前回の続き。
先の記事を読み返してみたところ、第25話、26話辺りが飛んでしまっていたことに気が付いた。後々の展開のことも考え、今回はその補足から始める。
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その時…貴女の横顔を一生忘れないだろうと思った。
さっきまであれほど泣いていたわずか11歳の少女が
使用人に屈辱の涙を見られまいと…
もう、顔をきりりと上げて、尊大げに唇をさえ結んで…
子供心に身震いするような誇り高さだと…
私はゾクゾクし、嬉しかった。
その時から、私の心は貴女のことでいっぱいになって…
そう、あの日から私には
貴女の姿しか見えなくなったのです
(#25)
美しい本宅のお嬢様がいると母から聞かされ、一の宮家の屋敷に連れてこられたれい。庭先で初めて会った蕗子様は、まだ幼さを見せながらも、招かれたパーティーで一番下座に座らされた、ただそれだけの理由で誇りを著しく傷つけられ、怒りの涙に震えた無防備な姿を見せていた。
ところが使用人が探しに来た瞬間、涙を収め、身を立て直し、凛然たる態度に改まる。
その姿を目の当たりにしたれい(サンジュスト)は、その時から蕗子の一番の崇拝者となった。
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「貴女は…貴女の身震いするほどの誇りは…
私があんなにも憧れ続けてきたあの美しい誇りは
どこへ消えたのですか。
そんな…自分をそんなにまで卑しめて、貴女は…貴女は…」
「…でもやめてほしい
貴女が貴女の誇りを卑しめてまで、してほしくない」
(#25)
自分が心酔し、崇拝する相手には、いつまでも永遠に憧れの対象でいてほしい。そして自らが思い描く理想の高みの、更にその上をいってほしい。
それが裏切られたと感じた時、自分の捧げてきた愛が、崇拝が、美しい憧れが、全て地の底に堕ち、無に帰するかのような、どうしようもないやるせなさと絶望に変わる。
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どっち…どっちなの…どっちの耳?…どっちだ…
蕗子さまの唇が触れたのはどっちだ…!?
(#25)
奈々子がサンジュストさま(れい)に恋情を抱き、その吸いさしの煙草をそっと持ち帰り、口にくわえようとしたのと同様、れいにとっては蕗子が全て。何者にも代え難き絶対的崇拝の対象で、蕗子の言い付け通り、ストイックに蕗子だけを思い続けている。
唇が触れるのは愛の証。蕗子さまの愛を受けられるのは、この地上で自分だけ。ゆえに蕗子の愛を、他の者が受けたままにしておくことは絶対に出来ない。たとえ間接的であるにせよ、自分が更に貰い受けなければならない。
この心理、どうしてもご理解できぬという向きは、蕗子→神、接吻→神の恩寵、と置き換えて想像されよ。
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「あの方への想いは、私の胸深く、密やかに静かに眠り続けてきた。
魔法のような光を放って宝物のように…
私の宝物…誰にも見られてはいけない私の宝物…」
「宝物だったのに…私だけの宝物だったのに…
あの子たちが壊した。あの子たちが踏み躙った。」
「わたくしの大切なものが穢され、卑しめられ、壊されていく。
そんなの絶対にいや。わたくしは認めない。許せない。
でもね…今ならまだ間に合うのよ。今ならまだわたくしたちの
この美しい時間を永遠に留めておけるの。
誰にも穢されることなく…わかるでしょ、れい。」
(#25)
蕗子の、美に対する純粋で真摯でストイックで、そして厳しい想いがこれでもかと伝わってくる言葉である。
遠い昔、思春期の頃読んだヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』という短篇小説を思い出した。
