〝こんな明るい玄関先で 陽の光も見えているのに この境目を越えれば外なのに〟
ボクが好きな作品のファンアートや妄想の投稿をよくしているアカウントで、あの人はそう言った。それは、住み込みで働く引きこもりの主人公を主人公の護衛兼友人が外に連れ出そうとしたけど、ゲームなのに選択肢が
いいえ、〇〇(友人の呼び名)(以下、Rとします。)
しかないシーンの感想。少し話は脱線するが、あれは正直ボクも笑った。なぜ上司兼育ての親であるAIの言葉には
はい、〇〇(AIの名前)(以下、Fとします。)
しかなかったのに、何のための選択肢なのか。
話を戻すが、なぜだかボクは冒頭の言葉の投稿をわざわざブックマークしている。
ボクは9歳で初めて自宅に引きこもった。
そのあとは引きこもってるってほどじゃない時期はあれど、
不登校のまま、中学まであった義務教育は終わりを告げた。
なんとなく誤解されたくないから明記しておくが、通信制高校なので高卒資格は取れる。というか取る。
話を戻すが、なぜボクは冒頭の言葉にとても惹かれたのだろう。外に、行きたいのか?いや、正確には普段から一般的な高校生活よりも少ないとはいえ外出しているし、何なら今日は珍しく朝から夕方まで帰れない用事がある。
でも、ある程度精神的に不安定になってくると鍵垢で「おそとこわい」とか言ってるし、頭の中で「おそとなんていかなくていいよ、こわいでしょ?」って聞こえる(言ってる?)。
今、なんとなく気になって、冒頭の感想のシーンを見返していた。
「いいえ、R(友人)」
のあとに、
Rに、お昼はパンだと決まっているし、Fが心配する、わたし(主人公)は外へは出られないと答えた。
って書いてあった。そんなくだらない理由で断るのが、もうよく覚えていない、昔のボクに似ていると思った。
……小学4年生の時の、引きこもった時のクラス担任は、どんな人だっただろう。もう、容姿と名前以外は、よく覚えていない。確か結婚したかなんかで、ボクが5年生になるタイミングで、遠くの町へ引っ越した。
〝こんな明るい玄関先で 陽の光も見えているのに この境目を越えれば外なのに〟
不登校児だったことがある方ならわかるかもしれないが、不登校児は確かそうでない人と比べて家庭訪問が多い。そして家庭訪問の時、先生はどこまで来る?…そう、玄関までだ。今、それに気づいてから冒頭の1文を見てなぜか泣いた。
〝みんなといっしょになりたかった〟
〝生きやすそうなふつうの子になりたかった〟
これは先程書いた「おそとこわい」とか投稿してる鍵垢の固定ツイートの1文。
お外、行かなかった。もったいなかったかなぁ。修学旅行も、文化祭も、授業も、全然行かなかった。
てかまた締め方わかんない💦