私の祖母は数奇な人生を送った明治生まれの女

 

祖母としへの長い晩年の事。

 

 

交通事故からの20年は入退院の繰り返し。

 

持病の喘息に加えて、肺気腫で

冬の寒い朝など息も絶え絶えになる。

そして病院につれていってくれと懇願する。

 

恩に着せながら母が連れて病院へ。

 

そしてまた入院。

 

入退院を繰り返すうちに

認知症を発症。

今と違って単に「惚けた」

の一言で済ませられてしまう。

 

今考えるとレビーだったと思う。

 

 

当時の家は汲み取りで

1階の便所からは便壺がの中が見える。

祖母は日がな一日覗き込みながら、

誰かが生まれたばかりの赤ん坊を便壺に捨てて行った。

と、浮き沈みする赤子を妄想の中で見ていた。

 

暗い情景だ。

 

 

そんな祖母の一日の様子を

とくとくと父や私に報告する母の態度に

違和感を覚える。

 

晩年はほとんど入院したままだった。

 

 

このころは私はもう実家を出ていたが

今一つ母の呪縛から逃れきれない私は

長期の休みとなると大人しく実家に帰っていた。

 

 

認知症もますます進んだ。

 

 

 

 

そんな祖母に正月に母に着せてもらった

着物姿を見てもらおうと

同窓会の前に病院に寄った。

 

(これは本職の人の着付けです。)

 

祖母はもうほとんど寝たきり。

 

枕元には外孫が持ってきてくれたお菓子が置いてあるのだが、

だれが持ってきてくれたのか、

それどころかだれかきたのかさえ覚えていなかった。

 

祖母はわたしの着物姿を見て目を細めてほめてくれた。

が、

震える枯れ木の様な腕を伸ばし

もやもや不信な顔をして、もやもや

はてなマーク私の右の腿のあたりをまさぐる。はてなマーク

 

母が誤って左前に着せたのだ。ドンッ

もう目もよく見えないので

右腿に上前があるかどうか確認したそうだ。

祖母は必死になって着せ替えてやるから、

と言って立ち上がろうとする。あせる

 

家に戻って着替えるから大丈夫だ

と言って祖母を落ち着かせた。

 

着物の着方と私の事をちゃんと覚えていた祖母。

 

 

祖母は最期に会った時まで私の事を覚えていてくれた。

 

私も忘れない、おばあちゃん。