上の写真は奇蹟というキーワードでヒットした画像です。最初にです次の3つの中看護師さんらあなたが奇跡と思うのはどれでしょう。①あと3日の看護師さん命ですといわれた患者の妻が神に夫の無事を祈願したところすべてが好転して、自発呼吸できないから手術はできないと言われていたのに妻の祈りの後、自発呼吸できるようになり無事手術も終わって救われたこと

祈り  

  .⓶の言う出血の後遺症で左半身麻痺で立ち上がっることさえ出来なかった人が3ヶ月のリハビリ後歩けるようになったこと

    ③水を口に含んだだだけでむせて食事処かまともにうがいすらできなかった人間がリハビリ後少しづつ食事ができるようになったこと私はこの3つの体験をしたのですが、どの体験ももスタッフの皆さんの並々ならない努力があったことは言うまでもありません。以前にも書いたのですが、半年ぶりに食事をしたとき、口の中で味覚が覚醒し、口で食べることのすばらしさを実感したことを今でも忘れることはできません。3つの体験がどれも素晴らしい体験で私にとってはどれも奇跡と呼ぶに値する体験ですが、私は同時にある違和感をづっと感じているのです。この3つの体験に共通していることがありますそれは、人はあるかけがえのないものを失いそうになったときそれ無事それが返ってきたときだけそれを奇跡と呼ぶのです。また本人もそういう状況でない限りそれが奇跡だとは感じないのです。つまり、

①でいうとている人は、例外なくすべての人が、命を持って生き生きいるのに、ふだんそれが奇跡だとは感じていないのです。生きていること、生活しているることを当たり前のこととしか考えていないのです。②歩くことは誰でもできるし当たり前だと思うかもしれませんが、私は見守りなしでは一人で歩くことすら許可が出ません。左脚が引っ掛かり転倒しそうなのです。リハビリの間理学療法士さんがどう歩けばいいかをひとつづつわかりやすく説明してくださるのですが私もそうでしたが、普通の人はどう歩けばいいかなんて考えたこともないと思います。足を振り出した時しっかり体重が載っていなければ反対足は振り出せないとか、何度説明を受けても頭で理解しても実行できんないのです。平行代の中で体重移動をしたり、リフトで吊るされて倒れないようにして歩行訓練したり、ロボット工学のホンダ製アシストという機械をつけて歩行練習したり、とにかくいろんなことをしながら以前は当たり前にできていたことを目指して装具と杖の助けを借りてやっとき歩行できるようになるのです。健康を失わない限り人はこの当たり前が実はすごい奇蹟であることに気づきません。

   ③脳出血問誤嚥性肺炎を患い食事ができなくなった私は最初胃ろうにより管で直接栄養分を胃に送っていました。初めて言語聴覚士さんからリハビリを受けたとき、飴玉をなめたりゼイーを食べることから始まるのですが嚥下力がないために口の体操やベロの体操をしました。私は最初あっかんベーができませんでした舌を出すことすらできなかったのです―を飲み込む練習をしたときまともに呑み込めなかったことを覚えています。リハビリ病院に移り毎日地味な練習が続きました「お口体操」をしたりぺっこパンダで下の絶圧を鍛えたりとにかく地味な練習を毎日続けたのです、これには、STの先生だけでなく看護師さんや歯科衛生士さんの手伝いがあったので続けることができました、地味な練習がひたすら続きました。そのおかげもあり少しづつ,ペースト食かららきざみ食、軟飯・そして最後に普通食とステージが上がっていきました。

ペコパンダペコパンダ

 

 

 

普段食べるという行為を当たり前だと思っている人には、それが奇蹟だと感じるははずもありません。「歩くことができるからこそ人は大切な人のところに歩いていけるのです。食べそることができるからこ妻のおいしい料理を味わうことができるのです。リハビリ病院で私はと同じような軌跡を体験した人をたくさん見てきました。私たちのように奇跡を体験した人は一様に生きていることのすばらしさを実感しています。そして、奇跡を体験した人はそれを伝えることが使命ではないかとも思っています。安城プレゼントをもらったらその人にありがとうと感謝の言葉を表しますが、命をいただいたことは誰に感謝すべきでしょうか、最近知り合いの旦那さんがなくなられて、その方が「のりさんあなたは命をいただいたのよ、わたしのだんなさんはゆるされなかったの」と、神の話を出すと皆嫌がりますが、命をいただいたことを感謝する相手は、絶対者・騒動主創造主、神と言葉はちがえぞすべての文化に宗教として根付いていることは否定できません。私は今生きていてほんとによかったと感じています。生きていればつらいこともたくさんあるれど楽しいこと素晴らしいと感じることの方が圧倒的に多いのです。生きているからこそ人と喜びを共有できるのです。生きててよかった、私はこの体験を子供たちにも伝えていきたいです。そしてこれからの私のは「子供たちの夢の実現のお手伝いをしそれがかなった時の喜びを共有することです。退院後まもなくして昨年の卒業生たちがあいさつに気trくれました、みんな夢かなってゆきたい鋼y校に進学することができ先生のおかげですと喜んでいました。人と喜びを今日y通できることこそ生きていることの証醍醐味であると思います。今年生徒はずいぶん減ってしまったけれど私はこれからも池田塾を通して生徒と触れあっていきたいです。そして彼らの夢の実現のお手伝いをしながら、彼らと夢がかなった喜びを共有したいと考えています