蝶の採集に熱狂するあまり、主人公の少年「ぼく」は隣家の少年宅に忍び込み、憧れの珍種の標本を前に誘惑に負け、盗みを犯そうとするが、急に怖くなり、土壇場でポケットにしまいこんだ蝶を返そうとする。だがデリケートな蝶の標本は、既に原形を留めてはおらず、少年は絶望してその場を立ち去る。良心の呵責に耐えかねた「ぼく」は母親に打ち明ける。母親は隣家の少年への謝罪を指示する。「ぼく」は隣家の少年に謝りに行くが、彼は罵るでもなく、ただ冷然たる軽蔑の態度をとり続けた。相手からの侮辱に「ぼく」は危うく彼の喉笛に飛びかかりそうになったが、どこまでも敗残者でしかなかった。そして美しき蝶は「ぼく」自らの手でその美を損なわれてしまった。
帰宅した「ぼく」を母親はそっと優しく迎えてくれたが、その夜、「ぼく」は暗闇の中で、それまで大切に集め、慈しんできた自分の蝶のコレクションを全て粉々に押し潰してしまった。
集めていたガラス細工の1つが使用人の不注意で壊されてしまったからといって、何も残りの全てを砕いてしまわなくても…というのは大人の理屈だ。
代品を求めたり、残りのコレクションを大事にしたりする。そんな妥協ができればもっともっと楽なのだろうに、それを許さず、許せず、“100でなければ0”という完璧主義。
陶芸の名工は、焼き上げた作品に満足がいかねば窯から出した瞬間、地面に叩きつけるという。
それとどこか似ている。
そんなどこまでも生真面目で、融通の利かない、不器用で、だが純粋な蕗子の心情を、アホらしいと片付けてしまうのは簡単だ。
だが、それだけ思いが切実で、混じりっ気がないということなのだ。
蕗子が心の中にそっとしまっているかけがえのない大切な世界。
例え些かエキセントリックに見えようとも、尊重したいと思う。
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言葉を慎みなさい!私はあの子の姉です!
(#26)
蕗子に向かって、サンジュストさまに何もしてあげていないと声をあげて抗議する奈々子。蕗子は奈々子の頬を打つ。奈々子は転倒するが、怯まず、引き下がらない。
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「貴女がすぐに来てくれると思っていた。
私は待っていたのです。
雪の冷たさが心地良かった…。
遠のいていく意識の中で、私をじっと見つめてくれている貴女の息づかいが私に伝わってくる。
やがて雪の冷たさが少しずつ暖かく柔らかに変わり、穏やかな春の日の花々の中にいるような…。ああ…自分の体温が落ちてゆくのだなあと、私は妙に冷静にそんなことを思いながら、何もわからなくなっていったのです。」
「窓の外はまだ雪が降り続き、その舞い落ちる音が今でも耳に残っています。
コトコト コトコト コトンコトン
コトコト コトコト コトン…」
(#26)
蕗子の想いを容れ、れいは蕗子と共に見知らぬ冬の北国の海岸へと旅立った。
大人になることは汚れること。美しく穢れのない清い身体のままで、死によって、永遠の時を手に入れるのだ。
信じる蕗子に身を任せ、蕗子の手にするナイフが静かにれいの手首に食い込む。れいはひと足先に旅立った。最後まで蕗子を信じて…。
蕗子さまは来ない…どこかでそれがわかっていながらも、あの楡の木の下で激しい雨に打たれて尚、来ない蕗子を待ち続け、遂に倒れて熱にうなされ、その刹那夢見た穏やかな風吹く丘の頂きの荷馬車の幻影。
それこそは、しんしんと雪降り積もる海岸での心中未遂。徐々に薄らぐ意識の中で、れいが夢見た幻影のフラッシュバックにすぎなかったのかもしれない。
「コトン、コトン、コトコト、コトン…」
丘の石畳を走る馬車の音、静かに窓を敲く雪の音。
両者がれいの心の裡で密やかにシンクロする。
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貴女だけを見つめてきました。貴女だけを。
でも、今の貴女は見ていられない。
誇りを捨てた貴女など、見ていられない。
(#26)
上記参照。サンジュストさま役を演じた島本須美氏の熱演がとりわけ光った。
特に最初の「貴女だけを」。裏返った声で、吐き出すような言い回しで。
