大衆って確かに強いんだけど、ものすごく下らないよね。
そんな風に思うことってないかな?
大衆の中にいる安心感を主張したりする人もいるし、所詮は数が多いほうが勝つんだ、なんていう人もいる。
ちなみにここで社会的に生き残れるかどうかを論ずるつもりは一切ないので。
たとえば世論とかあるよね。
あれはそういう考え方もあるっていう参考になるだけで(別に参考にもならないのだが)なにも意味はないよ。
ニュースのコメンテーターと一緒でね。
ニュースなんか事実だけ報道すればいい。
その面ではNHKのニュースとかは好きだな。
民放だとわけのわからんとこに限ってクローズアップしたりするから腹立つわ。
殺人事件の容疑者の周りにいた人に対するインタビューとか(どうせみんな同じようなことしか言わないくせに)、「容疑者のよく行っていたゲームセンターです。」って紹介とかアホかって思っちゃう。
多数の中に溶け込むことって自分のなかで納得できないとこがあって何が面白いのかなって思う。
僕がまったく多数に流される面がないのか、と言われればそうではないのだが。(これは矛盾していて悩むとこではある)
もちろん流行とかを少なからず意識することもあるけどそれは若さなのかな。
まだまだ世間体を気にするお子ちゃまだからかなって思ったりもする。
でも人と同じことをして満足をすることは決してないし、それを満足と思っていたら自分の存在がそこで終結してしまうだろうから違うなとは思う。(すごい一般論すぎて書いたのも後悔)
僕にはここは譲れない(人より上に立っている)と思うことはある。(ここでは書かないが)
その点においては絶対流されない自信もあるしね。
僕の価値観を押し付けるわけにもいかないのであくまで参考に。
まだまだ書きます。
差別について。
男女差別についてよく運動が起こったりするのを見たり聞いたりする。
よく聞くのは「女性の地位向上を!」とか男女を平等に扱おうというもの。
その考え方、おおいに結構。
でもね、そういうのって完全な平等にはならないと思うんだよね。
体のつくりは違うし、それに伴って身体的にできることとできないことがある程度存在するから。(ここでは平均的身体能力を持つ男女を比較している)
では精神的な問題ではどうか。
仕事ができるできないとかそういう面では今日においては改善されてるといえよう。
活躍してる人はいっぱいいるからね。
でもステュワーデスをキャビンアテンダントに変えたりスポーツマンとかをアスリートに変えたりするのは意味のないことじゃないかなって思うんだよね。
その女性が有無を言わさず斥けられていた時代を僕は経験してないから、女性の地位引き上げにやっきになる人たちの気持ちを理解するのは難しいことだとは思う。
僕が言いたいのは男女差別撤廃を声高に叫んでいる人に限って男女差別してるんじゃないかってこと。(性差に関する偏見をより多く持っているんじゃないかってこと)
これって物事をよく見すぎると逆に何も見えなくなってしまうというような矛盾と似ていて笑っちゃう。(怒られるかもしれないけど)
なんか行き過ぎを感じるんだよね。
「男なのにこんなことも出来ないの?」とか聞くとあれあれって思っちゃうよ。
今までに男が差別したって言われてることと同じ数ぐらい、女だからってことで得してることもあると思うから一概には責められないと思うな。
いい思いするとこだけは残して悪いことはぜんぶやめさせるってとこにもずうずうしさを多少感じるけどね。(それともそういう女性はレディーファーストも受けないし世間一般のクリスマスなどの行事で見られる男性からの好意もすべて断るのかな?)
僕はあまり男女の枠にとらわれて物事を考えたりはしてないのだけれど、いい方向に捉える差別ってのはありなはず。
人を大した理由もなく拒絶したりすること。
そういうことが意味のないことだって思ってるし大事なのはどんな考え方をしてるかってことだと思ってる。
最後はまた一般論的になってしまったが、個人的な話として「女性らしさ」ってのは失くさないでほしいんだな。
これも差別になるのか分からないけどやっぱり男と女は違っていいんだと思う。
それを差別うんちゃらで騒ぐってのはどうもね、好きじゃない。
なんだか思ってることをちゃんと書ききれてないけどしょうがないか。
議論したい人は言ってくれれば応じますので。
本当は男女だけでなくほかの差別についても書きたいんだけど、また今度気が向いたらにしようかな。
書きたいだけ書いて読みづらくなったことを謝ります。
そんな感じ。