人間関係を掘り下げていくと、必ず利己的な動機にたどりつく気がしてしまいます。
いやいや、そんなことはない。自分とは無関係な人のためにボランティアしてる人だっているじゃないか。
でも、それはね・・・他人の不幸は蜜の味って昔から言うし、不幸な人をみて自分はまだ幸せな方だって思いたいのかもしれないよ。
自分より不幸な人をみると安心する人も多いしね。
それに、他人のためにこんなに親身に献身できる自分って素晴らしいっていう自己満足が得たい人も世の中にはたくさんいるんです。
いやいや、そんなことはない。一緒にいると普通なら凹むようなエリートとばかりいたがる人だっているじゃないか。
でも、それはね・・・エリートと一緒にいることで自分とエリートを同化させて、自分では努力せずに自分も偉くなった錯覚に酔っていたい人もいるだろうしね。
それに、こんなエリートと一緒にいられる自分は素敵な人間に違いないっていう自己満足を得たい人も世の中にはたくさんいるんです。
いやいや、そんなことはない。いつも自分と似た境遇の人とばかり一緒にいる人だって多いじゃないか。
でも、それはね・・・思考が行き詰ってくると自分の想定内の、もっと言ったら期待通りのリアクションをしてくれる人としか関わる余裕がなくなってくるもので・・・自分の周りは自分を肯定的に受け入れてくれるイエスマンばかりになるもんなんです。
自分の心の安寧のためには、心理的に負担となる人物は排除しないといけないからね。
だから結局人間関係は、当事者が精神的に又は物質的に利益を期待できないかぎり成立しないんだろうなって思うんですよ。
無条件に親身で優しいというのは少なくとも親族を除けばあり得ないのではないかと。
そして、このことをしっかりと認識していないと、”無条件に親身な”人間関係は構築できないのではないかと思いました。