みなさんは人混みは好きですか?

人混みが多くても平気で過ごせる人ですか?


私は最近めっきり疲れるようになりました。


月2回以上大阪に行くのですが、

いつも人に酔いそうになり

頭がクラクラしてきてしまい

予定が終わったらすぐに神戸にとんぼ帰りすることがほとんどです。


大阪に住んでいた過去があるのに全く道には慣れないし

すぐ迷子になるし疲れるし

店ばかりあるのになんだか気楽に休みに入りづらくて、

入ったと思ったら高っ!と心の中で叫びたくなるメニューばかり。


なーんて

まるで大阪の悪口みたいになっちゃって良くないんですが。

こんな気持ちの反面

いつもすぐ神戸に戻ってばかりで

せっかく大都会に出てきているのになんだかつまらなくないか

そんな選択しかしない自分が退屈になってくるな

という思いも正直あります。


だから今日は思い切って

十三で神戸線に乗り換えるところを

終点の梅田まで乗って

改札をいったん出てきました。


相変わらずの人だらけで

あっ、やっぱりホームで神戸行きに乗ってしまうべきだったかも

と一瞬後悔がよぎりましたが、

いやいやそれじゃいつも通りじゃないか

梅田で降りると決めたなら梅田を楽しむだけだ!

と邪念を振り払うように

自分で自分に喝を入れました。


そのまま大阪の観光をする•••

という気力まであれば良かったのですが

お腹がめちゃくちゃ空いていたので阪急百貨店へ。


土曜日ということもあり

百貨店の中はお客さんだらけですごかったですが

次第になんだかこの群衆にまぎれる自分に

不思議な感覚がわいてきました。


当たり前っちゃ当たり前なんですが。

こんなにたくさんの人がいて

私はその中のその他大勢の1人であり

私が何を思ってどこに行くかなんて誰も知る由がない。

私も逆にみんながどこに行くのか

何しに大阪に来たのか

ましてや一人一人の生活なんて分かるはずがないし

どんな人生やどんな思考の人たちなのかもしらない。


右に左に斜めに人が移動して

私もそのごちゃごちゃの中を歩いて人の波の一部になる。

私がその中にいることは誰の気にもとまらない。

だけど私は今確実にこの場所を歩いていて

それは100年後の私には絶対出来ないこと。

目に映る人々も店もディスプレイも壁の装飾も

遠い未来には二度と見ることができない。


人混みの中の自分という存在と

それがこの瞬間にただある景色なだけで

二度と見ることができない日が必ず来るという事実。


••病んでいるわけではないのですw

ただ単にそう思っただけというか

なんつーか自分は所詮哺乳類ヒト科にすぎないんだよな

とその不思議を群衆の中で改めて感じたのであります。


自分は大したことない存在

どこにでもよくいる人の一人であるということを

しっかり認識しておくことは大事な捉え方だと考えています。


思い上がらないという意味もあるし

もっと自由な感じもある。

大したことないから縛られるものが少ないし

抱えていることがあっても他人からすれば大したことないよくある人生の話

とかそういう軽さも。


そういうのは部屋でスマホと睨めっこして一日であ終わるより

案外街の雑踏の中で体感できるものなのかもしれません。


ちなみにその後大阪を後にして電車に乗り

三ノ宮駅のホームに降り立った時

帰ってきた〜!落ち着く〜!

と心から感じたのはいつもの通りですw


それではそれではまた次回ハリネズミ