ある時期から、国語科という科目において要求される能力が「論理」操作能力だけという考えに疑問が出来てきました。

 

確かに「論理」は言語の半面の特質ですが、しかし、一方において「感性」も大事だということに気付いたのです。

 

「論理」と「感性」は切り離すことは出来ず、文章読解において両面の能力が必要です。哲学者のカントは感性と悟性というふたつの精神能力を認めながら、このふたつの能力を繋ぐのが構想力(想像力)であると言っています。

 

だから、国語という教科において文学的文章と論理的な文章というように文章をふたつに分けることは出来ません。

 

まず、言語というものに感性的に十分触発されるということが読解の基礎になります。その上で論理操作能力が生きてくるわけで、もしも当該文章を十分に感性的なレヴェルで受容することができていなければ、論理操作も空回りします。

 

論理操作能力は教室で鍛えることはできますが、感受性というものは日頃の行いによって長い時間をかけて養っていくしかありません。

 

当塾では読書を愚直に奨励しています。皆さんどんどん読書をしましょうね。