聞かないと気付けない殺生。

当たり前になっている殺生。

 

辛いから考えたくない。

 

考えないから

それに対して懺悔することはない。

 

懺悔の心を養わないと

滅罪などできない。

 

懺悔滅罪は仏教の入口です。

 

仏に成る教え(仏教)というなら、

他の生き物に対しても優しい心を

持てるように、殺生に向き合う時間も

時には必要なのです。

 

 

【Yさん】

 

ご住職さま

 

こんにちは。

 

本日仏教塾に参加させていただきました。

 

ありがとうございました。

 

ここのところすぐイライラしたり

腹が立ってしまいしんどい状態でした。

 

 

でも仏教塾の前日からここ最近にない

穏やかな気持ちで過ごすことができ、

この気持ちを忘れたくないなぁ

と思っていました。

 

 

そして仏教塾でのお話、私は極悪人でした。

 

口に出さなくても心で思えば同じ。

 

でも人間だからこそコントロールして

努力して良くしていこうとできる。

 

 

日々全ての場面がやはり修行だなと感じました。

 

 

さらに不殺生のお話。

 

車、水まき、ハッとしました。

 

 

生きているだけで自分で

自分の菌とかも殺生していますよね。

 

ご住職の、本当につらい、つらかった

という気持ちが伝わってきて心に響きました。

 

 

全てのものにとって命は等しい。

 

優しい人でありたいと思いました。

 

 

仏教塾に参加するたび、

頭では理解できたと思っていても

実践の難しさを感じます。

 

 

でもまた今日から前進後進しながら

少しずつでも自分の心をよくしていけるよう

がんばってみようと思います。

 

 

ご縁に感謝いたします。

 

ありがとうございました。

 

 

 

【Gさん】

 

昨日の仏教塾で伺った不殺生のお話しは、

仏様の慈悲の心の話にも聞こえ、

また自分の凍った心を溶かす

光のように感じました。

 

 

不殺生を心にしながらも、

知らぬ間に足下に虫を踏み、

日常生活で自然を汚していること、

他の生き物の命を頂き

己れの命を繋いでいること、

 

またご先祖様方や、

自分の今世過去世の行いを想うと、

罪深い今の自分に思い至ります。

 

 

話を伺うなか、仏様の穏やかで

全てに公平な優しさに触れて、

未熟なため今回の不殺生の

お話しの視点での仏法も自分に落とし込み

生活していけますようにと願いました。

 

それと同時に気が遠くなるような

感謝と懺悔とご供養が必要だと、

今の私は思います。

 

 

仏縁をいただき、

手を合わさせていただけるご縁、

懺悔させていただけるご縁、

感謝させていただけるご縁、

 

そして、滅多にない貴重な

ご供養のご縁についても、

更に感謝いたします。

 

本当に本当に有難うございます。

 

そのようななか、仏教塾の後、

家に帰りFacebookを見て、

ご住職さまのご指摘に、

自分の甘えた心を知り衝撃を受けました。

 

 

自分の戦うべき相手は自分。

心を見直せば、甘え、言い訳、恐れ、

気づいても出来ていないこと、

気づけないこと等があり、

出来ていないとわかっているなら

解消に向けて動くという、

本当に当たり前のことが

自分に負けて出来ていませんでした。

 

 

精進の意味を問われる、

ご指摘いただけましたこと

有難く感謝いたします。

 

懺悔し、心入れ替えていきます。

 

 

 

 

 

金剛山 一光寺

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