「劇団Nのこと。」
僕とキンダースペースの数人は、キンダースペースの他にもう一つ劇団活動を行っている。
「劇団N」という。「N」はNGのNではなく、能登、七尾市、中島、のN。
石川県能登半島を左手で作ると、親指の第一関節に七尾市があって、その中心部から七尾湾にそって北西に車で30分。中島町にある能登演劇堂を拠点に毎年オリジナル作品の公演を行っている。
劇団員は、30名ほど。
演劇堂を運営する「(公財)演劇のまち振興事業団」が制作面での責任を負っている。
演劇の街、七尾市中島の唯一の市民劇団。
今年で創立22周年。
15周年記念公演では一般公募も含め50人ほどの出演者でミュージカル「能登の狸御殿~輝く月の夜に~」も行った。
この、「N」の存在と継続には、僕らにとって、そして演劇そのものにとって大きな意味がある。と、少なくとも僕はそう思っている。
キンダースペースは、プロフェッショナルな演劇の創作の場を自称している。
劇団は法人であり、公演チケットも販売し、賛助会、友の会からは会費を徴収し、助成金も申請し、台本、DVDも販売。数種類のワークショップなどは有料で参加者を募っている。今の所、経費が売り上げの100%以上を占め、スタッフ(劇団員)の人件費もままならない。しかも劇団員は決して安くはない劇団費の負担もある。が、いつか顧客、観客が20倍増し、潤沢なるギャラを支払い、税金対策が必要な社内留保を持つことにおいて決してやぶさかではない。同時に、劇団員がとても魅力ある俳優として舞台で輝き、キンダーを足場に商業演劇、TV、映画、動画の世界で巨万の富を稼ぐようになったとしても、やぶさかではない。
もちろん、これらの経済活動の基盤となるものはすべて、私たちが主観的に考える「素晴らしい芝居」と、その方法においてなされるということが大前提である。その一方で、これが市場原理において試される、ということも、受け入れているということだ。
一方で劇団Nにおいては、もちろんここからスターが出て巨万の富を稼ぐようになったとしても何の遺憾の思いはない。が、おそらくそんなことは誰も考えていない。そしてまた劇団Nが入場収入によって黒字経営となり、ギャラの配分でもめたりするようなことが起きる、という危惧も誰も抱いていない。
つまり、ここには「演劇」そのものがあって、それを維持するべく、劇団と劇団員、財団が支えているということだ。
念のため言い添えると、「N」は、参加者に「演劇」の「楽しさ」を体験してもらう、というレベルの劇団ではない。だったら20年もやらない。一回で十分だ。Nの演劇堂公演は、キンダースペースと同様に「素晴らしい芝居」を創作し、観客に「感動」を伝えられるものでなければ、やる意味も必要もないという前提で、稽古に臨んでいる。
だから、劇団員は決して「楽しく」ない。
メンバーによっては一日の仕事が終わり、疲れた体を引きずって稽古場に来て、待ち構えていた演出家に覇気がないと怒られる。科白に迷うと出直してこいと怒鳴られる。なんでこんな思いをしなくてはいけないの? と、思わないはずがない。
もちろん、これまでの22年間、辞めていくものも沢山いた。しかし戻ってくる者は戻ってきて、またやりたいと言う。意外なことには不器用で自分の手足もうまく操れない者ほどその傾向が強い。軽やかに演技して、「こいつ上手いな」と思うような奴は意外とさっさと辞めていく。
その理由もわからないでもない。
「上手い」奴は「上手い」ことが演者の価値だと思っている。観客にも「上手い」と言われたい。「上手い」演者が一杯集まって演ずるのがいい芝居だと思っている。Nにはあまりいない。それに、自分以外は「上手く」なる向上心にも欠けているように見える。だから、そのうち嫌になって辞めていく。
もちろん「上手い」のが悪いわけではない。「向上心」も必要だ。悪いのは「上手い」ことに自足することである。物語に描かれ、我々に感動を引き起こす登場人物は、大抵、自分の無力に打ちひしがれているような人間だ。それが必死になって居場所を探す姿に我々の心は動く。能力のある奴、又はあると自分で思っている奴が軽やかに目的を果たす姿には、どうも感心しない。
しかしそうは言っても、毎度の稽古で尾花打ち枯らし、自分のダメさばかりと向き合っていたのでは、いい加減やりきれなくなってくる。
が、それが救われる一瞬がある。
それは、もしかしたら観客は「上手い」か「下手か」で芝居を見ているのではなく、舞台が「良かった」か「そうでもなかった」か、で見ていて、「下手」でも「良い」場合があり、それは時として「上手く」て「良い」よりも「深い」場合があるということが、客席から感じられる瞬間である。
もちろん、この喜びは、多くの場合幻想にすぎない。
観客だって、よほど育ってもらわないとそこまで見る目は持てない。
だからこれは、大抵の場合演者自身の中にある幻想だ。
しかし、この幻想を自覚して、この幻想を実感すべき一瞬に向かう覚悟ができた時、私たちは、プロもアマも「演劇」そのものを生きることが可能になる。
僕が「Nの皆さんから学ぶことは多いのです」というと、劇団Nの代表の酒井先生(昨年退職されたが、高校の国語の教師をしておられた。それで僕らはみんな酒井先生と呼ぶ)は、たいてい「いやいや」とおっしゃるが、その「学ぶこと」の一つは、こういうことです。