人生の師 米倉斉加年さん | いっこく堂オフィシャルブログ「ドゥーチュイムニイ」Powered by Ameba

人生の師 米倉斉加年さん



米倉斉加年さんがお亡くなりになりました。


役者、演出家、画家、絵本作家、数々の才能をお持ちの方でした。


劇団民芸の大先輩であった米倉さんは、芸人としての僕を支えてくれた恩人であり、師匠でもあります。


…1991年9月…

当時の僕は役者として行き詰まっていました。

「このまま劇団で、役者としての未来はあるのだろうか?」

28歳の僕は悩んでいました。


そんな気持ちの煮え切らない中、米倉さん演出の劇団の芝居「エマ」で、信州 松本を訪れていました。


ホテル滞在が多い中、珍しく旅館での宿泊だったので、米倉さんの提案で「余興大会」をやろう!


ということになり、皆それぞれにペアや、トリオを組んでコントなどを披露していました。


…僕は組む相手もなく、一人で「物まね」をやりました。しかも、その物まねのレパートリーの中には米倉さんも入れてしまったのです。


終わってから米倉さんが


「お前がやるおれの物まねはちっとも似てないじゃないか」


「でも、面白かったから優勝」と言って米倉さんから金一封を頂いたのです。


その後、「君は芝居をやっている時より、一人で芸をやっている時の方が生き生きしているね」と。


その気になった僕は「明日からネタ作りますから、見てください」と、お願いして、


その翌日から、一人芸の基本である「漫談」を見てもらったのです。


毎日、沖縄訛りの漫談をやったのですが、


「面白くない」


「面白くない」と、言われ続けました。


舞台の仕込み(大道具の立て込み)を終えて、幕が上がるまでの貴重な時間に、押し掛けたのですが、


快くアドバイスもしてくれました。


…3ヵ月ほどの旅公演も終わり、真剣に一人芸の道に行こうと決心した僕は、1991年の暮れに


「来年から、劇団を離れて一人芸をやってみたいのですが…」と、米倉さんに相談しました。


大半の劇団員の方は「劇団にいる人間が何故そんなことをするんだ」…「本末転倒。訳がわからない」と、当然ながら批判的でした。


しかし、米倉さんは、


「悪いことを始めるわけじゃない。だから、やってみなさい。やるんだったら、一生懸命やりなさい」と、肩を押してくれたのです。


1992年から、独学で腹話術をやり始めました。


定期的に腹話術をやっているビデオを送り見ていただきました。




…その後も、いっこく堂を推薦する文章をお願いしたら、米倉さんは「いっこく堂は魂の芸人である。面白さだけを目指した芸人ではない。…見ている人を勇気づける魂の芸人である。」


と、いう主旨の文章を書いてくださいました。


まだまだその推薦文の域には程遠いですが、



いつかその言葉に恥じないような芸人(腹話術師)になりたいと思います。



米倉さん、ありがとうございました。


これからも僕の心の支えです。