『リーゼント総理 作者脳①』 | IKKANのオフィシャルブログ「IKKANのKAIJIN MANIA」Powered by Ameba

『リーゼント総理 作者脳①』

『リーゼント総理 作者脳①』

2011年5月の怪傑パンダース稽古EXTRA公演。
『バンク・バン・レッスン』の稽古も、本番間近にして大詰めの頃。
当日パンフレットに「次回作の公演名を、なんでもいいから、仮でもいいから考えなければいけない」と、プロデューサーが制作のYくんに相談していたという。

その話をYくんに聞いて、適当に決められたら困る。
慌てて、その場で思いつきで考えたのが『リーゼント総理』

とくに、ストーリーのプランがあった訳ではなかった。
けど、思いつきは思いつき。

当時やはり、東日本大震災のニュースを毎日の様に見ていて、特に、その後の原発に関する対処が不安をあおり立てている毎日。
総理大臣や官房長官の話題。この甚大な被害に、責任のなすりつけ合い。



高校3年の時(1988年)、北海道に泊原発が出来るという地域の話題があった。
俺の高校演劇部で創作したのが原発反対の芝居『ウメ星にゃあ』。
地球が梅干しのように枯れていくということをタイトルに取り入れ。
コミカルな要素も入れつつ、社会風刺した作品。

大地震が日本を襲い、原発の事故で、地球が枯れていく。
そんな話。
ハッピーエンドもなく、
若い自分はただただメッセージ。

「この地球を汚す権利は、あなた達には無い……!」

滅亡する地球。
原発のそばで息絶える俺。
原子力発電所の傍に咲く、ムラサキツユクサの精が嘆いた。
ムラサキツユクサは放射能に反応し、ピンクに変わるという。

当時の原子力安全委員会や政治家に向けたメッセージでその芝居は終わる。



当時はもう、学生運動じゃないか?というくらいに、社会に対してのメッセージを入れたがる時期で、自作の原発反対ソングを作ってはギターを弾きながら歌っていた。

高校演劇の高文連の大会で上演したその作品は、台本を高文連に提出した段階で話題となったみたいで、北海道新聞にでかでかと写真が載せられた。

北海道新聞の若い記者がやってきて、高校生の俺に取材をする。
『高校生が原発反対の芝居を作る』
という、時事としてのキャッチーな部分での取材なのだろう。

しかし、北海道新聞は当時、原発推進寄り。

俺は、高校生のくせにその若い記者に対して、
「どうせ、僕らの取材をしたところで、北海道新聞は原発賛成派じゃないですか!」
と、かみついた。

しかし、その若い記者は俺の発言に熱くなりながらこう答えた。

「北海道新聞の中にも、原発賛成じゃない人間はいるんです!」

そして、俺たちの作品の写真は新聞の半分くらいを占める大きさで載せられていた。



泊原発は作られた。



その電力に恩恵を受けていたバブルの頃。
俺は現実を眺めるだけの一市民だ。



震災で原発事故を目の当たりにした時。
「そりゃそうだ。」
そう思った。

あの頃、原発反対芝居を二本作って、その二本にあったエピソードがそのままそこにはあった。

そして、その傷跡は、
高校時代の俺には想像できないくらいの悲しい事件とリアル、
テレビの向こう側にはそれがあった。



俺は、何も出来ずに黙っているしかなかった。
起きてしまったリアルはもう取り返しが付かない。
3月に行ったライブでは、お客様からいただいた入場料をすべて募金という形で日本赤十字社に送る。

俺がやったことはそれだけだ。
北海道で使っていない実家を、誰かに差し上げよう。そんなことも考えている。

しかし、それだけだ。
俺に出来る事は、怯えながら、遠くから応援するというそんな形しかないのだ。




リーゼント総理。
そんなもやもやした思いの中、おぼろげに俺の頭の中に芽生え始める。




オープニング主題歌は、その俺の歯がゆい自分に向かって叫んだ詞である。



『俺は空に向かって叫ぶ稲妻』
作詞/IKKAN 作曲・編曲/濱湊かつき

この風を切り裂いて行け
流された希望、夢、甘い未来

海の向こうに絶望の楔を打ち付けた
沈みゆく枯れた町、冷えた太陽

暗闇を照らし出す額縁の
点滅、シグナルに怯え続けた

俺はただ手を拱いて
猿どもに反吐を吐き、唾を飲む狡い狸だ

押し殺すように everyday
oh 死んでるみたいに過ごして
現実から目を背けて閉じ籠もる傷の中

上等じゃんか
この世界中の罪と罰を背負え全て
吠えろ、呻れ
俺は空に向かって叫ぶ稲妻