うちの子供たちは、りゅうちゃん以外は自然と箸が持てるようになっている。
それもこれも、下の子は上の子や親の真似をして自然と覚えるようになってるからだ。
だから、教えて無くてもできるようになってる。
でも、教えてないからこそ、変な持ち方をしたまま覚えてしまっている。
昨日もパパさんが箸の持ち方を3兄弟に教えていた。
普段と違うやり方だから、戸惑ってるし、うまく出来ない。
うまく出来ないから、また今までやっていたやりやすいやり方に戻ろうとする。
そこが問題である。
人は、一度覚えてしまうと、そのやり方が正しいというか、身体が覚えてしまう。
だから、それを直そうとすると、まず頭が拒否するのだ。
拒否するから当然、本人にとっては正しい持ち方ではない、ということになる。
でも、そこで止めてしまうのか、とにかく続けていくのかが別れ道である。
何事もそうだけど、自分が一度覚えたやり方は、やり方はどうであれ、やりやすい。
やりやすいから、自分では正しいと思う。
正しいと思うから、本当に正しいやり方に出会っても、それをやろうとはしない。
世の中そんなものだ。
そして、それを何べんも繰り返していきながら、大人になる。
その時に、自分が間違っているかもしれない、という認識を持つことが大切だ。
自分が間違ってるかもしれない、もっと違うやり方があるかもしれない。
そう思っていろんなやり方をやるからこそ、自分は成長するのだ。
箸の持ち方1つで、その人の人間性が出る。
なぜなら、箸の持ち方は大人になってから覚えるものではなく、日本人にとっては、
子供の頃から当たり前のように使うものとして覚えているからだ。
つまり、箸の持ち方だけでも、何十年という経験の上に、成り立っているのが今の持ち方なのだ。
そんなことをふと思いながら、しいこを見て見ると、
食べづらいお茶碗に残った米粒を、スプーンで書き出そうとしている。
小さいうちはいいけれど・・・と思っていたけど、これって癖になったら何歳でもやるんだろうね。
だからこそ、今から少しでも出来るようにしていかなきゃ。
そんなこんなでしいこも箸で食べるようにさせてます。
4才だからって、出来るわけだし。
とにかく、1つ1つの行動をきちんとできるようになるには、莫大な時間がかかることだけは、
これから子育てする人も覚えておいてほしい。