今年は空梅雨といってよかっただろう。

そのまま暑い夏突入だ!さぁ氷!

そう思ったら、梅雨明け宣言がなされた後、東京は雨続きで、21日だったか22日だったか。雨とはいえ、さほど寒くはなく、蒸し暑さが続き、今日などは残暑がぶり返してきて、アイスなしではいられないと思うほどだったが、日が落ちるとさほどの暑さではない。もはや季節は秋に向かっている。

 

今年の長旅はひと月遅れとなった。

昨年から8月に「山の日」が設けられ、祝日が増えたのは有難いが、その手前まで夏季休暇を強行しておれば、確実に仕事に障ったことだろう。

 

昨年の同種の記事を読み返してみると、結構色々なことを書いているなと思った。

これまで3年連続で、第2のホームグラウンド、心の故郷、我がルーツというべき関西地区へ旅してきた。

流石に4年続けると飽きるだろう。そろそろ目先を変える時が来たようだ。

 

昨年も記したことだが、かねてより北の大地を久方ぶりに訪ねたい。そんな思いは数年前からあった。

JR北海道の財政難はいよいよ深刻さを帯びてきたようだ。

最悪の場合、宗谷本線、石北本線、釧網本線などが根こそぎ廃止になってしまう。稚内や網走へ鉄道で行けなくなる日が来てしまうかもしれない。

費用がかかりそう。旅計画がまとまらない。

自分に言い訳をしつつ先延ばしにしてきた北海道鉄道旅を、そろそろ実行に移さねば、本当にまずい状況になりつつある。

 

折しも、昔から読み続けている川島令三氏の「全国鉄道事情大研究」というシリーズが、遂に北海道編まで刊行された。

それを読むと、昔に比べ、随分大人しい内容になったなと思う。

札幌市営地下鉄のことも、市電のことも、以前ならもっと切り込んでいたことだろう。真駒内から計画通り定山渓温泉まで延ばし、有料特急を走らせよとか、市電をLRT化して市内を延長してJR線につなげ、直通運転せよ、とか、以前の氏なら書いた筈だ。

そういう“夢物語”が描けないほど、鉄道への積極投資が厳しい状況であるといえるのかもしれない。

そんな中、壮大な夢として、樺太と稚内を鉄道で結ぶ構想が語られている。

北海道新幹線を札幌から旭川、更には宗谷本線を北上し、モスクワ、ひいては遠くパリまで国際列車を走らせるという話だ。

そうなると宗谷本線は絶対に残さねばならない。

だが、ここまで壮大な夢物語になると、Amazonでは結構けなされているが、例えば土屋武之氏の「鉄道の未来予想図」(2013年;実業之日本社)でさえ、そこまで触れてはいない。鉄道連絡線を介して、東京とソウルを結ぶというのがせいぜいである。

 

いずれにせよ稚内へは行ったことがない。鉄道で行けなくなってしまってからでは遅いのである。

樺太直通国際列車話以外は“荒唐無稽度”がグッと減った川島本だが、興味を引かれた内容に、宗谷本線途中の名寄駅近くの公園にキマロキ編成が保存されているという情報があった。

“キマロキ編成”とは、豪雪時に登場する除雪用の特殊作業車のようなものである。除雪車にも色々な用途ごとに車両がある。それらの両端にSLがつながった昔のものものしい専用列車が“キマロキ”である。

Nゲージ鉄道模型に精通された方なら大分前に、マイクロエースというメーカーが模型で出したのをご記憶であろう。

私は子供時代、絵がメインの古い鉄道図鑑で、ラッセル車、ロータリー車、マックレー車、広幅式(ジョルダン車)、コンベア車などが紹介されているのを読んだ。

それの実物が一部であれ間近で見られるなら、そう簡単に行けない場所だけに、是非立ち寄りたい。

 

北海道へは昔一度だけ行ったことがある。平成が始まって間もない頃のことだ。

その時が初北海道であった。

当時私はまだ大学生だったが、翌年には就職活動に浸っていることだろう。

自由なまとまった時間が持てるのはこれが最後だろうと思った。

今みたいにインターネットはなく、携帯電話はありはしたのだろうが、到底普及なぞしていなかった。

本屋で旅行ガイドを買ってきて、熟読する内、巻末のモデルコースというのが目に留まった。多分熟年夫婦を想定した、9日間のゴージャス仕様のプランをアレンジし、若者らしく(?)途中にユースホステル宿泊などを挟みながら、宿の予約は片っ端から電話をかけ、列車はJTBへ出向いて取った。

