平成27年5月5日
(火) 第4日目 ②
一の谷庵を出て左方向に進み、小高い丘を竹林の遍路道で越え、交差点で左折すると極楽寺の石垣と山門が見えてくる。
13:15 第十六番・
極楽寺に着く。
一の谷庵より0.7km。
本尊 阿弥陀如来
阿弥陀如来真言
おん あみりた
ていぜい からうん
御詠歌
怠らず 願へばいたる 国にこそ
蓮のうてなは ありというなれ
山門
寺の正面に立つと山門までの参道の脇は畑で、畑の脇には寺に面してソテツが並んでいる。
山門直前の参道脇には池が在り、極楽橋が架かる。山門の柱には獅子や象の珍しい彫刻がされている。
本堂
極楽寺はその昔は神懸山麓、妙見神社の山上に在り、寺号を成就寺と称したが、火難を受け、二度三度と再建された。
修行大師像
その後、元和年間に念仏孫エ門、念仏庄次郎という二人の篤信の信者が居て、大師修行の地と伝えられる現在地に当寺を移し再建されたと伝えられる。
本堂内には賓頭顱尊者像が安置されていると云われるが分らなかった。
鐘楼
境内には貴重な宝篋印塔がある。鎌倉時代の様式を伝えるもので町指定の文化財である。塔身が球形であることから、俗に球心印塔という。境内には他にも多くの石仏もある。
参拝を終えて、大木と田んぼの間の道を通り過ぎて民家の間を抜けると、建物が2棟見える。
13:40 第十五番・
大師堂に着く。
極楽寺より0.6km。
本尊 弘法大師
弘法大師 真言
南無大師遍照金剛
御詠歌
現し世は ただしばらくの 旅なれば
はるけき後の ミオヤ頼まむ
大師堂
庵には大師堂と阿弥陀堂の2棟の堂宇が在り、昔は別名であったが現在は大師堂と呼ばれ、弘法大師が本尊として祀られている。
鐘楼
大師堂を発ち、清見寺に向かう。海の方角に500m程南下し、広い町道で右折して片城川を渡ると立派な鐘楼門が見えてくる。
14:15 第二十一番・
清見寺に着く。
大師堂より1.9km。
本尊 不動明王
不動明王真言
のうまくさんまんだ
ばざらだん せんだ
まかろしゃだ そわたや
うんたらた かんまん
御詠歌
世々の塵り 心に積もる 濁り水
清見の寺に 澄ませ都る哉
鐘楼門
清見寺の鐘楼門は江戸時代建立と云われ、その造りや施された緻密な彫刻が歴史を感じさせる。境内に入ると正面に本堂、客殿、庫裡が並んで建ち、右手の奥に大師堂が建っている。
本堂
寺伝によると天平10年(738)、行基菩薩によつて開基され、のちに弘法大師が留錫して堂宇を建立したと伝わる小豆島屈指の古刹だある。
その後、後白河法皇の勅願寺として再興され、壮大な寺領が寄進されたと云われる。本尊・不動明王は興教大師の作と伝えられる。
毎春恒例の柴燈護摩供では、護摩焚きの残り火で無病息災を祈りながら歩く火渡りが行なわれる。
清見寺から左手に進み県道29号線に戻り、左折して港の方向に歩く。すぐに右折して小道に入って、井戸のあると処から坂道を抜け、石段を登ると峯之山庵がある。
14:30 第二十二番・
峯之山庵に着く。
清見寺より0.5km。
本尊 千手観世音菩薩
千手観世音菩薩 真言
おん ばざら たらま きりく
詠歌
み仏の 御手に引かれて 登る身
に 仰ぐもうれし 峯の古寺
峯之山庵
庵を正面に見て、左手に鐘楼、大きな桜の木、右手に立派な石碑と墓石群、
日切地蔵尊の小堂がある。
鐘楼
縁起は不詳であるが、庵には千手観世音菩薩が祀られている。小高い処に位置して眺望が開け正面に内海全域が望め、西を向けば星城小学校の校庭の向こうに23番本堂が見える。
峯之山庵から小学校の横を通り、本堂に向かう。
14:50 第二十三番・
本堂に着く。
峯之山庵より0.3km。
本尊 釈迦如来
釈迦如来真言
のうまく さんまんだ
ぼだなん ばく
御詠歌
栴檀の 煙は夜半に 尽くしかど
御法の声は なほも絶えせず
参道の石段
石段を登ると広い境内に歴史を感じる本堂が建ち、左手に鐘楼が建っている。
境内がそのまま裏山と繋がっていて、庵はが山の中にあるように見える。
本堂
本尊は恵心僧都作と伝わる釈迦如来が安置されている。もと福田八幡宮の別当寺であった東光寺の本像が遷座された。
本堂の由来は、東光寺の寺格を尊んでの呼称ではなかったかと云われる。
鐘楼
参道の石段脇にイチヨウ(一葉)という樹木がある。ヤマザクラ群サトザクラ系の栽培品種のひとつ。
イチヨウ(一葉)