その美を、気高き誇りを、信じ、愛し、崇拝し…。
それなのに、ひたすら憧れ、忠誠を誓ったその女(ひと)は、世俗の垢にまみれ、誇りを失い、汚れちまった堕天使のようだ。
れいの苦悩が痛々しいほど読み取れる。
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ここから前回末尾の#28~#30へ続く。
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沈んでいく船に最後まで残っても、褒められるのは船長一人だけよ。…楽になるわよ。船を降りると…。
(#32)
「腐った果実」事件をきっかけに、ソロリティー有力幹部たちも離脱。そのまま宮さまに仕え続けるメズーサの君に、離脱メンバーのボルジアの君が、あなたも抜けろと唆す。
「あら、ソロリティー廃止のご署名をなさったような方とは、お友達だったことなどありませんことよ。失礼」
流し目で乙に澄まして通り過ぎ去ろうとしたメズーサの君の後ろ姿に、ボルジアの君が浴びせた強烈な一言。
似た言葉に、「ネズミは沈みかけた船を見捨てる(Rats desert a sinking ship.)」という英語の諺がある。
尤も、お隣の国ではまさに沈んでいく船から真っ先に逃亡した船長があとで捕まるという事件があった。私はこの事故の報道を新聞で読み、真っ先にこのボルジアの君の言葉を思い出した。
三咲の言葉を借りれば、ボルジア様も「乗り換え上手」といえようが、少なくとも副船長として何とか船が沈むのをくいとめようと彼女なりにあがいたのだ。乗客(メンバーズ)を放ってさっさと逃亡する船長なんかよりは、遥かにましだといえる。
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「はい」
「…いいえ…はい…いいえ。」
「はい、私はあなたを憎んでいます。
いいえ、でもあなたが好きです。」
「憎んでいます。でも好きです。
だけど好きです。好きです。
でも憎い…憎い…憎い。」
(#32)
これは名言というより名場面。
部屋を突然訪ねた蕗子から、れいはソロリティー廃止運動に加わったのが自分への憎しみからだったのか尋ねられる。シャワーを浴びていたれいは、全裸のまま硬直したように蕗子に答える
一旦止めたシャワーの湯を再び裸身に浴びながら、れいは狂ったように「はい」と「いいえ」を絞り出すように繰り返す。
愛と憎しみのアンビバレンス。相反する二つの激しい感情に支配されしサンジュストの苦悩は如何ばかりか。
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あなたたちはっ!あたしはね…あたしが今度のことで最大の目的にしているのは、あなたたちのそういう腐り切った意識をなくすことなんだっ!
(#32)
ソロリティー廃止運動の拡がりと共に、宮さまの時代は終わった、これからは折原薫さんの時代よ、と無責任に持ち上げる元メンバーのミーハーぶりに、薫の君が怒りをぶちまける。
元メンバーたちの姿が、『ベルばら』の貴婦人たちの姿に重なってならない。
失神夫人とか、悶絶夫人とか…。
失礼、これは往年の宝塚版のお笑い担当(?)の皆さまでありましたか。
しかし、只一人残ったソロリティー・メンバーのメズーサの君を唆しているのはバンパネラの君(星野)なのに、薫に本を投げつけられるのはカトレアの君(山本)。
ビンタされたり、本を投げつけられたり…カトレアはんも、えろう災難でんなぁ。
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「有難う…有難う…皆さん。
ようこそ、ソロリティーへ。ようこそ、伝統あるソロリティー・ハウスへ。
わたくしはこのソロリティー・ハウスを愛します。美しいものを愛します。
誇りあるものを、美しいものを、真実価値あるものを愛したいと思います。
愛せるだけの自分になろうと思っています。
いつか自分をそこまで高めようと思っています。
