土佐 第3日目 田野町~神峯寺~安芸市内 | 四国八十八カ所 お遍路日記

四国八十八カ所 お遍路日記

お遍路日記・感謝と合掌の遍路道

   平成27年10月21日

       (水) 第3日目

 奈半利川を渡り田野町に入る。田野町は土佐湾に面し、東西2.2km、南北4km、総面積 6.56k㎡の四国で一番狭い田園の町である。

   田野町に限らないが市街地は歩道が傾いている所が多く歩き難い。

  歩道が車道より一段高くなっている場所では、道路脇の民家やガレージからの自転車や車が出入し易いように、歩道を傾斜させて車道への段差をなくしている処が多い。自転車や車にすれば小さな坂に過ぎないが、それを横切っていく歩行者にとっては、それは左右に傾斜した斜面になる。

   高さ10数cmの傾きと云えど、右足と左足のつく高さが違うというのは、実に歩き難い。元気なうちはいいが、疲れた時は上半身が傾斜に負けてよれよれし、そうすると足に必要以上の負担がかかる。

   場所によっては、次々とそういう傾斜が頻発して、まるで波打っているごとき歩道がある。極端なかまぼこ形の道も同じである。

   しかし、最近に改修された道路は歩行者に配慮して、車道と歩道に段差がなく縁石で区画されている処が多いので助かる。

             福田寺本堂

         

  田野町の国道沿いに福田寺という寺があり、境内に「二十三士顕彰碑」や武市瑞山の銅像がある。

             二十三士の墓

         

   顕彰碑の説明板には、

江戸で薩長の志士と「尊皇攘夷」の運動に立ち上がる約束をして、土佐に帰ってきた武市瑞山は藩内の同士と土佐勤王党を結成した。

   そして、「公武合体」の藩論を「尊攘」に転換さすべく建議し、成功するかに見えた矢先、文久3年8月の政変で水泡に帰した。

           武市瑞山の銅像

         

   藩主山内容堂の頑固な公武合体と藩の上層部と長宗我部の遺臣、上士と下士の対立感情も底流に働いて、次々に弾圧の嵐が吹き武市瑞山も獄中に捕らえられ、勤王の目的は挫折した。

  藩内七郡相呼応する結束も次第に崩れ、清岡道之助を首領と仰ぐ安芸郡下の二十三士だけとなり、岩佐の関所から藩庁へ「藩政改革 ・攘夷 ・ 瑞山の釈放」の嘆願書を差し出した。

  しかし、藩より反乱を企てる不逞の徒として討伐の兵を送られ、志士は阿波で捕われて、岡地の獄舎で一夜を明し、唯一度の取調べも無く、元治元年9月5日、奈半利川を朱に染め節議に殉じた。 

   二十三士が処刑されて3年後、明治維新の大業が成り、明治10年遺族に族禄が復活され、明治24年に贈位の沙汰があった。

   明治30年かつての同士で、当時の高知県知事の発議により、この碑が建てられた。

          道の駅・田野駅屋

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   「土佐くろしお鉄道」の田野駅に「道の駅・田野駅屋」がある。この「道の駅」は「田野駅」と一体となっており、地元の特産品が集まる直販コーナーや軽食コーナーを併設し、小さな田野町の総てが凝縮されたような施設である。

  位置的にも高知県東部のほぼ中心となる。当施設の情報コーナーでは、様々なの情報が入手出来る。

         水切り瓦・安田町

         

   市街地を2km程歩いて安田町に入る。

   海抜632mの神峰山を前方に見ながら国道沿いの旧道を進み、安田川を渡って10分ほどで右折すると、土佐くろしお鉄道の高架橋が見えてくる。高架橋の下で神峯寺へ上る道と交差して右に入る。

   この交差点に「よさこい秘話」と書かれた大きな説明版がある。

  竹林寺僧の純信と五台山麓の鋳掛屋の娘、お馬との恋の物語である。

   純信がお馬に花簪を買い求めたことが評判になり、安政2年の5月19日の夕刻、純信、お馬は物部村から国抜けしたのでる。

            よさこい秘話

          

