漫画界の重鎮のあれこれの話 | IKKANのオフィシャルブログ「IKKANのKAIJIN MANIA」Powered by Ameba

漫画界の重鎮のあれこれの話



小学校4年生の頃。
週刊少年ジャンプの漫画にはまって、
漫画家になりたくなった。

近所のラーメン屋さんで読んだ漫画のおかげで漫画にはまった。
『ドクロ坊主』とか、すごい印象に残っている。
『おれは鉄兵』のコミックスをラーメン屋で読み続けてはまった。

週刊少年ジャンプ。月刊少年ジャンプ。
『リングにかけろ』の阿修羅編を読んで、ジャンプにめっちゃはまった。
『サーキットの狼』
『すすめ!パイレーツ』
『コブラ』
『こちら葛飾区亀有公園前派出所』
そして、平松伸二先生の『ブラックエンジェルズ』

いろんな先生の絵柄に影響を受けて、ものまねして書いたなあ。
小学校の授業中もずーっと鉛筆で漫画を描いていた。
らくがき帳にずーっと書いていた。
友達と漫画雑誌と称して本を作ったりした。
友達の漫画は絵は下手だったけど、内容が面白かった。
俺は内容が思いつかなかったので、とにかく絵を上手に描き続けるということだけをやった。

画用紙を買ってきて、トーンも買って、鳥山明先生がGペンというのを使うと聞いてGペンも買った。

応募して大賞を取れば100万円!
めっちゃやる気出して書いたら
画用紙がにじんだ。
何度書いてもにじむので挫折したw

あとで考えたら、原稿用紙は画用紙じゃない方が良かったみたいだ。
でも、応募規定には画用紙って書いてあったから、挫折したw


ストーリー漫画31pを書きたい。
しかし、我ながらまったく内容が無い。
すっげえ自分が読むためだけの『ボクシング君』という漫画を連載したけど。
まあこれが、内容がうっすいのなんのって。


あんな長い話、漫画家さんってよくかけるもんだなと。



でもって

昨日のロフトプラスワンにおける
スタジオゼロ物語







藤子不二雄Aさんのお話。
鈴木伸一さんのお話。
石津嵐さんのお話。
山田ゴロさんのお話。

俺は藤子A先生の『まんが道』は読んでいるので、だいたい知っている内容だったけど、他人の客観意見が入ると、そのときのアレって本当はこうだった。みたいなことが他の方々から聞けて、とってもとっても興味津々でした。
A先生、話が止まらない止まらない。



めっちゃ貴重なお話でした。


んで、石津嵐さん!
テアトルエコーのことを知る人ぞ知る、
例の父上です。
顔似てるしw

嵐さんは、昔っから手塚漫画に登場しているキャラなので
おおって思ってましたが、

関係者席でほぼ近くの席にいらっしゃったときに、すぐにわかりました!

小説版の宇宙戦艦ヤマトを書いているって情報は知らなかった。
同僚のお父さんってイメージだったから。

とにかくSFな人であると噂は聞いてて。
石森プロの関係者の方々と、お話しさせて頂いて
のんべえであることは分かりました。


虫プロでの仕事内容もわかり、
嵐さんってそういう人だったんだって認識しました。
俺の頭の中で、友達のお父さんから、クリエイターになりました。






そばには
仮面ライダーシリーズのキャラクターデザインをやっている、石森プロのすごい作家さん。早瀬マサトさん。
そして、イラストレーターの工藤稜さんとか、石森系の大御所ばかり。
関係者席には重鎮ばかり。
ひゃあ。









そんなんで

藤子不二雄Aさんと、鈴木伸一さんにご挨拶。
鈴木さんは杉並アニメーションミュージアムの館長ですから。

A先生は、以前、『東村アキコの工作員の集い』というトークライブをロフトプラスワンでやったときにゲストで出て頂きました。ありがとうございました。




この写真の右側に写っていないですが、西原理恵子さん。
特に用事がなかったのですが、画力対決は好きでご挨拶させて頂きました。

「東村アキコに子供を作らせてくれて、本当に有り難う!漫画界を代表してお礼を言わせてください。」

と、目の奥がギラリとした毒のある表情は、
さすがのキャラクターでした。




ごっちゃん元気かな。




したっけ!