菅野彰さんの観劇エッセイ『非常灯は消灯中』にて『朝彦と夜彦1987』が扱われたと聞き、ブログやツイッターでは言い難いことが書かれているに違いないと決めつけ、初めて小説の月刊誌を買いました。これを知ったきっかけはおーちようこさんのツイートでした。あ、ちなみにおーちようこさん著作『舞台男子』を強力に推していますので是非お買い求めください。ちなみに今回触れる観劇エッセイは『小説WINGS冬号』に載っております。そちらも是非。

このエントリーを観劇枠に入れてもいいのか、その前に3月頭に観た『引退屋リリー』について書くべきではないのかとも思いましたが、私につかこうへい作品をどうのこうのと語るだけの素地が私にはないのでやめておきます。多分理解も出来ていません。何年か経って、作品の持つ力と私の持つ理解力とが戦えるようになったら書きます。
それはそうと語りたいことがあるのです。だから語ります。まだ在庫がある商品なので、商品価値を落とすようなことはしないように心掛けます。



まず私は桑野晃輔・法月康平ペアの千秋楽しか観ていません。つまり松田凌・松島庄汰ペアのことは語れません。悪しからず。

儚く美しく現実感のない夜彦。一人だけならファンタジーになってしまう、かもしれない。だがその隣には、脳内の独り言も回想もその気持ちも全て口から出しているにも関わらず「この人はここにいる」と感じさせる朝彦がいる。だから私は『朝彦と夜彦1987』の妄想炸裂トークにてああいう結論に至ったわけです。
まあ、エッセイ内にて菅野さんは観た人の正解がそれぞれ正解だと仰っておられましたからね、私の妄想炸裂トークも一つの正解だと!そういうことですよ!やったあ!まさか脚本家からOKが出るとは思いませんでしたよ!よっしゃあ!!

しかし、松田松島ペアが全く違う演出で行われたことはぼんやりと知っていましたが、そこまで違ったとは。私の感覚と全く被らない感想を見かけると必ず異なるペアの表記があったので推測はしていましたが、そっちも観たかったなあ…お金が無いって悲しいことですね…

さて、ここからは私が自由に語ります。エッセイの内容?買って読めばいいじゃないですか。3桁ですよ。千円札一枚出せば買えますから。

桑野晃輔さん。また観に行きたいなあと強く思いながらも金欠時にばかり出演作が上演される謎の運の悪さによって『朝彦と夜彦1987』以来観られていません。現在、『人間風車』が気になっていますがお金がありません。ううっ…
桑野さんが膨大な量の台詞を疲れも見せず――これは「役者としての疲れ」の話です。朝彦(30)としての疲れは常に漂わせていました――喋り倒していたことには、全く驚きませんでした。つかこうへい作品で、誰も彼もが怒涛のように台詞を撒き散らしていく中に生きる桑野さんを観たことがあったからです。瞬間湯沸かし器のようにぶち上げたテンションをすっと平常時に戻すことにも長けていました。くぐってきた修羅場の数が、刀語風に言うならば、くぐってきた修羅場の質も違うのでしょう。
2.5次元ミュージカルを通った20代半ばの若手俳優、なんて簡単な括り方をすると客席で痛い目に遭います。言い方に気を付けずに言いますが、そういう括り方をすると大半が見目麗しさが取柄の若さを失ったらどうなるんだろうこの人と思わされる俳優になるでしょう。まず桑野さんが見目麗しいかと言われれば違うでしょう。ファンの方、すいません。ただし桑野さんはとんでもなく可愛い。ぐっと心を掴まれる。観客の年が近くとも、一度も目覚めたことのない母性本能を引きずり出すような可愛らしさがある。それを朝彦(30)を演じている時は全く感じさせず、朝彦(17)を演じる瞬間に思い切り振りまく。一生懸命に夜彦(17)の相手をする朝彦(17)を愛おしく思う。そして癒される。この子を守ってあげたいと思う。そして、その朝彦(17)が大切に思う夜彦のことも守ってあげたいと思う。
終始私は朝彦というフィルターを通して夜彦を見ていました。夜彦目当てだったのにも関わらず。それくらい桑野さんの演じる朝彦は確立していて、信頼を置ける存在だったのです。朝彦はここに生きているのだと、何の疑問も持たずにそう思い込めるだけの力を桑野さんは持っていました。