江戸時代後期から関東を中心に広まっていたもので、雌シベが通常一個で、その下部が緑色の鋸歯を持つ葉状に変化していることから、この名で呼ばれている。花は初め淡紅色で、後に白色に近くなる。
花期は4月下旬。
参拝を終えて、国道436号線に出て西の方向に進み、清水バス停から遍路道に入り道標に従い進むと安養寺がある。
15:25 第二十四番・
安養寺に着く。
本堂より1.5 km。
本尊 如意輪観世音菩薩
如意輪観世音菩薩真言
おん ばらだはんど
めいうん
御詠歌
御仏の 御手にすがりて 歩むかな
六つの巷に 迷うこの身は
鐘楼門
鐘楼門の左に平成元年に新築された本堂、左に平成元年に新築された大師堂、地蔵堂が建っている。
本堂
開基は行基菩薩と云われ、寛文6年に再興されたと伝えられる。
寺宝に3.5㎡もの大きさをもつ、金糸刺繍の二十五菩薩来迎曼荼羅(阿弥陀如来来迎図)がある。
人がこの世を去る時に、西方浄土から阿弥陀如来が菩薩を伴ってお迎えに来る様子を表現している。
大師堂
安養寺の周辺や境内には、椿や梅、桜が季節折々の花を咲かせて訪れる人々の目を楽しませてくれると云わせる。
境内の椿は樹齢200年以上の物も在り、町の天然記念木に指定されて「椿の寺」とも呼ばれている。
また、小豆島霊場名所案内記(大正3)には「当村落は古より日方の梅林とて梅の名所にして、花の盛りは雲の如く雪に似て、清香馥郁として日方の天地に満ち、爽快言うべからず」とに記されている。
誓願寺庵への遍路道
安養寺の山門から向かって左に曲がり、壁沿いに進むと梅林とみかん畑の間を通り、小山の麓を登ると誓願寺庵がある。
15:30 第二十五番・
誓願寺庵に着く。
安養寺より0.4km。
本尊 薬師如来
薬師如来真言
おん ころころ せんだり
まとうぎそわか
御詠歌
世を救う 仏の誓 願うなり
罪深き身も ここにもうでて
誓願寺庵
昔は誓願寺という寺であったと云われ、本尊は安阿弥作と伝わる薬師如来が安置されている。境内から内海湾が一望できる景勝の地である。
足掛地蔵
二十七番・桜ノ庵への遍路道を200m程進むと大師の水と呼ばれる「阿弥陀寺奥の院」がある。
旱魃時も涸れたことがないという井戸であり、飲むことも出来る。
阿弥陀寺奥の院
大師の井戸
15:55 第二十七番・
桜ノ庵に着く。
誓願寺庵より0.7km。
本尊 十一面観世音菩薩
十一面観世音菩薩 真言
おん まかきゃろにきゃ そわか
御詠歌
世を救う 誓いの海の 水清み
頼む心も 澄みわたりけり
桜ノ庵
建物は小高い処に建っている。庵の名前は境内に「虎の尾」と云われる珍しい桜の木があったことに由来し、本尊が観音様なので桜の観音とも云われる。
「虎の尾」は花弁が重なるように咲き、花の中にもう1つ花が咲いているように見える珍種で、福島県の会津五桜のひとつ、法用寺の桜と、京都・清水寺の市原虎の尾が有名である。
小豆島霊場名所案内記(大正3)には「境内の桜は虎の尾と称して見事なれば、花の盛りには招かざれども賞観の客にて賑わし」と記されている。
ウズザクラ(渦桜)
また、境内の片隅にウズザクラ(渦桜)という樹木もある。ヤマザクラ群サトザクラ系の栽培品種。
明治期の東京・荒川堤あったものがに広まったとされ、20~30枚の花弁が渦巻いたように並んでいることからこの名がある。
花弁はごく薄い淡紅色で、散る間際の雌シベが赤くなる。花期は4月下旬。
桜ノ庵から少し下って、右折すると直ぐの処に阿弥陀寺がある。
16:10 第二十六番・
阿弥陀寺に着く。
桜ノ庵より0.1km。
本尊 無量寿如来
無量寿如来真言
おん あみりた
ていぜい からうん
御詠歌
疑わず 誓いの船に 乗りえなば
苦しき海は 波風もなし
鐘楼門
鐘楼門を潜れば、近年新築された風格のある本堂が建ち、左手に大師堂が建っている。
本堂
寺伝よれば、天平年間(729~)行基菩薩が開基して、本尊・阿弥陀如来を安置したと伝えられる。
大師堂
境内には大正天皇が皇太子時代に訪れたことを示す駐蹕碑がある。
明治39年、皇太子は呉軍港より内海湾に寄航し、東郷海軍大将らを従えて上陸された。2時間ほど散策した中、阿弥陀寺にも立ち寄り境内から海を眺められたと云われる。
参拝を終えて、近くの「道の駅・オリーブ公園」の東屋にテントを設営して野営する。
第4日目の歩行距離
21.0キロ
計 93.3キロ