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琉球諸島を文武両道でおさめた王 尚真王について。

身内だから語れる、尚真王の愛妻事情。

私の先祖は尚真王と今帰仁美人の高級神女祝女(ノロ) 儀保大阿武志良礼(うふあむしられ)との子。大阿武志良礼とは、王の腹心の神官 聞得大君の懐刀としてのナンバー2の神女 大阿武(母)志良礼 尚真王とノロの儀保大阿武志良礼との恋愛事情で生まれたが、池城安基 後の大新城親方安基である。
尚真王と儀保祝女(ノロ)との出会いの場所がいろいろと語られている。
一番のスタンダード(池城家での伝承)は 土木建設のプロで有る、尚真王が北部の要港の改修工事の視察の為に今帰仁に宿泊巡回した、その時に今帰仁美人の祝女(ノロ)と再会した。儀保大阿武志良礼は若い頃、先祖が北山の今帰仁城の城主(後の北山王)だったので、首里に上がり、聞得大君の配下として、琉球諸島の安寧を王の守護神 弁財天を弁ヶ嶽で祈っていた。その時に若君 尚真王と儀保大阿武志良礼との出会いが合った。
今帰仁美人の祝女(ノロ)に心をトキメカシタ尚真王は儀保大阿武志良礼を恋人として、妾にした。
儀保大阿武志良礼は神女としての務めをしながら、尚真王と合い挽きを重ねた。
尚真王の子を懐妊したので、聞得大君の腹心(ナンバー2)を辞して、古里の今帰仁に帰った。今帰仁で北部の安寧を祈る、 儀保大阿武志良礼としてのノロの務めに励んだ。
古里の今帰仁で男子を産んだ 儀保大阿武志良礼は我が子を9歳迄 手元で育てた。尚真王は儀保大阿武志良礼との子に名前を授けた。
北部の神聖の拝所イビ(神域)の名 池城の名前をその子は名乗りなさいと 儀保大阿武志良礼の子は尚真王から名前を拝名した。
9歳に成ったら、池城安基は首里に呼ばれた。
首里城で奉公に励んだ、安基は首里王府のナンバー二の地位、三司官まで出世した、新城の地域の発展に尽くしたので名前を大新城親方池城安基にした。
この史実は大新城親方池城安基の身内だから語れる話しで有る。私達 池城家の中では 若い頃の尚真と聞得大君の副官の神女は恋愛関係に落ちた、儀保大阿武志良礼が尚真の子を懐妊したから、首里城を辞して、古里の今帰仁に帰り、そこで安基は生まれ、尚真王から、池城の名前を拝名したと語られている。

この秘話は身内だから語れる歴史秘話で有る。