映画『生きる―大川小学校 津波裁判を闘った人たち 』自主上映について

 

 ~子らの“無念”を「未来の安全」につなぐために~
 

 未曽有の被害をもたらした東日本大震災-

そのなかでもひときわ悲しいできごと、あ

ってはならないできごとが宮城県石巻市大川

小学校(現在は閉校)で起こりました。

 全校の約7割に当たる74人の児童と10人の

教員、合わせて84人もの犠牲者を出したこの

事故は、学校管理下における戦後最大の惨事

として記録されることになりました。

 驚くことに、地震発生後約50分ものあいだ

児童たちは校庭に止どめ置かれ、しかも、よ

うやく避難のために歩き出した先は、子供

の足でも1分で登れる裏山ではなく、海抜たった6mの海側の小高い丘。当然ながら子供た

ちはたちまち、冷たい濁流に呑み込まれてしまったのです。

 

 愛しい我が子を、ようやく泥の中から見つけ出した親たちの悲しみがどれほどだったのか

――冒頭の母親の手記で語られた思わぬふるまいに涙があふれます。「山へ逃げよう」と最初山へ登ったにも関わらず、教師に引き戻され、結局亡くなった子もいたといいます。この子らの“無念”を遺族たちが汲み取り、二人の弁護士とともに誹謗中傷を受けながらも地裁、高裁の法廷につないだ結果、遺族たちの心情を汲み取ってくれた高裁裁判官によってようやく、「画期的」と評される高裁判決が実現します。こうした遺族たちのねばり強い闘いを、映画は丹念に、冷静に描いていきます。

 「生きる」という、一見抽象的で月並みな言葉が映画の題名につながった夫婦の会話は、ドキュメンタリーでありながら、どんな名優でも演じることのできない、深みのある名場面となって観る者の心に残ります。

 

 仙台高裁、最高裁を経て確定した判決は教育現場のみならず、およそ多くの人々の命を預かる施設等の管理者に、重い責任を負わせることになった一面もあります。しかし、利用する立場からすれば、子供たちの尊い命と親たちの闘いによってようやくこの結果がもたらされ、未来の子どもたちの安全につながる道が、少し明るく照らされたことを深く思わざるを得ません。「もっと生きたかった」はずの子どもたちの命は、裁判に勝ったとて帰ってくることはありませんが、せめて子らの“無念”を汲み取り、自分の身近なところで安全な環境を整えていくのが生き残った者の責務であることを、強く強く肝に銘じたいと思うのです。

 子らから親へ、親から裁判官へ、そして映画監督へと汲み取られた“無念”を、次に汲み取るのは、この映画を観た私たちなのだと、海の底から小さな聲が聞こえてくるような気がします。

 この映画が単に“寄り添う”だけでなく、「自分には何ができるのか。何をなすべきなのか」を"自分事"として考えるきっかけになることを願い、かつ信じてやみません。

 

 このたび、この映画を「自主上映」する道があることを知り、一人でも多くの方々に観ていただきたいとの想いから、無謀な道とは知りつつ挑戦することにしました。この上映会が多くの方がたの共感の場となることを念じつつ、ご協力をお願い申し上げる次第です。

 

              映画「生きる」加茂地区上映委員会  呼びかけ人

                                大 矢 伸 司