幼いころから長男として、

家長として生きた92年の父の生涯です。

 

学童期になると

それまでの山の中にあるよしへの実家から出て

一家で町場に移り住む。

その時点で父には姉が1人、

父の下には3人の兄妹がいたが、内2人は夭逝。

 

つまりよしへの子供はこの時点で

父を含めて3人。

 

町場に出た方がよしへも仕事にありつけるし、

村にいるより人目も気にしなくてよかったのだろう。

 

父が10歳の時、次女の杉

御産婆さんが間に合わなっかったらしい。

 

10歳の父が取り上げることになった。

 

 

 

当時の学制は複雑だが

父の学童期は

小学校尋常科6年、小学校高等科2年、

その後、市立の夜間商業学校に進み

2年で退学している。

 

当時の学制です。

 

父は尋常小学校のあと高等小学校へ進学。

今でいえば中学1~2年。

家が貧しかったのでアルバイトをはじめる。

 

 

 

リヤカーにバスのタイヤを四本積んで

それを市内のバスの基地から

市外にあるタイヤ工場に運ぶ。

タイヤ工場では摩滅したタイヤの溝を彫りなおす。

溝ができた古タイヤを

また市内のバス基地に運び再利用する。

 

父はその細い体で、

往復20キロの道のりを、

大きなバスのタイヤを運んで

一家の生活を支えた。

 

その当時、こんな幼い子供でした。

(高等科2年時の写真)

 

今の中学生の皆さんまねできますか?

私の中学の時を思い返しても無理だし、

今でも無理です。

 

父は成績も良くてそろばんは異例の昇段でした。

 

私が子供の頃、

父が大好きなNHKの大河ドラマを見ている時、

やり残した算数の計算問題を口頭で言うと

暗算で答えをおしえてくれました。

(大河ドラマに集中したいから、早く私にだまってもらいたかったのでしょう。

下の子なので大人の操り方をしっていました。)

 

父は

よく学び、よく働く

 勤労学生でした。