近年若尾文子映画祭が何度か催されたが、行く機会がないままとなってしまった。

本作のタイトルも、増村保造監督&若尾文子コンビによる青春映画として何となく知ってはいたが、どんな物語なのか全く知らずじまいであった。


今年に入ってからちくま文庫から原作本が復刊された時も、大した感慨もないまま、読みやすそうという理由だけで試しに買ってみたにすぎない。

作者が源氏鶏太ということもその時知った。

確か昔、父親が持っていた数少ない小説本の中に『流れる雲』という分厚い文庫本がカバーがとれた状態で置いてあったのを子供の頃見て、何の気なしに覚えた作家の名だったが、サラリーマン小説を多数ものしたかつての流行作家と聞いて、子供だった自分が興味を抱くはずもなく、名前だけは知っている作家にすぎなかった。


昨夏、京都で買った獅子文六の『七時間半』という小説を読んでみた。

自分が生まれる前の大衆小説を改めて見直した。

手軽にどんどん読み進められる。肩が凝らない。

そこで次に手にしたのが本作。出先の喫茶店と電車でだけ読んだが、実質2日で読み切ってしまった。出先だけで200ページ近く読めてしまうのである。相性が良かったのだ。



今どきのひねくれて、こねくり回して、どこか病んだところが多分にある物語世界に比べ、何と真っ直ぐで爽やかな読後感であったことだろう。

何だか気恥ずかしくなってくるほどの清々しさなのである。


簡単に言ってしまえば、シンデレラのような話である。

田舎で純真な心のまま育ったヒロインの娘が、祖母の死をきっかけに自分の出生の秘密を知り、慣れない東京暮らしを始めるが、さまざまな逆境にさらされる。それでも青空を見上げて真っ直ぐ健気に生きる彼女に、救いの手を差し伸べる人たちが現れ、彼女の運命切り拓かれる…というのが大筋。


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物語の主人公は小野有子という19歳の娘。

父、母、兄、姉、弟らは東京におり、有子だけが瀬戸内の田舎で祖父母と共に暮らしている。

祖母が亡くなる寸前、有子は、自分だけが母親が違うと知らされる。

戸惑いながらも、有子は祖父と共に、会社重役の父を頼って見知らぬ東京で暮らすことになった。

高校の恩師、二見先生も上京するという。

それは有子にとってどれほど心強かったことか。

有子は青空を見上げれば、元気づけられる。どんなに辛いことでも忘れられる。そんな娘であった。


さて東京の父の家に身を寄せてみると、他の家族の風当たりは強く、女中扱いされる始末。

愛のない結婚を強いられた父が若かりし頃、同じ会社で事務員をしていた女性と愛しあうようになり、生まれたのが有子だったが、そんな有子にとりわけ辛く当たったのが継母の達子。

わがまま娘・照子がボーイフレンドたちを屋敷に招いてピンポン大会を催すが、ひょんなことから女中の有子も参加することとなり、広岡という血筋の良い好青年に見初められる。


妻に頭が上がらず虐げられている有子を庇いきれない父・栄一は、有子を外へ呼び出し、ご馳走を振る舞い、洋服に靴を贈る。

そのことが姉・照子にばれ、照子が狙っていた広岡が有子を気に入ったことも手伝って、有子は照子から手ひどい仕打ちを受け、挙句、有子は誰にも告げずに屋敷を出る羽目になる。

有子のただ一つの心の支えは、生き別れた母を探し出し、再会するという夢。ただ1枚だけ残った生母の写真を父から譲り受け、大切に大切にしているのだ。


身を寄せるあてもなく、途方に暮れ、田舎へ帰ろうとする有子は偶然、上京して来ていた二見と出会う。二見の親切に触れ、暫く留守にする二見のアパートに居させてもらえることになったが、二見の婚約者を名乗る青子という女に追い出されてしまった。


田舎へ帰る旅費を作るため、父に贈られた靴を売ったところで、偶然広岡と出会った有子は、広岡の親切で靴を買い戻してもらい、旅費まで貸してもらえる。靴は有子との再会の日まで広岡が預かることとなった。