法月康平さん。私の推しTOP3のひとりです。そして前述した「2.5次元ミュージカルを通った20代半ばの若手俳優」と括った時に「見目麗しさが取柄」と思われかねない俳優です。確かに法月さんは美しい。夜彦を演じている時は殊更に美しかったです。けれどそれは、どの作品でも発揮されるものではないのです。時には可愛く、時には色っぽく、時には男臭く、人間に感じられない時もあれば、痛々しいほどに人間を感じさせてくる時もある。振り幅が大きいため、何度観ても満足させてくれない人です。「ああ、この人のタイプが分かったぞ!」と思う瞬間を与えてくれない。だから何度も観に行ってしまう。そういう俳優です。
たった一度、もしくは二度、三度であっても法月さんの魅力をスルーしてしまうことはあります。菅野さんもそう仰っています。常にスマートに得意分野に当てはまることをこなしている、そう見えてしまう人です。私も初めはそう思っていました。それを覆されたのは、仮面ティーチャーを観た時。観ていた時と言った方が正しいかもしれません。公演期間中、毎日劇場に通うという私史上初の行為。初日には、地方公演の映像と比べて進化した様を、そして毎日、少しずつ研ぎ澄まされていく姿を観ました。そこに、菅野さんの言葉を借りるならば「愛」を感じたのです。その千秋楽から1ヶ月足らずで法月さんが挑んだのが、そう、夜彦です。
仮面ティーチャーで法月さんが演じたのは「頭脳派」と言いつつも高校生らしい詰めの甘さを見せる根は素直なヤンキー。夜彦は同じ高校生でありながらも、おそらくは発達障害の不眠症で鬱でかまってちゃんな面倒臭い問題児。見た目も話し方も歩き方も何もかも違う人に、当たり前のように「成る」。この恐ろしさ。俳優なんだから当たり前だろうと思う方はもういいので、ウィンドウを閉じてください。桑野さんが朝彦としてその場に「いる」ことも、法月さんがヤンキーからひと月足らずで夜彦に「成る」ことも、当たり前ではないんです。

菅野さんにとっては推しではなかった二人。しかしエッセイにおいては、ほとんど手放しで褒めていらっしゃいました。松田松島ペアにおいてもそうです。特に法月康平推しの私にはとても嬉しい言葉と、マイナスイメージに対する共感から零れる苦笑いと、深い同意がありました。私も彼を○○だと思います。他の人とは少し違う、何が違うんだろう、どこが私の心に刺さったんだろう、そう考えた先で辿り着いた答えとぴったり重なる言葉でした。

そして最後に、演出の中屋敷法仁さんの言葉に関して。ここだけは抜粋させて頂きます。
「その劇場の階段を駆け足で上がって行きたくなるような、そんな舞台にしたいと思いました」
『朝彦と夜彦1987』は重たい話です。私もお腹の中に鉛を落とされたような感覚になりました。けれど、赤坂RED/THEATERの階段を上るその足は、下りてきた時よりも軽くなっていたのです。
これも前のエントリーで書いた話ですが、私は赤坂RED/THEATERそのものにちょっとしたトラウマがありました。当時一番好きだった俳優さんを最後に観た場所だったのです。彼をまた観る機会が来るのか、それは未だに分かりません。私は彼が輝いていたその場所に行くことに抵抗を感じていました。いっそ忘れてしまおうと、彼に関するものを全てしまい込み目に触れないようにしていた頃のことです。彼を観た劇場になんて行こうものなら、気持ちがぶり返してしまうのではと恐れていました。当然、足取りは重くなります。駅から劇場へ、階段を下りて場内へ入り座席につき目を上げると、舞台装置が全く異なるにも関わらず浮かんでくる彼の姿。しかし開幕して数分でその姿は消え、朝彦と夜彦が生きる姿を全身で受け止める自分がいました。
これが脚本の力なのか、演出の力なのか、はたまた役者の力なのか、私にはわかりません。ただ確実な記憶として、閉幕後に私が舞台上に見たのは、ぽつんと置かれた事務椅子の周りを動き回っていた朝彦と夜彦の残像でした。彼の姿は、どこにもありませんでした。
さすがに駆け足で上がって行きはしませんでしたが、私は随分と軽い足取りで、まるで上から吊られているかのような感覚で階段を上って地上へと出ました。私は『朝彦と夜彦1987』が赤坂RED/THEATERで上演されたおかげで、自分を縛る後悔から解き放たれたのです。朝彦と夜彦を心から愛おしく思えたから、その変化が起きた。それは私にとって揺らぐことのない事実です。中屋敷さんの望む形ではないかもしれませんが、私にとって『朝彦と夜彦1987』は足取りを軽くする効果を持った作品でした。

余談ですが、私が本格的に法月さんを推し始めたきっかけも『朝彦と夜彦1987』です。既にハマりかけてはいたのですが、法月さん出演と知って無理を押して行き、私のどうしようもない気持ちが晴れたことが大きな要因となりました。だとすれば一番好きな俳優という枠には法月さんが、と思われそうですが、それは違うんですよね。ごく簡単に言うと、法月さんは私の好みから結構離れているのです。それなのに強く惹かれるからこそ法月さんは○○だという結論が出るわけで…



締めに、冒頭に購買を勧めた『小説WINGS冬号』と『舞台男子』のリンクを貼っておきます。是非!是非是非!!

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