折角だから、まだ走り始めてさほど時が経っていないブルートレイン「北斗星」に乗りたい。折角だから個室に。とはいえ学生の身分でロイヤル(A個室)など無理で、B個室のソロを尋ねてみたら、「お客様は大変ラッキーでいらしゃいます」と窓口の確かおじさんに言われた。キャンセルが出たばかりのところにすっと入れたのだ。

東北新幹線が盛岡止りの時代である。勿論団子鼻の200系、アイボリーにモスグリーン帯の時代だ。東京にさえ通じておらず、上野の地下駅からその時の旅は始まった。

盛岡で慌ただしく連絡特急と化した485系「はつかり」に乗り換え、青函トンネルをくぐり抜け、14時過ぎ、漸く函館に着いた。

そこから洞爺湖→登別温泉→支笏湖→千歳→札幌。数時間滞在の後、道内夜行急行「まりも」で釧路へ。阿寒湖→摩周湖→網走→層雲峡→札幌→「北斗星」

という8泊9日の旅程で、列車とバスを駆使した。

総額20万円ほど使ったはずで、その夏の塾講師のバイト料が全て飛んだ。

勝手知らぬ土地への長旅は、その時が初めてで、恥ずかしい話だが、東京へ帰った後で疲れが出て熱を出した。

 

当時はウニがまだ嫌いで、札幌・狸小路でやけに塩辛いイクラ丼を食べるのが精一杯。雪印パーラーさえ寄らず、函館の朝市にも行っていない。

まだキハ22という旧型のディーゼルカーが残っていた筈だが、乗った記憶はない。函館市電、札幌市電に全線乗ったのと、少ない時間で札幌市営南北線の、当時は現役だった2000系というヨーロピアン・スタイルの車両に乗った位である。

 

網走では国民宿舎に泊まったが、夕食には半身だがちゃんと毛ガニの茹でたのが出てきた。

ついスケベ心を出して、有料エロチャンネルをつけてみたら、痴漢電車モノで、当時毎日のように利用していた西武新宿線が出てきた。舞台は高田馬場手前の急カーブである。

「何で最果ての地まで来て、西武電車の痴漢モノのエロを見なアカンのだ?!」

情けない脱力感に襲われた。

 

今にして思えば、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線に乗っておけばよかったと思うが、後の祭りである。

層雲峡ではユースホステルに泊まった。

「ハイッ皆んな夜9時に食堂に集合!」と宿のおじさんに召集をかけられ、その時、「折角層雲峡まで来たのだから、時間のある人は是非明日黒岳に登ってみてください」と猛プッシュされ、ついその気になり、翌日、全く予定していなかった黒岳登山を強行。ロープウェイでかなり上まで行けたとはいえ、全く普通の格好で登頂したのは、若さゆえの無謀だったかもしれない。

思ったよりも遅い時間に上川駅へ来たら、丁度次の列車が「アルファコンチネンタルエクスプレス」という前面展望に改造された、金色のリゾート特急車両を使った臨時列車で、これで札幌まで行った。

列車はかなり空いていて、展望席へもちょろっと座ってみたが、窓柱が太く、あまり正面は見えなかった覚えがある。

 

札幌でもユースホステルに泊まったが、随分町外れにあり、地下鉄にかなり乗って漸く訪ね当てた。

旅の最終地点の人が多く集い、てんでにこれまで巡ってきた土産話を話し合った。ツーリングで道内を巡ってきた兄さんが、キーホルダーを咥えたキタキツネに遭遇した話などを聞かせてくれたのが印象に残っている。

 

実質的な最終日、札幌から小樽へ向かった。

運河で通りすがりのおばさん旅行者集団にカメラのシャッターを押してあげ、私もお返しに押してもらったが、後で現像してみたら、見事に首から上がちょん切れていた。

北海道鉄道記念館に寄った時、キシ80という元ディーゼル特急食堂車が売店になっている所で、何故か売場のお姉さんと小一時間ほど立ち話した。

何の話の流れかすっかり忘れてしまったが、「新宿というところがありまして…」と私が言ったら、「やだー。お姉さんだって、新宿くらい知ってるわよ」と言われたことが妙に記憶に残っている。