途中乗り換えの大阪で、前に知り合った女性と偶然再会。今度はその女性・近藤真代に手を差し伸べられ、彼女の経営する喫茶店の仕事を与えられ、彼女の家に間借りまでさせてもらえることになったが、真代の留守中に、有子に邪心を抱く真代の弟から迫られ、貞操の危機に晒された有子は、辛うじて難を逃れ、結局田舎へ。


田舎へ帰ると、親切にしてくれた隣のおばさんから、2週間前に入れ違いで実母が訪ねてきたと聞かされる。母は大陸へ渡ったと聞いていたが、内地へ戻ってきて、今度東京へ行ったという。


そこへ二見が現れる。姿を消した有子を田舎へ追ってきたのであった。27歳独身の二見もまたいつしか有子に好意を抱き始めていた。

ささやかな同窓会の後、有子は二見と共に再び上京。高校時代の親友・信子の世話で、彼女の叔母のもとへ身を寄せることになった。


有子は広岡と再会。有子を巡り、広岡と二見という2人の青年が恋のライバルとなることとなったが、彼らはあくまで清々しい友情を育み、フェアプレイを貫く。


心労が祟って入院してしまった父・栄一や、屋敷に留まりながらも居心地の悪い思いをしてきた有子の祖父、それに有楽町でも喫茶店を経営する近藤真代とも、有子は再会する。

真代や広岡の尽力のお蔭で、有子は母・町子と遂に再会を果たした。

有子と広岡の様子に、二見は想いを告げずに自ら身を引く決心をする。


有子は、母・町子が仕えている山本家に引き取られることとなった。一方、町子は栄一とは再会しない決心をする。栄一には栄一の家庭がある。そこに波風を立ててはならない。

広岡は有子に近く、長い間預かっていた靴を贈ると告げた。

有子は、その靴を受け取る時こそが、広岡の愛情を受け入れる時だと思ったことがあったが、今、まさにそれを実感していた。


有子は、これまでのことを思い出しながら、これからも雲の彼方に澄み切った青空があることを信じて生きていこう。改めてそう自分に誓った。


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…というふうな具合で、雑誌「明星」に連載されていた十代の少女向けの小説だけに、ヒロインがピンチに立たされるたびに、都合よく救いの手が差し伸べられ、窮地から救われる話が繰り返される。

正直いって、「そんな都合よく事が運ぶかいな…」と内心思わなくもない。

しかし、そこは物語である。


本当は重役令嬢という恵まれた生まれのはずなのに、意地の悪い継母に女中部屋に押し込まれ、わがままなきょうだいたちからいじめられ、遂には文無し状態で屋敷を追い出されてしまう。運命の女神は彼女を見捨てることはなく、彼女に暖かな手を差し伸べる人物が現れるも、またしても意地の悪い奴やよこしまな奴が横やりを入れ、彼女は路頭に迷う。

相次ぐ苦難の連続。それでも挫けることなく、まっすぐな気持ちで、青空を信じ、生き別れになった実の母との再会を心の拠り所として、健気に生きる。


信じる者は救われる。

少女向けの情操教育という側面もあったのかもしれないが、解説にもあるように、作者自身が、若い女性にはこうあってほしいと願いを込めて理想像を描いたのだといえるだろう。


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原作本をあっという間に読み終えたところで、映画版のDVDを借りて観てみた。


映画版は概ね原作本に沿った筋だが、随所に細かな改変がなされ、話も幾分整理されている。


屋敷を出た有子が、映画版では二見を直接訪ねている。だが二見を一方的に慕う青子のせいで追い出された有子は、広岡を訪ね、自ら田舎への旅費を貸してほしいと申し出る。

その借金のカタに、自らの靴を広岡に預ける有子。

広岡は、いつか自分の前でこの靴をあなたが履いてくれるなら…と承諾する。


この辺りの件、原作よりも映画版の有子のほうが、アクティブというか、思い切った性格というか、ハッキリした気性に変えられている。それは物語終盤、より顕著な形で現れることになる。


