「選択的夫婦別姓制度」を導入することについての議論は、導入に賛成する人が増えているという現実があっても、さてとなると法の壁は厚い。今回も最高裁大法廷(裁判長・大谷直人長官)は23日の家事審判の決定で、夫婦同姓を定めた民法などの規定は憲法24条の「婚姻の自由」に違反しないと判断した。2015年に初めて「合憲」とした大法廷判決を踏襲したままの結果に終わった。ただ、ここで少し気になるのが裁判官15人の男女の構成比だ。夫婦問題を議論するにしては、裁判官15人中女性はわずか2人だけというお粗末さ。これでは、男性中心の考え方にならざるを得ないような気がしてならない。また、今回「この種の制度のあり方は国会で論ぜられ、判断されるべき事柄」とも指摘しているが、これでは最高裁が正しい判断に直接介入せず、結論を国会に丸投げしたように見えなくもない。ただ、過去の一、二審にあった夫婦同姓は、「家族の一員と対外的に知らせる」「家族と実感できる」などと言う面では合理性があり賛同できる。

 

 この問題は法廷で判断されるべき問題かどうかも含め、基本的なことから社会全体でコンセンサスを得る必要があるのではないか。そもそも夫婦問題にどこまで国が介入すべきかだ。婚姻自体は夫婦の合意で成立するものであり、その結果として婚姻の届け出が存在する。ここで現行法では夫婦ともいずれかの姓に統一して届け出をしなければならないことになっている。最近では職業婦人も増え、いろんな分野で女性の活躍も目立ってきている。いままでは、結婚後圧倒的に男性側の姓を名乗ることが多かったが、これからは男女でよく話し合い、社会的認知度なども勘案して女性側の姓を名乗ってもおかしくはない。夫婦別姓への道はそう簡単ではない。当面、段階的な措置として、女性側の姓に統一しやすい環境を整備するのも一つの方法ではないか。夫婦別姓は当事者はいいとしても、将来生まれてくる子をどちらの姓にするかという問題も出てくる。もし、複数の子宝に恵まれたとき、夫の姓や妻の姓に分けた場合、子どもへの愛情に夫婦間で差が出てこないだろうか。家族としての一体感が失われないかも心配だ。また、別姓の乱発は、離婚しやすい環境をつくらないとも限らない。私は、どちらかといえば別姓は慎重にすべきだと思う。急がずいろんな角度から考えよう。