 

帰りの「北斗星」では、「グランシャリオ」という食堂車のレストランで、7,000円もしたフランス料理を奢った。

その後ロビーカーに行ったら、20代後半と思しき男性2人組の旅人に声を掛けられ、暫く話す内、彼らは同じロビーカーにいた女の子2人連れに声を掛け、若者5人で合流。青函トンネルをくぐり、かなり遅くまで居たので、機関車付け替えなどは見逃してしまった。

「この中で、誰が一番真面目に見える?」と、兄さんの1人が女子に尋ねると、2人とも私を指さした。当時は私もウブな青年で、多分同い年位だった女子の1人にどこまで帰るのか位はきいた覚えがあるが、福島といっていたような…。

兄さんたちが写真を撮ってくれて、「写真を後で送るから」と言ってくれて、住所を伝えたが、残念ながらなしのつぶてである。

 

*****

 

…とまぁ、前回はそんな北海道旅行であった。

当初は北海道新幹線新函館北斗開業にかこつけて、新幹線で最初函館入りし、そこから札幌~旭川~稚内を目指そうと考えた。

稚内は遠い。それに折角稚内へ行くなら、利尻、礼文の両島へも行くべきだと思い始めた。

 

昔からかなり強度の鉄道趣味人だが、子供時代はずっと都市部の特急列車から大手私鉄へ興味が移り、ローカル線や貨車には見向きもしない時期が長かった。SLにも殆ど入れ込まなかった。

それがある程度年を取った後、ローカル線巡りにも愉しみを覚えるようになってきた。特に地方線区においては、特急列車に乗るよりも、極力鈍行に乗りたい。時間は多少かかってもいい。そう思うようになった。

特急車内から幾ら景色を眺めても、金魚鉢越しの風景みたいで、土地の匂いが伝わってこない。以前、名古屋から伊勢へ近鉄特急に乗った時に痛感したことである。
鉄道好きのくせに、今は乗るには、特急嫌いという変わり者になった。

 

だから今回の旅も、できれば特急には乗りたくないのである。

かねてより何となく調べる内、今や珍しい長距離鈍行が細々と走っていることを知った。滝川という札幌・旭川の間にある駅から、富良野、帯広を通り抜け、釧路まで延々8時間かけて走破する。

どうせならそれに乗りたい。

稚内へ行くにもできれば鈍行で行き来したい。

 

ところが昨夏北海道を襲った台風の傷跡がまだ残っていた。

新得という駅で石勝線と合流する。その途中、狩勝峠を越す辺りで橋が流され、それの復旧の目処が立たないのだという。不通区間は代行バスが結んでいるということで、調べてみたが、鈍行とはいえ鉄道のほうがバスより速く、分断された“8時間鈍行”は間に代行バスを挟むと、うまく連絡しない。

新得から釧路行が先に出てしまうことがわかった。

ならばそこだけ特急に乗って、帯広かどこかで追い付いた後、鈍行に乗り換えればいいじゃないか。

そう考えたが、釧路に着くのは夜である。

昔は「まりも」が朝6時に着くのに合わせて、釧路湿原を巡る早朝観光バスがあり、それに乗ったが、今はない。

ノロッコ号に乗ると、名前の通りノロいので、結構時間がつぶれてしまう。

釧路から網走へ回りたいと考えたが、列車が少なく、朝出ないといけない。

色々調べる内、釧路には和商市場なる場所があり、そこの「勝手丼」というのが名物であると知った。

和商市場と両立させるには、特急で釧路まで乗り通し、時間稼ぎをするしかない。

 

函館から鈍行乗り継ぎで札幌へ行こうと思うと、これまた至難の業であることがわかってきた。前回は函館本線を全部乗り通したわけではないが、いわゆる「海線」寄りだったから、今度はニセコ、小樽回りの「山線」経由と思って調べてみると、接続が悪く、優に7時間はかかる。丸1日ががりである。

こうなると幾ら日にちがあっても足りない。

かなり早い段階で、新幹線で函館から入るのは諦め、行きも帰りも飛行機利用に切り替えた。

 

新千歳空港から札幌に入り、些か不本意だが時短のため、行きは特急「スーパー宗谷」で一気に稚内へ。利尻、礼文を経て、旭川へ戻る。

“キマロキ”のために名寄に寄る。せめて片道は鈍行で乗り通すのが望ましい。

 

旭川は前回、完全に通り過ぎただけだ。

旭川といえば今は旭山動物園だが、夏休み期間に子供で混み合う場所に、何が哀しくておっさん1人、動物見に行かなあかんねん?