   しかし、讃岐の金毘羅宮の旅籠「高知屋」で捕らえられ、高知の山田町奉行所で取り調べられた。

   この取り調べの際、奉行が「なぜ年が20も違う親のような者と逃げたのか」との問いに、お馬は平然として「好きになったら、年の差などどうでもよい。」と答えた。

  お馬は安芸川以東へ追放、この安田・東谷の神峯登り口、旅籠「坂本屋」で奉公する身になった。

   当時、安田の神峯は「流行る安田の神峯」と歌われたように、近郷近在の信仰と遊びの中心であった。

 神峯寺の前札所の養心庵がここ東谷集落に在り、参拝客相手の料亭・旅館がひしめき、繁華な場所であった。美人のお馬は大人気であったろうと想像される。

  その後、お馬は高岡郡須崎の百姓に預けられ、後に土地の大工と世帯を持ち、2男2女をもうけた。

      (以後、省略)

             徒歩道の石碑

         

   交差点から神峯寺まで3.4km、広くない舗装道路が蛇行しながら高度を上げていく。

   30分程登り、「神峯寺徒歩道」と刻まれた大きな石碑から遍路道に入る

   傍らの遍路石には神峯寺歩道1.3km、車道1.8kmと記されている。

            遍路道 

         

   車道と違って急な斜面の遍路道、珍しく人の手の入っていない、まったくの自然道である。

            休憩所

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   「まっ縦」と呼ばれる勾配45度の急な道を登る厳しさは、さすが「土佐の遍路転がし」と呼ばれるのが実感させられた。

            唐浜を望む

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   途中に遍路道を特徴づけているオブジェと東屋がある。高知大学の先生がデザインしたものだ。

           オブジェ

         

           車道の横断

         

  9:00

  険しい道に音を上げながら、車道との交差を3回繰り返して最後の急坂を登りきると、標高430 mの仁王門に着く。

  奈半利川から9Km。

  第二十七番 竹林山神峯寺

           真言宗豊山派

  ご本尊 十一面観世音菩薩

           開基 行基菩薩

御詠歌 

 みほとけの 恵みの心 

 神峯 山も誓も 高き水音

十一面観世音菩薩真言 

 おん まか 

      きゃろにきゃ そわか

            仁王門

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   仁王門を潜り石柱門を入ると左側に庫裏が建ち、石段手前の右側に鐘楼と「土佐の名水・神峰の水」が湧いている手水場がある。

            石柱と境内

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   寺伝によれば神功皇后が朝鮮半島進出の戦勝を祈願し、天照大神を祀ったのが起源とされ、天平2年(730)に聖武天皇の勅命を受けて行基菩薩が十一面観世音菩薩を刻み、本尊として合祀し、開基した。

            名水神峰の水

         

   その後、大同4年に弘法大師が堂宇を建立して観音寺と名づけられ、延暦年間に四国霊場に定められたと伝えられている。

        金剛力士像

         

           金剛力士像

         

   境内から150段の石段を上って行くと、聖観世音菩薩像が立っており、左に進むと本堂が右に進むと大師堂が建っている。

  本堂も大師堂も老樹に覆われている。

   神峯寺は四国88ヶ所に四ヶ所ある関所寺の一つと信仰を集めている。

           本堂

         

   神峯神社の鎮守として神仏が一緒になり、広く信仰を集めてきたが、明治初年の神仏分離令によって廃寺となり、本尊は金剛頂寺に渡された。

 明治20年に茨城県の竹林山地蔵院の寺格を移して再興され、昭和なり神峯寺と称するようになる。

      十一面観世音菩薩像

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   この寺は岩崎弥太郎の母の逸話でも知られている。

   幕末の頃、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母は、20km離れた井の口の家から21日間素足で日参し、息子の開運を祈願した。

  やがて、この母の願いは聞き入られて、弥太郎は大成した。後にこれを知った弥太郎は神峯寺へ山林を寄進し、報恩を感謝した。

              大師堂

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   境内で休憩している大きな荷物を背負う外国人の女性遍路に話かける。若い一人歩きの女性遍路は柳水庵いらいである。

  齢は30前後、普段では見知らぬ女性に話かけることなど出来ないが、遍路では何の拘りもなく出来る。また、相手もこちらが老人遍路なので安心して答えてくれる。

           弘法大師の生涯

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             経堂

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   驚くことに国は北欧のフィンランド、野営を併用しながら高知市までの区切りうちとのこと。女性の遍路に何度か遭ったが野宿とは勇気があると感心するが心配もした。

 しかし、高知市内はもう近い、「お気をつけて」と言い交して別れた。

     鐘楼

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             梵鐘

         

