安核については、長男の家譜も存在するとされています。大濱永亘氏は、その安核の長男の家譜を調べ出し、安核を長男として池城家の家譜を発表しました。しかし、この家譜では、新川一番地の安核は次男筋として記されています。
私たちは黒島の名に縁があります。黒島の役人に就いた安忠が、この家譜では長男系となっています。安忠の住所は宮良殿地(みやらどんち)の隣にありました。
幼少期の記憶と先祖の土地
私が子供の時、一人のユタ(霊媒師)が訪ねてきて、言いました。「宮良殿地の隣にある○○病院の敷地は、貴方達の先祖の土地だから、貴方達が病院の跡地を買いなさい」と。
そこは、毛裔氏(もうえいし)初代、宮良親雲上(みやらぺーちん)池城安英の屋敷であり、二代目の安師(あんし)の殿地でした。その病院の跡地には、「池城殿地の跡地」と記された石碑があったそうです。
(補足ですが、明和の大津波の後、四箇町(しかまち)は一度高台に移転しましたが、その後、皆の意見を聞いて元の地を再開発したとのことです。)
毛裔氏長男系の住所は大川が本拠地です。しかし、繰り返しますが、この家譜では安忠が長男系になっています。
新川一番地は養子を入れて、何とか本家の体面を保っていた状況です。一方、安英の母の地元の小浜島の住人は、私達の系統を安政系を長男系と認識しています。
池城家の因縁と長男・次男のすり替え
このように、長男系と次男系のすり替えは、池城家の因縁に深く関係しています。
初代、**大新城親方(うふアラグスクうぇーかた)池城安基(いけぐすく あんき)は、尚清王の遺言を重視し、尚清王の愛妻の子である尚元**を王に推し上げました。その結果、尚清の長男は失意のあまり、石垣島に隠居し、遁世しました。
母・松子(まつこ)が私に語った話です。「池城の先祖は王の長男を排除し、次男の尚元を王にした。だから、この尚清王の長男の怨念を引き継いでいる。しかし、私達の代で、この因縁を解消した」と。彼女は、幼い私に「今までは『池城の長男はひ弱』という伝統があったが、私達が池城の因縁を解消した」と誇っていました。
つまり、この尚清の長男の怨念を解消するために、あえて長男系と次男系を入れ替えるという行為が行われたのです。
尚清王の長男への配慮
毛裔氏二代の安師の時代、石垣島に来た**尚清の長男(長興氏)の善安(ぜんあん)に、池城家の領地である西表島の古見(くみ)**を与えています。さらに、安師は善安の娘を後妻に迎えています。
安師は、尚清の長男が石垣島に遁世したことを悲しんだのかもしれない。
母・松子はこうも言いました。「石垣(の城壁)は乗り越えられても、人間だけは乗り越えられない。必ず、人を軽んじた報いは受ける。人間は馬鹿にされたら必ず仕返しをしてくるものだ。また、馬鹿にされたら益々努力する」と。
だから、「石垣を乗り越えても、人間だけは絶対に馬鹿にしてはいけない」と私に話しました。
その教えを守り、私が人を馬鹿にしないからこそ、宮古(みやこ)の人々も糸満(いとまん)漁民も、私の話を聞いてくれるのだと、母は私に告げました。
琉球王家と池城家の関係
尚清の長男は尚禎(しょうてい)。石垣島に遁世し、長興姓の元祖である善安に名を改めました。
尚清の次男は、第二尚氏王統の**第5代国王、尚元(しょうげん)**となりました。
この尚元の妻は、池城家の首里本家二代目の安棟(あんとう)の娘が正妻となります。
この尚元王と池城安棟の娘(王妃)からの子の系列が、尚寧王(しょうねいおう)以降の琉球王家の系列へと繋がります。
これにより、池城家は代々の王家の叔父という立場が確定し、琉球王府内での地位を確立したのです。
(※尚清王は尚真王(しょうしんおう)の五男です。)