その田舎も映画版では、より東京に近い伊豆に変わっている。

列車乗り継ぎの為、大阪で時間をつぶし、そこで喫茶店経営者・近藤真代と再会…というエピソードはバッサリと省かれた。


原作では、同窓会の前に、二見が有子に青子とは何もないと釈明した後、“かりに、結婚するなら、君のような娘としたい”と気持ちを告げる場面があるが、映画版にはそれがない。

そのまま同窓会に集まった教え子の娘たちに、自分と結婚したいと思っている者、手を挙げろと冗談めかして言うと、大半が手を挙げた中、有子は押し黙って手を挙げない。

二見の有子への気持ちが映画版では少し宙ぶらりんな感じがした。


さて上京後、有子は二見に広岡のことを「適当に男らしくて、適当にハンサムで…」と説明。

“適当”って何だよ…と思わなくもない。

真代が登場しないので、その経営する喫茶店の代りに、信子に紹介された親分肌の叔母さんがキャバレーを経営していることになっている。

喫茶店よりもキャバレーの方が絵的に派手だからなのだろう。


そして映画版では、二見先生が部屋へ帰ってみると、青子が勝手に転がり込んでいて、青子が二見に“有子のことが好きなんでしょう”と詰め寄り、二見が怒って青子を追い出しにかかるが、結局自分の方が部屋を出る羽目になってしまう。

これまでも、又この後も、二見が有子に青子のことを釈明する場面がないことから、原作と違って、映画版では田舎の同窓会の場面が、有子の気持ちが二見にはないことのハッキリとした描写だといえるのかもしれない。


部屋を出た二見は、会社で寝泊りするため、掃除のおばちゃんに鍵を開けてもらう。

そのおばちゃんこそが有子の実母・町子なのである。

町子は娘の幸せの邪魔にならぬように…とシラを切り通し、急に勤めをやめてしまう。


二見先生は広岡のもとを訪ね、広岡に町子を探す役目を譲る。

広岡は、愛車で町子の住まいを割り出す。

「大変です。有子さんが自動車に轢かれたんです。すぐ来て下さい」と呼び出し、慌てて出てきた町子にすかさず嘘を詫びる。もうこうなっては町子も有子との再会から逃れるわけにはいかない。


広岡は有子を“天国へ一緒に行きましょう”といざなう。

後に残った二見は、有子を巡っての恋の争いから完全に身を引く覚悟を決めている。有子への想いを告げることがどうしてもできなかった。有子が今でも、青子のことを自分の恋人だと思ったままで構わないとさえ言っている。


広岡に連れられた有子。広岡のいう“天国”とは、実母・町子と感動の再会の場であった。

そこへ屋敷の女中・八重と、弟・弘志がやってくる。(――どうして居場所がわかるのか?!――)


父・栄一が病気に倒れ、うわごとで有子を呼んでいるという。

病床の傍に居るのは、妻・達子だけだ。達子はここぞとばかり、夫の偽善をなじり、鬼の形相で恨みつらみを述べ立てる。

有子は、母・町子に、「逃げないで下さいね、有子から。あたし、少しお父様をいじめてきます」と言い残し、屋敷へと向かう。


通すまいと立ち塞がる意地悪姉貴・照子、冷たい視線を向ける継母・達子を、有子は一蹴。

父の枕元に立った有子。

「お父さま、あたし、さよならを言いに来ましたの」

とガツンと一発かます。

私たちのことは忘れて下さい。私が女中扱いを受けて可哀相だと仰ったけど、それはみんなお父様の責任なのよ。お父様が誰も本気で愛さないからこうなったのよ。

自分の母・町子、継母・達子、どちらも中途半端にしか愛していない。

お父さま、生ぬるいのよ。ウソなのよ。

ね、お父様、本気になって達子お母さまを愛してあげて。それだけなのよ。


有子は徹底的に父の優柔不断をなじると、父は病床に就いた身で、「私が悪いんだ。私が悪かったんだよ。」とガックシ。何もそこまで追い込まんでも…父ちゃん、病気が重くなるよ。…思わずそう言いたくなるほどの有子の徹底的な攻撃ぶり。

