟志さん

幸せ!ボンビーガール(日本テレビ)


で、ゲストの神保悟志さんに関するコメント出演しました。

なので、神保さんとの想い出を書きます。

…1983年の1月に、無名塾のテストを受けました。

一次試験、二次試験を突破して、


1300人の中から 8人にまで残りました。


その時に、一緒に残ったメンバーに、


今をトキメク役者-神保悟志さんがいました。


三次試験は、三日間ありました。


じっくりと、資質を見てくださいました。


結果、神保さんも私も不合格でした。


正直いうと、ずっと神保さんは合格したと思っていました。

とてもカッコ良く、そしていい役者になるだろうなぁ!と感じさせる人でした。

…まさか不合格だったとは…。

誰が合格したのか今でわかりません。


……

しかし、お互いに

あのとき 落ちたからこそ 今があるのは 間違いありません。


先日、神保さんと33年ぶりに二人で会って


いろいろ話しました。


神保さんも 負け惜しみではなく あのとき
不合格だったから 頑張ってこれたと 言っていました。


人生、目先のことで 一喜一憂しては
いけないことを 体験しました。


…と いいながら あのとき
合格していたら 自分はどんな役者になっていたのか 考えることもあります。


実は、無名塾の
最終面接で、「とても筋がいい」と仲代さんと奥さまの宮崎さんから、ありがたいお言葉を頂きました。


「家から仕送りをやってもらえますか?」とまで聞かれて、無理だと答えたので、不合格はすぐにわかりました。


無名塾は、バイトが出来ないくらい
みっちり 演技の訓練をする所なのです(現在はわかりませんが)。

でも、ご夫妻から「あなたは、どこにいっても 世の中に 名前を覚えてもらえる存在になれますよ」言ってもらいました。


その言葉を胸に 芸能の世界で頑張ってきました。


…そして後に、劇団民芸に、入団しました。
これも倍率は30倍ぐらいありました。


そんなにも役者に拘ってきたのに、何故腹話術?と、思う方も多いでしょう。


…それは、役者として アピールする何かが なければ いけないのではないか!と、高校生の頃に考えて、


特技として「ものまね」を始めたのですが


かなりのめり込んで、沖縄の高校生でありながら、全国放送の素人参加番組などで優勝することもありました。


ものまねをやってから ひとり芸のたのしさを知ってしまったわけです。


…だから、結局、役者として行き詰まったのではなく、ピン芸人の魅力にとりつかれて


腹話術師になったのです。


…劇団の大先輩で
恩人の 昨年お亡くなりになった  米倉斉加年さんからも、


芸人いっこく堂の、推薦文を「役者としてもキラキラ輝くいいものをもっていた」と、米倉さんは書いてくださいました。


…だから、たまに役者だったらどうなってたのか?考えたりするわけです。



とは言え、私は 腹話術師いっこく堂ですから、ご安心ください。