粕屋の戦争と平和の「遺跡」 志免炭鉱(8)
戦争に向けて膨らむ需要大正10年(1921) 海軍採炭所から海 軍燃料廠採炭部と改称される。〈呉鎮守府所管〉という記述があるがなぜ、改称されたのかその理由は調査中。大正9年度末現在の海軍採炭所据置運転資本を持ってこれに充て、その不足額は漸次一般会計から繰り入れられた。しかし、戦争に向けての需要が膨らみ、それだけでは足りなくなったのだろうか。〈事業費増加に伴い経費が膨脹したので運転資本増額の必要に迫られ、昭和12年より倍の20万円に改められた〉という記述がある。この昭和12年(1937年)は日中戦争の開始時期と同じであることから、先述のように推察した。昭和4年(1929)2月、海軍燃料廠採炭部中央病院落成し、同10月、志免に庁舎移転。志免庁舎跡は市來病院前の住宅街の一角にあり、大きな記念碑「国鉄志免鉱業所記念碑」が建っている。