私にとって旭川といえば、動物園より三浦綾子である。

三浦綾子記念文学館には是非行こう。

旭川から滝川を経て、例の“8時間鈍行”に乗るとするか。

 

釧路から網走へと向かい、網走郊外の女満別空港から飛行機で帰る。

 

そんな青写真を描いてみた。

 

ところが、夏休みをとった初日の土曜日、8月26日だが、最初に札幌の宿…と思って検索してみたら、驚いたことに全滅なのである。

一体この日、札幌で何があるのだ?!

 

過去に九州へ旅した時、柳川に泊まろうとしたらかなり高い宿、しかも喫煙室1室しか空いていないということがあって、調べてみたら花火大会のせいだった。

 

東北へ旅した時、当時まだあった寝台特急「あけぼの」に乗ろうとしたら、インターネットでは全滅。廃止が囁かれていた不人気夜行列車の筈なのに、ソロならともかく開放寝台まで満席とはどういうことだ?

それに初日の弘前が、やはり厳しく、漸く取れたのはカプセルホテルのみ。

ねぷたのせいだったことが判明した。

こっちは人で混むイベントは基本的に嫌いだから、端からねぷたに行こうなどとは思ってもいなかったが、何せ市内のカプセルホテルに行くのに、ねぷた会場を渡らねばならず、棚ボタ式にねぷたを見ることができた。

尚、「あけぼの」は、新宿駅のみどりの窓口でダメモトで尋ねてみたら、B寝台の開放があっさり取れた。

 

今回の札幌は全く見当がつかない。

調べてみると、ただでさえ夏の観光シーズンなのに加え、翌8月27日に、北海道マラソンと「三代目J Soul Brothers」のライブが重なったため、何か月も前からこの日は満室なのだそうである。

マラソン…?! そんなに走りたい連中は多いのか?

それに「三代目」何ちゃらって…誰だよ、それ?

更に調べてみると、「三代目…」というのは、EXILEの派生ユニットだとか。

私は男だし、ファンの方々にはとってもとっても申し訳ないのですが、あの連中が連続してレコード大賞を取ったのを見て、全く腑に落ちない。毎年一度だけ紅白でその姿を目にするのだが、不良チンピラの男どもが集団でクネクネと腰をくねらせ、しかも歌うのはごく一部の男だけで、それも何だか頼りないか細い歌声。

一体、彼らに何の魅力があるのか、私には見当もつかない。

…すみません、思ったことを素直に書いてます。

おまけにTVドラマの世界では、近頃、ワイルドな不良ぽい雰囲気を持った男というと、金太郎飴のように彼らの内の誰かがいきなり主役に躍り出る。

さすがに主役ではないにせよ、天下のNHK様ですら、彼らの起用に積極的だ。

悪いが私は、EXILE、ジャニーズ、AKB、これらの連中がメインキャストのTVドラマは、よほど原作に興味あるならいざ知らず、視聴候補から真っ先に外す。

何を見ても、誰を見ても、みんな同じに見えるからだ。

旅の途中で、女優の武井咲が、ボーカルの何とかいう、あの連中の中では割と可愛い顔した男と電撃婚と騒いでいるのを目にした。デキ婚なのだそうだ。

何か、女優やタレントが、随分あの連中とくっついていくなぁ。

そんなに踊る不良というのは魅力的なのだろうか?

 

…とまぁ、以上は個人の主観。私には理解不能だが、「三代目」を見たくて見たくてたまらずに、全国から人が集まってくるのだろう。

どうやら過去にはセンター試験とぶつかり、受験生が宿がとれない事態もあったとか。

マラソンも私には無縁の世界だが、夏が短い北海道で、長いマラソンはこれが唯一らしいので、参加者は多いということか。

 

こうなると、上で大まかに描いた旅計画が根本から崩れることになってしまった。

いきなり女満別空港から網走に入り、逆コースを辿ろうか?

