人生の転機にいた巨星
それまでの養成所の講師は、日舞講師に林一夫さんがいらっしゃったけど、演技のレッスンはテアトルエコーではない方々に教わっていた。
2年間のテアトルエコー養成所を卒業して合格すると劇団(&事務所)に上がる。
自分自身は、そもそも演出家志望であったため、養成所を卒業したら自分で劇団を作ったり、好きな小劇団に入団しようとすら思っていた。
養成所も最後の頃。
卒業公演の演出が、劇団の俳優さんの手によって上演されることになった。
テアトルエコーも新しいビルとなり、まだ杮落しも済んでいないエコー劇場を、使い勝手もみるために、養成所の卒業公演を、エコー劇場のプレ公演としたのだ。(※当時は劇団内で、養成所公演を最初にするのはどうかと、総会で議題に上がったという)
太宰治『かちかち山』『瘤取り』
熊倉一雄さんが、今も養成所の生徒に演出を付ける題材だ。
養成所のみんなと熊倉一雄さんに初めて稽古場でお会いした時は、自分は衝撃だった。
中学生の頃に、初めてきちんとした演劇に触れたのが「11匹のねこ」。テアトルエコーの公演の作品だ。高校演劇をはじめ、2年生の時にまた公演したのも「11匹のねこ」。その主役で演出である熊倉一雄さんが目の前にいる。
熊倉さんの体から出てくる『声』を聞いた瞬間。
「なんだ!この音は?!?この声は!!!???」
と、衝撃を受けた。
身体に響く!
心に響く!
自分もまだ19歳。
本当のプロフェッショナルの、それもカリスマの声を聴いて。
速攻で虜になる。
自分は、その語り部役。太宰治の役を与えていただいた。
完全に熊倉さんをパクるつもりで、吸収しよう吸収しようと稽古に臨んだ。
喋り方も動きも、自分が出来る限り、もう本当にリスペクト・オブ・ザ・リスペクトでやった。
そして、まだ誰も演じていないエコー劇場で
太宰治として、作品のスタートを切らせていただく。
テアトルエコーから合格を頂いても、自分はどこか別の小劇団に入るんだ。
それこそ、大好きだった劇団LIVE BEER(BOOMERや、今やネルケプランニングの社長の松田誠さんが俳優として所属していた面白い劇団)に入れて貰うために頑張ろう!みたいな気持ちだった。
しかし、もう。
熊倉一雄さんにお会いしてからは、テアトルエコーだ!
それでいいんだ!って思った。
あの時、すでに熊倉さんは60歳くらいだったんだな。
年齢とかよくわからなかった。
テアトルエコーには怪物のような、ものすごい役者がうごめいていた。
その親分は本当にすごかった。何喋っても面白い。
滝口順平さんすら、「今度、熊ちゃんのモノマネするから」と、あの語り口になったと聞いた。
いやー。
ほんと、大好き。
熊倉さんのおかげで、いまの自分がいる。
テアトルエコーの本公演で共演させていただいた。
本当に素晴らしい俳優だと目の前で痛感した。
こんなん、他に出来る人いるのか?と。
昨年末に納会でお会いしたとき、体調をみつつ。
ぶっちゃけ、厳しい状況にあるのだな。いつその日が来てもおかしくないだろうと覚悟はしていた。
今年夏に、熊倉さんが主演のオーディオドラマで共演させてもらった。
自分はとても熊倉さんとライバルになる素敵なメインの役をいただいた。
そしてその時、自分はそれが最後の共演になるんだろうなとうっすら感じていた。だから、収録の時、とっても熊倉さんの声を聞きながら、ちょっと役とは別の気持ちで、切ない気持ちにもなっていた。
その作品は、いつ世に出るのかな。
またもう一度聞きたい。声の現場でご一緒できたことが誇りだ。
なんだか、
心にずっといるから、
亡くなった事に実感がわかない。