   女性遍路の旅は男の何倍もの苦労、勇気が必要だろう。日も射さない山中の一人歩きは不安を伴う。怖い思いをした話を聞いたことも何度かある。同じ遍路として、無事を祈る。

             不動明王

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   大師堂の横を通り神峯神社に参拝する。神社は神峯寺の奥の院で、大山祇命を祭神として天照大神、応神天皇を合せ祀っている。

 本殿は枌葺三面入母屋造りで、東西南の三面は千鳥破風、正面は半唐破風仏堂式となっており、本殿と拝殿を兼ねた全国的にも珍しい造りである。               

           神峯神社の参道

         

            烏瑟沙摩明王

         

   この札所でちょっと気になる光景を目にした。夫婦と思われる年配の男女が、「ないか・・・・・」と云いながら、納札箱の中をかき回している。

  よく見ると錦札や金札と云った納札を探しているのである。

  他人の遍路が納めた札を同じ遍路が箱の中から探して持ち帰る、「厄除けの縁起物」として重宝されるが浅ましい気がする。

            みちびき大師像

          

   その後も、同じような光景を何度か見ることがあった。大概は神峯寺のように本堂、大師堂が社務所から離れて目立たない寺が多かったが、彼等にも少しの恥じらいがあるのだろうか。

           本坊を望む

         

   境内を下りながら、ふと大師堂で賽銭を納めたか気になり、念のため山門で合掌礼拝して賽銭を仁王像の足元に置いた。

  真面目に参拝しているつもりであるが、参拝の手順や読経に戸惑ったり、忘れたり、抜かしたりすることがある。

  私も人のことをどうこう批判できない。気をつけねばならないと反省する。

   参拝を終えて、安芸市に向かう。農免道路を下山途中に、「唐浜化石出土地」と「食わず貝」について、次のように示されていた。

 昔、土地の人達が貝を焼いているところに弘法大師が通りかかり、貝を恵みくれるように頼んだが彼等は「これは食えない貝だ」とやらなかった。

  大師の立ち去った後で食べようとすると、いつの間にか土石になっていた。

   大師が貪欲を戒めるため、この付近の総ての貝を土石にした、と代々語り伝えられている。

           化石体験案内板

         

   唐浜化石について、

周辺の断崖に浜の真砂や貝の化石が多く見られる。

 この貝殻は数百万年も昔の化石で、地殻の大変動により海底部分であった処が、地上に隆起したため現れたもので、主に二枚貝、巻貝、有孔虫類等の化石を多く産し、数年前にはクジラの化石まで発見された。

             化石体験場

         

   農免道路を下り、右に進路を変えて唐浜駅の前を通り、国道に合流して安芸市に入る。

  私は今回の遍路まで知らなかったが、「下山の集落」から大山岬沿岸を通る国道55号線が土砂災害、高波等で通行止めになることが多かった為、大山岬を貫通するルートが平成27年2月に開通していた。

  大山道路と呼ばれる国道は全長2kmのうち1.3kmはトンネルである。

   しかし従来どうり、国道と鉄道が並行する狭い山裾を歩き、岬を過ぎると「道の駅大山」ある。

             道の駅 大山

         

   「道の駅大山」の駅舎は、船をイメージした形で安芸の杉、桧、木炭をふんだんに使い超自然派建築物で、地域の特用林産物(木炭、木酢液、コンニャク、山菜等)を販売している。

  風光明媚な景色や海辺の散歩が楽しめる遊歩道も近くにあり、冬場にはだるま夕日、たまには気まぐれな鯨が見えることもある。

  遍路がこの道の駅で、休憩や野営する姿を見かけるが、新しい国道の開通で存続が難しいのではないだろうか心配である。

         水切り瓦・安芸市

           

  「道の駅大山」から安芸の市街地までの3kmほどは国道を避けて、防波堤の道を歩く。

  単調ではあるが国道よりも安全でエメラルドグリーンの、海を眺めながら歩くのも快適であった。

           防波堤の遍路道

         

   前回には伊尾木川の手前で地元のコンビニ「スリーエフ」で買物をすると、ペットボトルのお接待に与かったが、今回は大手の「コンビニ」に代わっていた。

  大手の資本力に淘汰されたのだろうか、残念だがしかたない。

       伊尾木川橋の休憩所

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  14:30 伊尾木川、安芸川と二つの川を渡って安芸市街地に入る。

