聖護院八つ橋総本店の聖祝果と青森県産津軽鴨もも鍋3

 

 

 

 

 

 

 聖護院八つ橋総本店の聖祝果

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 今日は、3回目の青森県産津軽鴨もも鍋、あなご、ほうれん草、餅入り、でした。
  正月なんか、ママさんのいない正月なんか、全然、楽しくも何ともないです。二日は、孫が来てくれて良かったけど、正月で、楽しかったのは、それだけでした。・・・・。
 しかし、孫に好きな人ができたら、親を捨ててでも、二人が一緒になります。そやから、親を捨ててでも一緒になるくらいやから、祖父母なんか配偶者に比べたら、どうでも良いんです。今は、孫は、かわいいけど、かわいいのは、子どもがかわいいのは、コロされないための人類普遍・生物普遍の継承のためです。当たり前のことです。生物は、幼い頃はかわいくできているのです。当たり前のことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 グルメシティーにタバコ買いに出るとき、ついでに、ゴミをゴミ捨て場に持って行ったときに、郵便ポスト覗くと、今日は、また、年賀状が来ていました。返信しやなあかんので、すぐ書きました。3時までに投函できました。良かったやン。
 お元気ですか?と、コメント書いてある年賀状が、チラホラありましたが、正直、ママさんが亡くなっているので、その時から、テレビのスイッチ切ったときのように、まったく元気が無いのが、この4年間、ず~っと続いていることは、配偶者を亡くしたことがない世間の人達の常識では、わからないと思います。配偶者を亡くした経験がないと、絶対に理解できません。もう、一生、私は、元気が無いのです。、死ぬまで、ただ、生きてるだけです。
 戻るところが、無いのです。帰結するところが無いのです。遠距離通勤でもなければ、単身赴任でもない。戻るところがない。ず~っと、そばに居てくれてるはずの人が、まったく居ないんです。視線もない。声かけもしてくれない。
 夫婦げんかも無いし、夫婦けんかがないと言うことは、夫婦げんかするだけで、夫婦やからできることなんです。夫婦げんかできるのは、楽しいことなんです。それだけで、生きているということなんです。つまり、配偶者を亡くしたということは、半分、死んだも同然なんです。
 いつまでも、クヨクヨしてると思うかもしれませんが、配偶者を亡くしたその時から、いつまでもクヨクヨしてるんです。当たり前です。クヨクヨしていることが、ママさんに対する供養です。それをいつまでもクヨクヨしてたら、ママさんが、哀しむ?って、言う馬鹿者がおりますが、ママさんは、亡くなってしまいいているので、哀しんだりしません。それよか、もし私が元気にしてたら、ママさんが亡くなってるのに、ママさんが、居ても居なくても一緒かえ?元気なんかえ?おかしいやろ。元気にしてたら、だめなんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 キレイな姉ちゃんは、光野有菜(大阪府出身18歳):他のブログから、画像お借りしました。ろくでもない、中身の無いブログがある中で、お借りした画像のブログは、他の画像も良いです。

 

 

 

 

 

 

 

 ●ママさんは亡くなったので、ママさんはもう帰って来ません。

 

 

ママさん4年前、突然死んでもたわぁ~

 

 

 

ママさん突然死んでもたわぁ~ 

 

 

うぇ~ん  &・・&

 

 

 

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