この時期、日の出のちょっと前から犬の散歩に出る。


今日は昨日書いたコロナ治療費の公費負担の書類をついでにポストに投函しようと持って出た。


太陽が顔を出す寸前、白々と明るくなった頃、郵便局前のポストに封筒を投函。


そのとき突然、スイッチが入ってしまった。


切っていた感情のスイッチ。


やはり母との別れが近いと思うと悲しい。


父の時は1人で看取らねばと、気負っていたせいか看取りの時は無我夢中で感情を意図的に切り離す必要もなかった。


だが今回は違う。


父を見送った後、母を1人で看取ることはできない。と、確信した。

なので今回は施設のヘルパーさん達とみようと思う。どちらかというと、ヘルパーさん主体でお願いしたいと思っている。


過去に母とは確執を抱えて、期間は一年ほどだが電話一本入れずにこのまま、親子の縁を切ってもいいとさえ思ったことがある。そこに至るまでは帰省すれば最後は諍い、電話をすれば言い争いで必ず終わるような状態だった。


以前にも書いたが、母は自分の感情に左右され、ある意味それを素直に人にぶつけてしまう。だがこちらも感情はあるので喧嘩になる。


こんな母親になりたくない。と、私は母を反面教師にしよう。と、思った。

なんでもないことで激昂する母の血を引いているのではないかと、自分自身を恐れた。でも、田舎には母だけではない。母の機嫌を伺いながらの父もいる。

一生懸命育ててくれた恩もある。いくら私が嫌っても、いくら母から性格が合わない娘だと言われても子供として愛し、全力を尽くして育ててもらったのは事実である。

なので母の罵詈雑言を浴びながら無沙汰を詫び私の方から関係を修復した。


それからしばらくして離れて暮らす両親がいつのまにか私を守っていた親という立場から私が面倒を見るべき老父母となった。


認知症もかなり進んだ母を見るとなぜあれほどまでに母を嫌っていたのか自分でもわからない。


ポストの底にコタンと封書が当たる音を聞いて、そんなことを思い出した。


悲しい。

やっぱり母と別れるのは悲しい。

できればずっといい関係でいたかった。

友人のように親元に孫を連れて帰るのを楽しみにできたらよかった。

出来なかった理由はいくつもあるが、そんなことで母との関係を避けているべきではなかった。


後戻りはできない。




明日は母の入院している病院に行って、母の奪還交渉をしてきます。


頑張ります。頑張れよ。