どうも!ちっさいおっさんです。
正義感があるのは良いことだと思われがちです。
でも、私はこう思っているんです。
『正義は自分に問うものであり、人に押し付けるものではない。』
自分の中でどんな正義を持とうがそれは個人の自由だと思いますが、その正義を人に押し付けてしまうとそこに
「善悪の意識(対立の意識)」
を発生させてしまいますから、自分以外の者を悪に仕立て上げ、自分は善の仮面をかぶった存在に成りすますということができてしまいます。
だからいつまで自分の心の中での葛藤が終わらず、対人関係も小さな小競り合いから関係断絶というような事が起こってしまいます。
それも正義感を押し付けることによって争いを生み出している!争いの元凶は自分自身である!ということに気付くためですから、納得いくまで経験すれば良いと思いますが、確実に人には嫌われますのでそれは辛いです。
人に嫌われるのが3度の飯より大好き!なんていう人は殆んどいないと思いますから、嫌われて苦しい思いをすることはなるべく手放した方が良いですよね。
ま、『苦しむ』というのも人間にとって趣味のひとつですから、辞めろとは言いませんが、私自身もその趣味を一生懸命やってきたのでほとほと飽きましたし、疲れましたからもう終わらせたいと思っていますよ。
自分自身に対して「正義を問う時」も、その正義が自分を苦しめていないか?自分が正しいと思ってきたことは本当に正しさなのか?その正しさを自分に課してしまっているが故に苦しみを生み出していないか?といったことを考えてみることも必要だと思います。
『自分の中にある「正しさ」を疑ってみる』
ことは自分自身も生きやすくする意味においても、人の価値観や経験、考え方を受け入れる寛容さを養うという意味においても、とても重要な事だと思います。
自分が正しいと思っていることや、これが自分の正義だ!と感じていることって、疑ってみると意外と人から押し付けられたものの受け売りだったり、それを正義だと思い込んだ方が周りと同調をしているような錯覚を得て安心感を持ちたかっただけだったり…。
結構そういうものが多いのに気付いたりします。
この正しさによって一体誰が得をするんだろう?
この正義によって一体誰が得をするんだろう?
そんなふうに考えていくと実は傷ついている人の方が多かったり、楽しみや喜びを奪われるような結果になっていたり、怒りや恨みを買っていたりなんてこともあったりします。
そういったケースの方がむしろ多いかもしれません。
もし正しさが何なのかについて敢えて定義するとするならば、
『自分が自分らしくいられる状態』
こそが自分にとっての本当の正しさなのかもしれません。
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