こんばんは、かねこです。
本日、夏の甲子園決勝戦でしたねニコニコ

慶應、107年ぶり2度目の優勝!
おめでとうございますキラキラ

仙台育英も強かったですね、最後まで粘る素晴らしいチームでした。
二連覇も見たかったですが、また来年以降に期待です

いやぁ〜人が何かに打ち込む姿は本当に美しいものです。
いいもの見せていただきましたデレデレ
仕事に疲れたアラサーも多少潤います←


ただ、一部ネットを中心に慶應の応援が物議を醸していましたね。
テレビ越しでもわかるくらいの大声援。
平たく言うと、それを「うるさい」という意見です。

仙台育英が守備のエラーをした際に解説の方が「声援が大きくて選手同士の声が聞こえていないか?」的なこと言ったんですよね。

んで、更に大炎上。
「 ここを神宮と勘違いしてないか? 」
「 大人が高校生を虐めているようだ 」
「 マナーを守った応援をしろ 」

試合終了後、「#応援のせい」がトレンド入りする始末...

確かに慶應の声援は大きかったのでしょう。
ネット上で慶應の応援を批判をしている方々は、(選手のプレーに影響をするような応援はやめるべき。特に選手は高校生なのだから。甲子園なのだから。大人は自重せよ。)という考えのようです。

その精神は美しいもの(と考える人がいる)かもしれません。
でも、私は、部外者が個人の感想で他人を攻撃すべきではないと思います。
(慶應の応援がうるさくなかった、と言っているわけではないですよ。基本大きい音苦手なんで←)

それを思うのはもちろん自由ですけど、アウトプットの仕方が問題です。
なぜ人を蔑む方向に物事を考えるんでしょう。

スポーツ観戦自体は好きなのですが、こういうことがままあるのが、すごくすごく苦手です
(ラグビーってないんですよね、こういうの。だから精神衛生上良くて好きなんです。)

今回の甲子園決勝で言えば、慶應の応援に対して、
「 あんな煩い応援、品性を疑う。 」
とか、それに対して、
「 母校を応援しているだけ。それを指摘するなんてただの低学歴の僻み。 」
とか。

両方、どの立場から誰を攻撃しとんねん、という...

人を下げることでしか自己を正当化できず、その正当化によって悦に浸っているのでしょう。

目の前で高校生が歯食いしばって頑張ってんのに、そんなことで揉めている大人たち、あまりに滑稽じゃないですか。
悲しいことです。

選手たちがね、野球をやっているのですよ。
両チームとも素晴らしく一生懸命に。

"野球"を見ようよ、その姿を讃えようよ、
とほんとに言いたい。

試合後、インタビュアーが仙台育英の監督に
「守備のミスは声援で選手同士の声が届かなかったから?」
という質問をしていました。

監督は、
「 風を考慮したプレーを意識した方がいい場面があった。声援だけが理由ではない。選手が声援に飲まれている感じはしなかった。単純に相手が強かった。 
慶應さんは、取り組みも秀逸だし選手の技術もフィジカルもある。エンジョイベースボール、好きなことだから頑張ろう、という真髄を見た。負けたのが慶應さんでよかった。心から勝利を讃えたい。」
とコメントしています。

強豪校の監督は人格も素晴らしいのですね。
きっと彼に指導されている子どもたちは、滑稽な大人たちのような感情にはなっていないでしょう。
闘い抜いた彼らがそう思っているのだから、もう、外野がとやかく言うことはないですね。

この夏を闘った、すべての球児に敬意を野球キラキラ


個人的には、来年以降は、試合時間を調整できたらいいなぁと思いました。
暑すぎてね、危ないなと。

坊主がどうとか、炎天下で流す汗こそどうとか、そういう意味がないこと、やめましょう。
大人の腕の見せどころだと思います。