今月の仏教塾では不殺生について

お話をしました。

 

不殺生と真剣に向き合えば、

仏教徒でなくともかなり辛くなる

内容だと思います。

 

なので見ないようにする。

 

考えないようにする。

 

仕方がない。

 

それでは仏道修行にはなりません。

 

どのように向き合ったらいいのか?

 

「お釈迦様だって殺生してたはずだ。

歩いただけでも虫を殺しただろう。

水を流しただけでも小さな虫は死ぬ。

寝返りをうっているうちに小さな虫は死ぬ。

畑を耕せば土壌の生物は死んでいく。

 

自殺、他殺、随喜同業。

 

む、無理だ・・・。

生きる為には仕方がないんだ。

だから考えないようにしよう」

 

真剣に仏道修行を歩むものなら

必ず通る道でしょう。

 

話している私自信も

辛い内容なのですが、

大切なことなので仏教徒であれば

避けては通れないのですな。

 

なので今回は不殺生に焦点を当てて

お話させて頂きました。

 

参加していた小学四年生の子が、

 

「色々と考えさせられた」

 

と話をされていたようですびっくり

 

そんな仏教塾に参加された皆さんから

感想のメッセージを頂いているので、

少しだけご紹介しておきます。

 

 

【Kさん】

 

タイムリーな事に最近不殺生について

意識が向き考えておりました。

 

 

以前、facebookにて仏教塾に

参加された方の御感想の中に

蓮華院に蚊がいて殺生しそうになり

得度者様に殺生はいけないと

教えていただいたとの記述を目にしてから、

 

家の中にでた虫などを何も考えず殺生してる

自分の感覚に違和感を覚え始めました。

 

 

人間が1番偉い事などない、

お釈迦様ならどう思われるか?

 

 

生きとし生ける全てのものを平等に考え

慈悲の心を持たれるだろうと思った時に

無闇に殺生をしている

自分は仏教徒として相応しくない、

心と行動を改めなければと考えておりました。

 

 

本日、御住職様から不殺生について

教えていただき多くの命をいただき

生かしていただいている

自分を知る事ができました。

 

 

全くの不殺生をせず生きるのは難しいが

知らず知らずの内にも不殺生をしている事実を知り

それが罪だと認識し懺悔の心を持つ事が

大事なのだと教えていただきました。

 

 

有難うございます。

 

 

一つの食べ物をとっても沢山の命や人々が

関係している自分の所に辿り着くまで

どれほどの大変な道のりがあるか、

 

普段その様な事を意識して

食事を摂る事はありませんでした。

 

 

以前、仏教塾であるお坊様が紙を見た時に

森を想像できる人になりなさいと

おっしゃったとお聞きしました。

 

日々、想像を巡らせ感謝や懺悔、

反省をし己がいかに恵まれた環境の中

生かされているか忘れぬ様に

俗世の人間ではなく仏法を軸にした

仏教徒として過ごしたいと思います。


 

本日は大変有難い学びをいただき

有難うございました。

 

 

仏教塾の準備等をしてくださる皆様も

いつも有難うございます。

 

またご縁をいただける様頑張ります。

 

 

 

 

 

 

 

金剛山 一光寺

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