わたしの母親は 美人でした本当にきれいな人だった
安心してください わたしは父似です笑
バリバリに働いている輝いてる人だったけど
家事は苦手だったと思う
普通に家に帰ったらいるお母さんではなかった
64歳の時 くも膜下で突然倒れた
1日にして生活が変わった
姉は持病があり実家にいた
母の介護は父が献身的にしていた
私も出来ることは手伝いに実家に帰ったりしてたけど
子供がまだ小さかったので自分の生活の方を優先してた
母が72歳の時 父が急死した
その2年後に姉も他界した
喪主は2回とも私で母は式には主席していない
私がまだ30代の話でこの頃は本当に大変だった
母を施設に入れたことを周りの親戚は
可哀想だと言った
薄情な娘と言った
胸が痛かったけど
施設に入れた
そこから20年くらい施設で生活していた母
だんだん痴呆も入って来て娘を思い出すのも時間がかかったり
最後の頃はコロナ禍でほとんど会えず
体が弱ってきた頃は
救急車で運ばれたり
退院したりの付き添いは家族しか許されなかったので
一緒にいれる幸せな時間だった
不謹慎な言い方かな
時間制限はあったけど
最後の頃に会った母はなんだか本当に可愛かった
子供が出来てからは子供目線で ばあちゃんって呼んでたね
生きていてくれてるだけでそれだけで頑張れたのだけど
そろそろパパとお姉ちゃんが迎えに来たね
最後に
ママ 今までありがとう
至らぬ娘でごめんね
大好きでした
文字にすると恥ずかしいけどここに残しておきます