義父は昏睡状態ながらも持ちこたえてくれていました。
実は義父が死線をさまよっている間に
夫は普段自分が処理したことのない家事のトラブルも起きて、
てんてこ舞いしていたのです。(ちょっとザマーカンカン😜)
その一つ目が犬の看病。
義父の事で掛かり切りになるので犬を動物病院に預けたり、
長時間、自宅に独りぼっちでおきざりにしたら、
甘えん坊ワンチャンは水様便になってしまい、動物病院に連れて行ったり、薬を飲ましたりとそれまで一切自分ではしたことがなかった、自分のこと以外の世話や看病をしないといけませんでした。
(やつはそんなことした事ありません。)
その上、この真冬の最中に湯沸かし器が使えなくなり、修理の手配をしないといけませんでした。(家の修理の依頼をするなんてこともしたことありません。)
特にこの週は関東地方は気温がこの冬始まって以来の低温続きガス機器の故障が相次いだため、修理になかなかきてもらえず、私がハワイから帰った翌日2月3日の10時に予約が入っていました。
2018年2月3日 私の帰国翌日。
一刻も早く義父の病院へ行きたいのですが修理が来るまで動けません。
9時半ころ、義父の病院から連絡がはいったそうです。
「もう、何時間も持たないのですぐ来てください。」と
我が家から義父の病院まで2時間ほどかかるのですが
義父にがんばってもらって夫だけでも最後に見送れたら、
と思い急いで夫を出発させました。
義母と義姉のいた病院からは車で20分くらいでしたが、
9時半に電話を受けた時はまだ義母はパジャマでそれから支度をさせてでたようです。
義母は動作が非常に遅いので到着まで1時間はかかったようです。
義母たちが到着した時はすでに
義父は旅立った後でしたが、
形ばかりの宣告を待っていてくれたようです。
もちろん夫は間に合わず、直接安置される斎場に目的地をかえました。
これが私が好きだった義父の旅立ちの顛末です。
その日の午後、斎場の寝台に横たわっている義父に
ようやく再会できました。
まだ少しだけ体にぬくもりがありました。
亡くなる半年くらいまえから異常に足がむくんでいて、病院に受診するよう進言していましたが、頑として行きませんでした。でも、本来でしたら救急搬送された日の翌日にようやく検査に行くことにしていたようです。
たぶん義父は自分の体の状態が尋常でないことをわかっていて、敢えて受診を拒否していたのだと思います。
そして、ぎりぎり最期まで大好きなビールをのめることを選んだのでしょう。
その足の浮腫がすっかり引いていたのに驚きました。
無治療で腰の痛みだと自分自身をごまかしていたのでしょうが、
本当に辛抱強く耐えた義父。
なぜか嫁の私との方が自分の息子より気が合って
私の意見を尊重してくれました。
そんなわたしはハワイに行っていたということが少し後ろめたく感じましたが、義父の気持ちはよくわかります。
「この間、会ったでしょ?その時お別れしたからいいんだよ。」
と、例のおっとりした口調で言ってくれるでしょう。
「たとえ臨終に間に合わなくてもそのことで自分を責める必要はないです。
ずうっと側にいて介護しいていてもちょっとトイレに行ったりお風呂に入ったりしている間に逝ってしますこともよくあるんです。そこまでだったんだと受け止めてください。」
と、ケアマネさんに言われたのをいまだに心の中で繰り返し
後悔の念を振り払っています。
義父の人生は一片の悔いもない豊で穏やかで碁を愛し、酒を愛した94年でした。
それから葬儀まで斎場が混んでいて10日近く待たされました。
実は葬儀までの待機期間の間に
私の実家の方も新たな展開を迎えていたのです。