   汚水マンホールは「安芸なす」と「野良時計」の特徴あるデザインである。

  施設園芸の主要作物である「安芸なす」は、約600戸の農家が174 haを栽培し、日本一の冬春なすの生産地として、京浜地区を中心に全国の大消費地に出荷されている。

             なすの人形

         

   安芸川を渡ってから、

上流に進み「野良時計」に向かう。

             野良時計

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   「野良時計」は土居村(当時)の大地主の息子として生まれた畠中源馬は明治20年、アメリカ産の掛け時計を見て、時計の仕組みに興味を持ちます。

   そして自ら時計を分解して研究し、時計の仕組みを独学で学び、自作の大時計を作る事を決意。彼は幾度となく改良を試み、分銅から歯車までの総ての部品を、たった一人で作り上げたと言われる。

    つまりこの野良時計は、源馬の努力の賜物です。

             観光マップ

         

   当時は時計がどこにでもある時代ではありませんでした。源馬が作り上げた時計は、近くで農作業に勤しむ人々に正確な時間を告げ、そして人々を静かに見守ってきたことでしょう。

   このような事もあって、この櫓時計は「野良時計」という愛称で、地域の人々にとっては勿論のこと全国的にも観光資源として親しまれて、国の有形文化財にも指定された。

             野良時計

         

    時計は北側正面と東側・西側の3面にあり、作製当初は3面同時に動いていたと言われているが、現在は正面のみが動いていた。

 市街地に戻り、安芸市営球場前の「旧安芸駅跡地の緑地公園」に着く。

 公園の中央に「カリヨン時計」がある。複数の鐘で音楽を奏でるカリヨンとからくり時計を組合わせたモニュメントである。

             緑地公園

         

   カリヨン時計は市の木であるヒノキを模り、からくり人形を納める球体は、安芸特産の柚子をイメージしてデザインしている。

   因みにカリヨン時計は安芸出身の作曲家・弘田龍太郎の「春よこい」「雀の学校」などの童謡が、午前8時から午後5時までの各定時に流れるてくる。

            カリヨン時計

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   駅舎のあった場所には休憩所が在り、鉄道・安芸線の由来が記されている。

  当地は鉄道安芸線の終着駅として、安芸駅の建物が建っていた処である。

  高知鉄道(株)当時の社長は「安芸線は将来、四国循環海岸鉄道の一部となる交通上、重要な路線であり、これは安芸線開通によって始めて生きる事業である」と鉄道延長を決意。

  昭和4年4月、経済恐慌による不況の中、手結ー安芸間の鉄道建設に着手。 

  翌年3月、鉄道安芸線(御免ー安芸間)は全線開通し、初めて安芸を蒸気機関車が走ることになった。

   同年4月1日、鉄道沿線は一目列車を見ようとする住民で文字どうり、黒山の人だかりとなった。

            休憩所

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   安芸駅は木造洋瓦葺き平屋建て約200㎡の駅舎で、都会風で安芸郡内の建築物としては、当時非常に洒落た建物であった。

   鉄道での輸送人員は、安芸まで開通した昭和5年には約84万人を記録した。

   しかし、その後は60万人から80万人の間で低迷を続けたが、昭和24年からは安定した伸びを続け、昭和38年には約320万人を記録した。

           駅舎跡の説明版

          

   しかし、その後は急速な車の普及により鉄道の利用者は減少の一途をたどり、廃線の前には131万人となっていた。

   鉄道安芸線は国鉄(現 J R )阿佐線に道を譲ることになり、昭和49年3月の運行をもって廃線と決定され、3月27日から3月31日までの5日間、さよなら電車と称して花電車を運行、沿線住民に最後の別れを告げた。

  終着駅はレール・プラットホーム等が取り払われ、安芸駅舎はバスの待合所として市民に利用されてきたが老朽化が著しく、平成7年末、永遠にその姿を消すこととなった。

             漁港の防波堤

          

   市街地を離れ国道から、日本一高い(海面より16m)と記された防波堤の遍路道を2.0 km程進むと新城浜休憩所がある。

             新城浜休憩所

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17:30 新城浜休憩所に着き、東屋にテントを設営して野営する。

  神峰寺より20km

       (野良時計経由)

      第3日目の歩行距離

             29.2キロ

         計 353.6キロ