いやいやそれは列車の手当てが難しい。そもそも“8時間鈍行”は確か逆向きはなかった筈。

それともいきなり稚内、もっといえば札幌乗り継ぎで、直接利尻空港へ乗りつける?!

しかしそうなるとキャリーカートひっ提げて利尻・礼文を回らにゃならんしな…。

それに初日稚内だと、翌日曜に利尻・礼文。月曜に宗谷本線ということになるが、名寄の“キマロキ”が保存されている北国博物館が月曜日は休みなのだ。

あちらを立てればこちらが立たず。

意外と多い制約をかいくぐり、何とかうまく、できればものすごい早起きを極力避ける手立てはないものか。

 

結局、飛行機で直接旭川へ向かうことにした。

ところが札幌ほどの全滅状態ではなかったが、夏休み最後の土曜、旭山動物園への観光需要も馬鹿にならなかったのである。

一泊5万円くらいする高級宿しか楽天トラベルには残っていなかった。

そんなカネを初っ端からはたくのは嫌である。

他のサイトを当たる内、航空会社のサイトから、航空券と宿がセットになったフリープランみたいなものがあることを知った。

往復航空券と初日の旭川の宿だけ、まとめてとる。帰りの飛行機まで何日も間が空き、網走・女満別空港に私は突如現れる。その間の行動は一切不明。どこをどう巡り、どこに潜伏しているのか闇の中。航空会社のプランだけ見ると、そんな感じだ。

 

そうなると旭川から稚内へ向かえばよいことになる。

札幌からだと朝7時過ぎの特急で旭川を素通りして稚内へ移動する旅程が、稚内行に関してはかなり自由度が増す。

当初は稚内から旭川に戻る途中で、名寄の“キマロキ”を見に寄り道すればいいや。そうすれば旭川に夜着くから、次の日、夕方まで旭川にいて滝川へ向かうか、いっそのこと旭川にもう1日増やしてもいい。

そう考えていたのが、稚内へ向かう途中に先に名寄に寄ればよい。

ところがこれも別の制約を考えねばならなくなった。

稚内駅前にうに丼を食わせてくれる店があるが、ここが夜8時半には閉まってしまうのだ。

全てを鈍行にすると、ここに間に合わない。

釧路と全く同じ理屈である。

仕方ないので、時間稼ぎのため、名寄までは快速、寄り道した後、稚内までは特急に乗ることにした。

どんどん“金魚鉢”からガラス越しによそ者が、よそ行きの目で、車窓を眺めるだけになっていくな。

 

更に大きな問題がもう一つ。

当初の考えでは、稚内~旭川~滝川~(富良野)~(新得)~釧路というコースを描いていたのだが、今、これをやると、札幌無視の旅となってしまうのである。

函館を放棄したように、札幌も切り捨てるか?

いやいや折角何十年ぶりかで北海道へ行くと決めたのに、前に行きそびれた雪印パーラーを放棄するのか?

折角環状線となった札幌市電、札幌市営地下鉄、食い物屋の数々…それらを擁する札幌まで放棄することはできない。

 

そうなると稚内から旭川を経て札幌まで一旦戻ることになる。

旭川は初日に降り立つと決めた。

再び旭川に立ち寄るのは如何にも効率が悪い。

結局、またしても時間の関係で、特急に乗らねばならなくなってしまった。

しかも旭川で特急を乗り継ぐことになり、直通でさえない。

 

札幌に一旦戻ってきて、そこから滝川へ戻るという手もあるが、同じルートの往復ばかりでどう考えても無駄である。

稚内から旭川へ戻ってきて、逆に石北本線で先に網走、そこから釧路。釧路から札幌。新千歳空港から羽田へというルートも考えたが、釧路から札幌へ戻ってくるのがネックである。11日位の旅ならそれでもいいが、今回そこまで長くする積りはない。

 

