物を盗む人の事を泥棒という。
泥の棒。Mud stick。
なんで?
調べてみた。
検索結果にはいつものように「諸説ある」と言われてしまったが、有力な説としては
昔は盗みの事を「押し取り」と言い、「暴れん坊」とか「きかん坊」「風来坊」のように坊をつけて「押し取り坊」と盗みを働く人の事を呼んでいて、
それが「取り坊」に変化、さらに変化していって「どろぼう」と呼ぶようになり、泥と棒の漢字が当て字されるようになったという説が有力なようだ。
次に疑問になるのは盗人を指す「ドロボウ」という言葉に対して漢字を当てようとなった時になぜ「泥棒」になったのか、だ。
「どろ・ぼう」という区切りになるのは特に違和感はないし、「泥」は汚い・悪いイメージも合うし、他に漢字もないだろうからいいとして「ぼう」が「棒」なのはなぜなんだ。
「坊」じゃないのは本来は僧侶を指していたり坊やなどの子供だったり、あまり悪い言葉じゃないからなどの理由が思いつくが、
盗みは乱暴な行為だから「暴」でも良さそうだし、盗人は顔を隠す者も多そうだから「帽」でも良さそう。
その辺についても調べてみると、泥棒が顔に泥を塗って素性を隠し、盗みの道具や武器として棒を持っていたからなどの説は出てくるがあまり有力ではないようだった。
いろいろ調べてみたが結局もう「泥棒」で慣れてしまっているのでしっくり来るのは「泥棒」なんだからそれでいいのだ。
そんな考えに至るとなんだか時間を盗まれてしまったような気がする。
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3月も今日で終わり、寒い冬が終わり晴れた日は暖かい陽気となるようになった。
晴れといえば快晴のことをちょっと死語だがピーカン晴れと呼ぶのはなんでだろうと思い、調べてみた。
案の定諸説あった。
有力な説としては映画業界で「太陽光がピーンと届いてカンカン照り」を略してそう呼んだという説があるようだ。
もう1つ有名な説として、タバコの銘柄のピースの缶の色が青い事から青空をピーカンと呼ぶようになったという説も有力とされているようだったが、
画像検索で見てみたが個人的な感想としては紺色であんまり晴天の青空っぽい色ではない気がする。
更に調べてみると紺色のパッケージのピースは戦後に発売されたもので、快晴を指すピーカンは戦前から使われていたというデータもあるようなので怪しいようだった。
他にはオペラ「蝶々夫人」の「ある晴れた日に」という曲と登場人物のピンカートンに由来するという説もあるようだ。
やはり「ピーンと届くカンカン照り」が一番それっぽいように感じる。
ちなみにピーカンと聞いて思い浮かぶものと言えばピーカンナッツだが、
ピーカンナッツのピーカンはネイティブアメリカンの原語で「石で割る必要があるナッツ」というような意味の言葉が由来で快晴のピーカンとは関係ないようだった。
もう丸一ヶ月過ぎているが2月1日は初午だった。
よくわからないが、祖母が毎年2月の最初の午の日に「初午だから」と言っていなり寿司を作っている。
12日に1回来る午の日の内なぜなぜ2月の最初の午の日だけ特別なのか、調べてみた。
どうやら午という干支自体に意味があるわけではなく、「稲荷神が降臨した日」だからお祝いするらしい。
西暦711年の2月の最初の午の日に宇迦之御魂大神(ウカノミタマ)が京都の伊奈利山(いなりやま)に降臨し、神社で祀られるようになり、
宇迦之御魂大神が穀物の神であったことから「伊奈利」が「稲成り」「稲荷」と書かれるようになっていき、今では神様もお稲荷様と呼ばれるようになった。
というのがお稲荷様の成り立ちで、そこから2月の最初の午の日が初午として五穀豊穣を願う行事となり、いなり寿司を食べるようになったようだ。
更に調べてみると2月中の2度目の午の日「二の午」、3度目の「三の午」を祝う場合もあるようで、
これは稲荷神ではなく午の日そのものを祝っていないか?と思ったが
あくまで初午を祝えなかった時の代わりとして始まったようだ。
恵方巻を食べる節分といなり寿司を食べる初午、時期も近いから2月の初めに海苔巻と稲荷のセットの助六寿司を食べる風習にしてしまえばよいのではないか、と一瞬思ったが、
初午は今年は1日だったというだけで遅ければ12日になることもあるわけで別に時期が近いというわけでもないのだった。
「ハラワタが煮えくり返る」とか「魚のワタを取る」とか内臓の事を「ワタ」と呼ぶ事がある。
このワタとはなんだろう。
「ワタ」というと衣類や寝具の詰め物に使う植物の綿が思い浮かぶが、
内臓はそれとは似ても似つかないしきっと無関係に発生した同音異義語に違いない。
そう思って調べてみると、いくつかの説が出てきてハッキリはしないものの、
現在有力とされている説では植物の綿と内臓のワタは無関係ではないようだった。
最初に曲がりくねったものを指す「ワタ」という言葉が古語にあり、
曲がりくねった腸を指して「ワタ」と呼ぶようになったのが、内臓全般を指すようになっていき、
腹の中に詰まっているものという事からの連想で詰め物として使われる綿をワタと呼ぶようになったという内臓のワタから植 物の綿に転じたという説や
綿の繊維をよく見ると細かく曲がりくねっているのでハラワタのワタと同じ語源で綿と呼ぶようになったというものがあるらしい。
無関係という予想は外れたが、ワタの語源の説を知る事ができたし、ぜんぜん違うと思えるものにも共通点はある、という学びがあったという事でプラスになったと考えよう。
大みそかといえば年越しそば。
そういうものだと思って食べてはいるが、由来はよく知らない。
蕎麦というと「細く長いお付き合いを」という引っ越し蕎麦なんていうのもあるし、
年越しそばにもそんなような縁起の良い験担ぎのこじつけがあるのだろうぐらいの認識だ。
さっそく由来を調べてみると、引っ越し蕎麦のように形から来ている細く長い形から長寿を願って食べるという説や、
金細工職人が金粉を集めるのにそば粉を利用していたことから金運の縁起物とされるようになったという説、
飢饉が起きた時に寺で振る舞われた蕎麦を食べた人に運が向いた事から運気の上がる縁起物とされるようになったという説、
他の麺類より切れやすいという性質から「今年1年の厄を断ち切る」ために食べるようになったという説などが挙げられるようだ。
どれか1つが真実というわけでなく総合的に縁起の良いものという事ではあるだろうが、
年越しというタイミングで食べる意味としてはやはり最後の「厄を断ち切る」というのが大きいだろう。
そう考えると蕎麦以外でもコシの少ない切れやすい麺類であれば厄を断ち切るというメインの験担ぎと長寿祈願の2つは満たせるという事になる。
それだけあれば十分な気がするし、蕎麦以外の年越し麺の候補を考えてみよう。
そうめんやひやむぎで年越し煮麺にしたり、うどんでもコシがなくなるまで煮れば厄を断ち切れそうだ。
ラーメンも細麺なら切れやすいと言えるだろう。ベトナムのフォーも本場のものはコシがないらしい。
出汁やトッピングで験を担いだりして正月のお雑煮に地域性や家庭の色があるように自分流の「年越し麺」を模索したら面白そうだ。
などと考えてみたが結局大みそかの買い物をする時には忘れて普通に蕎麦を用意してしまう気がする。