義父に殺された男の子の報道
つらい事件
後は警察と検察
弁護士
陪審員
法律に任せるしかないです
私は父が幼い時に事故死していて
母は、労災年金受給したまま
内縁の夫の家に私を連れて同居しました
本当はNGなのだろうけど
私が8歳から義父と同居が始まり
13年間結婚するまで同居
地獄だったよ
なので被害者の子供の気持ち
想像すると苦しい母親を悲しませたくなくて
義父を好きになろうと努力した
変わった人で
働かなかったし
今になれば性的な虐待に近い
無理やり鼻を舐められるのを
義父からされて嫌だった
母は笑ってた
母は父が亡くなった後で
しばらく働いてたけど
堅気の仕事はそもそもやる気ない女
姉によると
日曜日が休みで
昭和は土曜日は半ドンかな?9時5時勤務の仕事を
紹介されたのに断ってたって
制服まで家にあって断ったって
たぶん縁故で仕事誘ってくれた人にも
無礼な結末だろうな
父亡き後は
ラーメン屋で土日も夜遅くまで🍜🍥
働いてた母
何度か昼ごはんをごちそうになった
覚えがある
それも直ぐやめてしまいスナックで働きだして
客の義父と恋仲になり
私たち兄弟の住む家に泊まるようになった
父が亡くなって一年と少し経って
早すぎるって周囲は驚いた
「新しいお父さんが欲しい?」
このフレーズが
母や義父から出たとき
私たち兄弟は嬉しくて
沸き上がったと思う
働いてくれる父親が欲しい
おかあさんが楽になる
素直に嬉しかった
父が亡くなり
生活はしばらく困窮
毎日暗かったから
殺された男の子も
少しはそんな風に思ったよね
お母さんが幸せになる
自分も幸せになれるって
思うよ
昭和50年代我が家も
しばらくはたいへんだっただろうけど
実際は父は仕事中の事故死
労災年金受給が決まって
母は働く必要がないと判断
働くことが嫌いな人だった
子供たちには
「お父さんが死んじゃって
うちはお先真っ暗よ‼️早く大人になって‼️」
という内容で言い聞かされてた
習い事ゼロ
家事の手伝いが
ヤングケアラー並みだった
母は義父のご機嫌を取り続ける
私たち子供は衣食住を与えるだけ
最低限のね
服は最小限
家は義父の父親が建てたという
借地平屋築年数40年はいってた
まず食卓が違う
義父は偏食で
刺身とかとんかつなどのメニューが
義父にだけをあるわけ
ネコに与えるマグロはあっても
私たち子供はマグロ欲しいと言える
雰囲気ではない
躾と言って殴る義父
不機嫌で家事の手伝いをサボったり
兄弟喧嘩の仲裁も鉄拳制裁~
そんなだから
義父が帰宅すると
わたしも兄姉も
緊張して控えめになる
怖かった
大人になってから母は
この子供の反応を
父親がいると子供がイイコになる
義父がいて良かった
と言いました。
全然伝わってないでしょ?
本当に血の繋がった父親なら
いいんだよ、まだね
母親と楽しく幸せに暮らしてたのに
その日常が失くなって
殴る男の機嫌取る母親
びくついて家で休めない子供の不安定
私は母親に言い返した
私はそれが嫌で仕方なかったから
夫には子に威圧感や
不機嫌を撒き散らすことはさせない
夫はその点は穏やかだったし
義父のような変わった人間に
遺伝子の違う子供の世話にさせるなんて
期待できないんだけどね
事件の家族も
男の子の本当の気持ちは
分からなかったと思う
子供は自分が大切にされてないことを
他者に、言えない
プライドか恥ずかしい気持ちも
どんなに絶望して最期だったのか
思う
許せない事件