…映画版では父は入院まではしていないが、原作だと初期とはいえ胃癌ですからね…。


完全に勝者となった有子は、意地悪姉貴にも、継母にも、兄貴にも、余裕の別れの挨拶をかまし、意気揚々と引き揚げる。

物語の早い段階で、最初の悪ガキぶりから有子を「お姉さん」と慕うカワイイ弟に変化した弘志に対しても、送ってくよという声をピシャリとシャットアウト。

「ダメッ、もうお姉さんじゃないの。他人よ。」

そう言っておいて、すかさず

「他人だけど、とっても仲のいい他人」

と笑顔。この辺りのアメとムチの絶妙な使い分け加減が堪りません。


後に残された小野家の意地悪兄妹は、ぐうの音も出ない。

病床の父・栄一は、「達子、悪かったよ」と優しい言葉を掛け、素直に詫びると、鬼の目にも涙。鬼嫁・達子は、これまでの感情が堰を切ったように流れ出し、夫の枕頭で泣き崩れた。


場面変わって有子の田舎。

思い出の崖で仲の良さを見せつける有子と広岡。

母・町子はわかるが、何故か二見先生まで一緒についてきて、見守っている。

町子は二見先生に、まだ独り身か?と尋ねる。


「…有子さんより、もっと美人で、もっと優しい人、世話して下さい。」


二見先生、何気に厚かましい。物語中では有子が心根も容姿も一番美しくて清らかという位置付けではなかったのか?!

原作では二見先生にも、梶本清子さんという同じ会社に勤める恋人候補が最後に現われるが、映画には出て来ないので、フォローの積りなのだろう。


一方、恋人たち2人。

「これが君の青空?」

「そうよ」
「じゃあ忘れたまえ」

「えっ、どうして?」

「僕が君の青空になる」

「まあ」

「目をつぶって。何が見える。青空?僕の顔?」

「青空」

「えっ」

「でも、それがあなたの顔になる」

「よしっ、じゃあ青空にさよならだ」

「さようならー」
「さようならー」


「さようならー」
「さようならー」


…「青空を、雲の彼方に青空のあることを信じて生きて行こう。」

原作では有子は改めて自分にそう誓う。


これから先の人生にだって、逆境や、曇り、否場合によっては雨や雪さえも幾らでも出てくることだろう。

今、ここで青空を忘れてしまわなくても…という気がしなくもないが、そこはラブラブの2人。

“これからは僕が君の青空だ”

自信満々な広岡青年、そう言い切り、有子もそう信じてやまないのだから、まぁヨシとしましょうか。


それにしても昔の青年は、今の感覚からすると、随分と老けて見える。

広岡青年役の川崎敬二にせよ、二見先生役の菅原謙二にせよ、到底20代後半には見えない。煙草吸って、背広姿がやや草臥れるほど、仕事に一心に打ち込むと、男はそれだけ老けて見えるものなのか。


お屋敷の女中役にミヤコ蝶々。映画版オリジナルの役で出入りの魚屋役に南都雄二。この夫婦漫才コンビの関西弁が映画版では濃厚な色合いとアクセントになっている。

小野家の屋敷では、父・栄一を除けば最初から有子に好意的なのは、この2人だけだ。原作を読んでいた時には、この八重はもっと若いイメージであったが、映画版では随分おばちゃんだなーと意外であった。それで改めて原作本をめくってみると、やはり八重は25、6歳の女と書かれていた。


物語クライマックスの有子の啖呵は、スカッとして爽快だが、その分、原作の有子よりも若尾文子の有子は強い女性として描かれている気がする。


どこまでも健気で清貧を思わせる原作の有子。

自立した女性像の色彩濃く、自分の運命は自分の力で切り拓け!そんな気概さえ見せ始め、優柔不断な父、意地悪連中をギャフンと言わせた映画版の有子。

皆さんはどちらの有子がお好みですか?!


そんな比較ができるのも、原作本の復刊あってのことである。

とても読みやすい本なので、是非一読をお勧めします。


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『青空娘』

(1957 大映京都)

監督:増村保造

主な出演:

若尾文子(小野有子)

菅原謙二(二見桂吉)

川崎敬二(広岡良輔)

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以上、敬称略。