結局、鉄道の利便性を優先することにした。

涙を飲んで、滝川から“8時間鈍行”に、代行バスをかまして乗るのは諦める。橋が復旧してこその“8時間鈍行”だ。前回乗らなかった富良野線にまたしても乗らないことになってしまうが、ラベンダーの時期はとうに過ぎている。それに『北の国から』も倉本聡もファンでもない。

川島本には、このまま台風被害の復旧ができず、廃線の可能性もあると書いてあった。実際、予算的に厳しく、即廃線とはまだ言ってはいないが、当面放置のようである。

東鹿越という、根室本線の不通区間の端が終着駅になってしまう可能性もある。途中、幾寅駅という映画『鉄道員(ぽっぽや)』のロケに使われ、「聖地」となっている場所も、鉄道で行けなくなってしまいかねない。

 

一旦札幌に戻ることにした。前回は、碌に札幌を巡っていない。

飲食店巡りも兼ねて中1日は確保する。

小樽まで足を伸ばすと、中2日は必要となり、日数が増す。

従って小樽行はまたの機会にし、今回はやめにした。

 

札幌から釧路へ向かわねばならない。

前は道内夜行が多数あった。

急行「まりも」という列車が札幌を23時頃出て、釧路には翌6時頃着いていた。

そもそも稚内だって「利尻」という夜行急行があったのだ。

夜行列車がなくなったのは時代の趨勢なのかもしれないが、旅を効率的に、宿代も浮かせて、ということを考えれば、大変不便になった。

結局またしても札幌から釧路まで昼行特急の世話にならねばならなくなった。

 

こうして、前回の観光、鉄道フルコース状態の旅程に比べ、真っ先にカットしたのが、入口の函館。それと湖。

代わりに入れたのが稚内、利尻・礼文島。

都市に滞在するという点で、札幌、網走は増強。旭川、釧路追加。

 

これまで鉄道ルート話に終始して、殆ど記していないが、近年の旅の好みを反映させ、今回も現地の銭湯、喫茶店はできるだけ組み込むことにした。

前は食べられなかったうに丼を今度こそ食べたい。

その要求にも極力応えたいとプランを練った。

一度は、訪れた全ての町で、うに丼を最低1杯は食うべし。

そんな“旅訓(?)”を課し、「北海道うに丼食い尽しツアー」をテーマにしようかとも思ったが、残念ながらそこまで徹底はできず。

 

さまざまな制約、需要との両立を図る内、当初の考えとは裏腹に、鈍行巡りの色彩はかなりそげ落ちてしまった。

結局のところ、あちこちで食い、飲み(といっても酒ではない)、最低限の銭湯巡りは維持し、戻ってみれば3キロ太り、蓋を開けてみれば、北の大地でも食い倒れ。大阪じゃないのに食い倒れ。

 

ところが去年も似たようなことが起きているが、またしても旅の少し前に奥歯の同じ箇所が不調になった。

クラウンという被せものをしていて、神経もとうにない歯の根っこの奥に膿がたまり、今回はこぶとり爺さんみたいに頬が腫れ上がった。

虫歯じゃないので歯医者も消毒と薬を出す位しか手立てがないそうである。結局抜かれることになってしまった。

薬持参で旅に出たが、最悪の場合、札幌あたりで歯医者に駆け込まねばならなくなるかもしれない。硬い肉などご法度である。ラスクみたいなのも、それと生蛸や烏賊、果物でもリンゴなどは食べられない。チャーシューメンなども避けた方がよさそうだ。

思わぬ爆弾を抱えての旅となってしまった。

歯医者には、家で湯船に浸かるなと言われた。

それに反して、銭湯巡りなどしようとしている。

幸い夏だ。湯船に長時間浸からず、烏の行水にしておくか。

それに経験上、疲れがたまると、歯痛が起こる。

しかし、長旅で疲れないようになんてできるのか?

歯医者に、「実は暫く旅行でして…」と言ったら、海外かどうか真っ先に尋ねられた。海外だと健康保険がきかないからだ。

 

移動手段としては鉄道は随分使ったが、これでは到底乗り鉄第一の旅とは言い難い。

しつこいようだが、場所を変えた今年もやはり食い倒れ。

「2017年北海道食い倒れの旅」。

再び、旅記事連載を始めたい。

どんな「食い倒れ」になるのやら。

暫くの間、お付き合い下さい。

 

以上、一部敬称略。