卓越主義内部の縄張り争いそのもの。もしそうだとしたら、どんな憲法解釈の手法もかならず憲法に適合し、しかもこれを正当化しようとしなければならないのだ、と卓越主義者が力説するのも当然のことだ。おそらく、卓越主義の対案はすべて、どこか卓越主義的なところがなければならないのである。この結論に抗う人がいそうだ。たとえばプラグマティストなら、「適合性」にはあまりこだわらないかもしれない。ある見方によると、重要なのは帰結であり、よい帰結のために適合性を犠牲にする未来志向的な手法が正当化される可能性は十分にあるのである。おそらくセア主義者や原意主義者も、適合性を犠牲にするだろう。ある種の原意主義者にとって、起草時の理解から逸脱して正統性を欠く先例には、ほとんどなんの考慮の余地も認められないのである。だが、もし卓越主義という言葉の意味をたっぷり広くとるならば、その批判者もまた、卓越主義の実践者である。注意深いプラグマティストは、プラグマティックな理由さえあれば、適合性に十分配慮している。
