私の過去➁~私のことも見て!
兄のことばかり心配している
両親からの愛をもっと感じたかった

 

カウンセリング&メンタルコーチで恋愛に苦しむ女性が恋愛依存を卒業し人生好転する方法をサポ-トしています!

 

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突然、兄が家で暴れ始めました。

 

 

 

 

でもね、

 

 

 

兄が家庭内で暴れ出してから、

 

 

 

問題が起こったわけではないと思う。

 

 

 

以前から、母や父に対する思いがあり、

 

 

 

それを爆発させただけ。

 

 

 

爆発させられる場所が「家庭」だっただけ。

 

 

 

思春期の反抗期で終わらなかったのは、

 

 

 

それだけ根深いものがあったと思う。

 

 

 

 

私は?

 

 

 

 

当時11歳くらいの私はどうしてたかな。

 

 

 

兄が暴れだしてから、収まっていくのに12年くらい?

 

 

 

私が社会人になる頃までくらいは

 

 

 

時々、爆発することがあった。

 

 

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身長が高かったこともあり、

 

 

ミニバスですでに活躍している子たちから誘われ続けて、

 

 

なんとなく入部。

 

 

 

周りはスラムダンク全盛期。

 

 

 

なんとなくアニメを毎週観ているうちに、

 

 

 

「まーやってみるか」という気持ちになった。

 

 

けれど…

 

 

走るのが大嫌いだった私は、

 

 

走る練習ばかりでうんざりしていた。

 

 

でも、家にいるよりバスケしている方がマシだな。

 

 

と感じていた。

 

 

 

身体を動かして発散することでバランスを保っていたように思う。

 

 

バスケをしているときは

 

 

バスケに夢中になれるから楽しいと感じられた。

 

 

走ることにも慣れてきて、

 

 

いつもはビリから30番目くらいだったマラソンが

 

 

バスケを始めて半年ほどで2位になったことが

 

 

自分の中で一番びっくりしたことでした。

 

 

次第にキャプテンなどを務めるようになると余計に

 

 

兄の存在を知られたくない。

 

 

きょうだいの話題になると、

 

 

スーッと話題から抜けるように忙しそうなふりをしていたような。

 

 

 

なんとかバスケに気持ちを向けて頑張っていた私ちょっと不満

 

 

 

兄のイライラした感情は、

 

 

だんだんエスカレートしてきて怒りが頻発するように…。

 

 

ますます家に居たくないので、バスケを頑張っていました。

 

 

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兄もいきなりこうなったわけではないんですよね。

 

 

 

むしろ人気者で楽しそうに小学校に通っていた記憶の方が多い。

 

 

 

なぜ、こうなってしまうのか?

 

 

兄は小学6年の秋という超微妙な時期に

 

 

転校することになったんですね。

 

 

卒業を控えている中

 

 

 

以前の学校のときのような仲間が

 

 

 

なかなかできなかったようなんです。

 

 

 

そこで、自分のことを下に見てくる人に対して

 

 

 

ストレスを感じているようでした。

 

 

 

でも、その思いをうまく言えない。

 

 

そういった気持ちに気づいたのも

 

 

暴れだしてからずっと後になり

 

 

兄のカウンセラーのように

 

 

 

私が話を聴き始めてからでした。

 

 

さらに、

 

 

背も高くて妹らしくない妹と比べられることも多かったと思うんです。

 

 

 

好き嫌いが多い兄 と なんでも食べる私

 

 

 

勉強が好きじゃない兄 と 言われなくても勉強する私

 

 

 

スポーツが続かない兄 と バスケを続けている私

 

 

 

恥ずかしがり屋な兄 と 積極的に話しかける私

 

 

 

私自身は兄を見て、

 

 

ただ要領よく動けていただけ。

 

 

色々なところで周りから比べられていたと思う。

 

 

 

 

私は私で、

 

 

 

好き嫌いが多くて、

 

 

勉強もしない兄に

 

 

 

両親の気持ちは兄に向いていた。

 

 

 

と感じていた。

 

 

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母は美人だったので

 

 

「似てないね!」とよく言われ

 

 

地味に傷ついていた泣き笑い

 

 

 

小さい頃からのコンプレックスでした。

 

 

 

 

父は「女は顔じゃない、愛嬌だ」といつも言っていたが、

 

 

 

なんの説得力もないわ!と心の中でツッコミを入れていた。

 

 

 

父は、子どもより母に気持ちが向いている感じがしていた。

 

 

 

父からは「今、そこでそんなに怒るの?!」ということが多かった。

 

 

 

何に怒るかよくわからないから、

 

 

 

あまりうるさくしないでおこうと思っていた。

 

 

 

 

 

いつしか共依存の関係にあった彼に

 

 

 

 

こんな一言を言われたことがありました。

 

 

 

 

 

 

「愛されて育たなかったんじゃないの?」

 

 

 

 

 

 

 

そう言われた時は、

 

 

「はぁ!?」と腹が立ち、

 

 

聞き入れてなかったんですが、

 

 

 

後になって、

 

 

 

愛されていたと感じることを思い出そうとしたときに、

 

 

 

あれ?なんか…記憶があまりない。

 

 

確かにかかわりが少なかったのかも?

 

 

 

 

もっとしてほしかったことがあったのかも知れない。

 

 

 

 

もっと子どもらしく過ごしたかったのかも知れない。

 

 

 

 

母は普段、叱ることはしませんが

 

 

 

怒ることはよくありました。

 

 

 

 

叱るとは、感情的になって子どもに伝えるのではなく

 

 

 

どうしてだめなのかなどを考えさせることかなと思います。

 

 

 

怒るとは、感情的に自分の言いたいことを考えなしに言うことと

 

 

 

 

私は思っています。

 

 

 

私は叱られたことはなかったと気づきました。

 

 

 

ちゃんと叱ってほしかった。

 

 

 

そんなことにも気づいていきました。

 

 

 

私のことはあんまり見ていなかった。

 

 

 

うまく甘えられなかった。

 

 

 

嘘をついて気を引こうとしていたこともあった。

 

 

 

きっと、私は勉強やスポーツで頑張って

 

 

 

両親の注目を得て、

 

 

 

賞賛を得て、

 

 

 

満たそうとしていたのかもしれない。

 

 

 

兄も同じように両親に認められたかっただけかも知れない。

 

 

 

違う形で表現しているだけで、

 

 

 

私と同じように

 

 

 

愛を表現してほしかっただけなのかもしれない。

 

 

 

家族のうまく機能していないという闇を隠すことで、

 

 

 

バランスを保とうとしていたんですよね。

 

 

 

 

そんな背景の中、

 

 

 

ケガでバスケはできなくなり、

 

 

 

夢中でやっていたことが

 

 

 

なくなりました。

 

 

 

家に居たくないことには

 

 

変わらない。

 

 

 

 

 

自分で自分の気持ちをどう満たせばいいのか

 

 

 

 

 

わからなかった私。

 

 

 

 

特に好きなことも

 

 

 

 

やりたいこともない。

 

 

 

 

そして、彼と出会います。

 

 

 

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!お願い

 

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