さて、母(幸代)のむかし、むかしのお話。

 

 

始めにお断りしておくが私は母の尊敬の念を抱けない。

 

1971年頃

 

母が認知症になってしまったので

ノーサイドと自分自身に言い聞かせていても

過去の母との決着がついていない諍いを思い返してしまう。

 

父に対する追慕の様な感情が

母に対しては沸いてこない。

(まあ、母はいきてるんだけど)

そりゃ、心の中ではいつも思う。

母と別れの時が来るまでに

母とのいい思い出だけ

心に留め置けるようになりたいと。

 

でも、今はまだ自分でコントロールしても

母の事を語るとき多少批判めいてしまう。

 

 

なので割り引いて聞いてやってください。

 

 

母(幸代)は大工の父と精米所を営む母の下にうまれた。

 

大工の父は

その器用な手先で母の精米所の為に

里山式(仮名)精米機なるものを作成。

当時、特許を取ったらしい。


男3人、女4人の合計7人兄弟姉妹の二番目の女子。

 

一番上の昇は昭和20年3月セレベス島マカッサル西北にて戦死。

「蘭印作戦」に於いて戦死者850名の内の一人だ。

昭和21年1月、終戦から半年たってから、

名前が書いてある半紙がはいっているだけの

桐の箱がもたらされた。

 

次が長女で今年、正月、95歳で大往生。

 

次が次郎さん、次男坊、

彼は19歳の時、脳膜炎だかで病死したそうだ。

亡くなる前日厠の小窓から外を見て

「おーい。幸代。ゆきが降ってるぞ~。」

と声をかけてきたことが母の記憶に残っているそうだ。

 

で、次が幸代、母である。

 

もうここら辺になると子供の役割なんか期待されてないだろう。

 

長男だから跡継ぎ。とか

長女だから家族の面倒をみる。とか。

一番下の子はかわいいだけでいい。とか。

 

この時代、子育ての理念とかなんとか言っていられないだろうし、

母親は精米所で忙しくたち働いていたので、

とりあえず、子供たちに親として臨むのは

体が丈夫で親のじゃましなけりゃいい。

くらいの育て方だったんだろうと思う。

 

母の実家、里山家(仮名)はしっかりした長男と次男を

早くに失ったため、

うるせー4姉妹と、

下から2番目のおっとりした我関せずな弟だけになった。

 

私が小学校4年の頃「墓相」なるものに凝っていて

お祭りで大人がみんないる中で

「この家のお墓って南西向いてるよね?

そういう家って男がみんな早死にで

男系の家系は絶えるんだって。」と、

言って場を凍り付かせたことがあります。

 

「男はみんな早死に」は若干不正解。

「男系が絶える」は正解。

唯一残った下から二番目のおっとり弟、良夫は

とうとう子供を残すことはありませんでした。

 

 

立ち回りのうまい一番下のあらたの孫が

全てを相続します。