こんにちは、かねこです。


叔父の葬儀やその前後、田舎ということもあると思うのですが、私の想定の範疇から3段階くらい上なのか下なのか斜めなのかよくわからん事象がたくさん起こりました昇天昇天昇天

("大人"って、みんなこういう経験してるんでしょうか。尊敬してしまう...いや、私もいい大人なんですけどね...)


その一つが、本家と分家問題。


葬儀関連で親戚勢と話していると、会話の節々に「本家なのだから...」「分家の人間たちは...」「本家の血筋が...」という言い回し。


ホンケ?ブンケ?

なんやそれにっこりはてなマーク


叔父が長男ってことかしら???

と、思っていましたが、どうやら単純にそういうわけでもなさそうで。


親戚勢の話を要約すると、

・〇〇家は、室町時代から続く旧家である。

・本家が代々、お墓を守り、城跡(城跡⁈)を守り、この地域の土地を守ってきた。

・分家の人間たちもずっと本家を支援してきた。

・亡くなった叔父は本家当主

・叔父が亡くなったことで、正式に〇〇の姓を名乗る血筋は途絶えることになる。

・ただ、直系の血は繋がっている。(兄と私のみ)

・次期当主(当主⁈)を決め、せめて姓だけでも後世に残すべきではないか。

少なくとも、"ちゃんと守って"ね

と、言うことらしく。


如何に歴史ある家系であるかを家系図やらを使って親戚勢が説明してきます。

大学に研究された資料などもわんさか出されました。


いやいやいやいやいやいや

わし、かねこ(もちろん偽名) ですねん滝汗滝汗


小説を読んでいるのかと思うほどで、頭がくらくら昇天昇天昇天

「守ってね」てなんやねん。。。


更に驚いたのは、本家と分家、にかなり明確な線引きがあったこと。


葬儀への出席者は実権(?)を握る歳上の本家に近い人間が決めたそうですが、誰も分家の人間は出席せず本家のみ。そんな明確に分けるものなのでしょうか...

本家も分家も、本家に対する想いがゴリ強く、正直ちょっと引き気味な兄と私。


私が叔父の葬儀でその土地に訪れるのは、約20年以上ぶり。祖父母が存命だった時代です。

母に連れられ、夏休みに遊びに行っていました。

当時、知らないおじさんおばさんがたくさん祖父母の家に来て挨拶?していた思い出があります。

今思うと、あれは分家の方々だったのですね。



フルーツバスケットという漫画をご存知でしょうか?

あの草摩家みたいな感じです、ほんとに。

(もちろんあんなお金持ちじゃないですが)



あまりにも価値観が違いすぎて

うわぁ......無理にっこり

というのが正直な感想。


普通に考えて、継げないです。

私には私の、兄には兄の、今の生活があります。


救いなのは、本家の人間でも我々の感覚をわかってくれる人たちもいること。

「 我々の一族は家に対する思いが人一倍強い。実際、〇〇家と言えばこの地域ではどこに行っても優遇してもらえるのが事実。一族の人間たちも誇りを持っている。でも、それをわからないというのも当然の感覚だと思う。ましてやここで生まれていない君たちには突如湧いて出たような話だろうから。色々と言う人間はいるだろうけど、気にしなくていい。聞き流してくれて構わないよ。ただ、そうやって生きてきた人間たちもいるのだということは否定しないでほしい。」

と。


いやーーー、、、小説かてにっこり


"中"にいながらにしてその感覚があるのはすごいですよね。もう70歳を超える方々ですが、お話していてもとても若々しく聡明です。


まだこんな世界がこの日本にあるのですね。

早くなんとかしなきゃいけないのですが、現実味がなくてどこか他人事のような気がしてしまいます...