誇りは持とうと思えない限り持てません。
しかしながらわたくしは、そのわたくしが、誇りを持てるだけのものかどうかは、いつも疑っています。迷っています。
時には…時には捨ててしまいたいと思うことさえあります。
でも、持とうと思わない限り、持てないことをわたくしは知っています。
だからわたくしは、持とうといつも思っているのです。
どんなことがあっても…。
ソロリティー・メンバーの皆さん、その気持ちがある限り、わたくしはソロリティーを続けます。
一人になるのなら、なおわたくしはソロリティーを続けます。
では、ごゆっくりお茶を…。」
(#32)
遂に最後の側近、メズーサの君も去り、蕗子一人が残された。
美しく設営されたお茶会の席。誰一人と席にいないがらんとした会場で、一人メンバーが招集されるのを待ち続ける蕗子。
そんな蕗子のもとへ駆け付けたのは他ならぬれいであった。「たった今、全員が揃いました」
やはり最後の最後に蕗子を見捨てなかったのはれいであった。
蕗子は挨拶を始める。
宝塚寄りの引用をすれば、『ベルばら』で押し寄せる民衆の前で、女王マリー・アントワネットは黙ったままこの上ない優雅なお辞儀をしてみせ、暴動一歩手前の民衆は圧倒された。
『エリザベート』でハンガリー独立を企てる革命派が突如銃声を轟かせ、独立を迫らんとする中、エリザベートは上衣をパッと脱ぎ捨てると、ハンガリーの三色旗の色が現れ、革命派の急進思想はいつしか消沈し、大衆の心は女王崇拝に転じた。
本作における女王・蕗子の前には、今、詰め寄る民衆もとい一般生徒たちはいない。
誰もいない会場で、恰も自分を仰ぎ見る幾多の羨望の瞳の数々が並んでいるかのように、蕗子もまた優雅な毅然たる態度で、誇りとは何かを静かに語り始める。
誇りとは、知識でも教養でも、ましてや素性や富を鼻にかける、勿論ブランド品で身を固めることなどでは決してなく、自分をそれに値する高みに近づけんと絶え間ない努力を続け、それを大切に思うことなのだと蕗子は語る。
「誇りとは何か…?」
この命題を正面きって描いた作品として、他に昼ドラマ『華の嵐』を私は思い出さずにはいられない。
華族階級の出であるヒロインは、戦争を挟み、失われた華族の誇りを取り戻せるのは財力だという信念の元、金の亡者と化してしまった。主人公は、嘗てヒロインの父である男爵を憎み、母の復讐を遂げるため近付いた筈が、ヒロインの気高き心に触れる内、いつしか身分差を越えて愛し合うようになるが、戦争によって引き裂かれてしまう。
奇跡的に一命を取り留め復員した主人公は、嘗ての恋人を何とか真っ当な生き方に引き戻そうとする内、敵対するようになる。最後に敗れたヒロイン。主人公の心意気に、ヒロインの母は、亡き男爵の誇り高き精神が主人公にこそ継承されていることに気付き、心からの敬意を表する。
自分を律すること、そして高みに至らんと絶え間ない努力を惜しまぬこと。そして己に羞じずにいられること。それを誇りと考えるならば、存外日常生活のそこかしこに転がっているものなのかもしれない。
神への信仰心が人々の意識に浸透している特にプロテスタント圏において、人々は自らの日々の行為が神の慈愛に恥じぬよう、善行を重ね、禁欲的に刻苦勉励し、ひいてはそれが国家の繁栄に繋がった。そんな学説さえもある。
神→良心、そう置き換えてみれば、ここでいう誇りを持って生きることは、ほぼ同義だといえよう。
挨拶を静かに終えた蕗子は、長いスカートの裾をそっと摘み上げ、優雅にお辞儀して見せた。
その姿は気品と、威厳と、誇りに満ちた、まさしく心気高き女王そのものの姿だった。
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「誰の為に傷つくか、何の為に傷つくか。
もし、それが納得のいくものであれば、例え赤い血が全て流れ出ても、何も惜しくはない。」
(#32)
蕗子の挨拶を目の当たりにしたれい。そして奈々子、薫たち。
今まさに過ぎ去ろうとする一つの時代。誇らしく美しきものを体現した世界の消滅。そこに君臨した女王の、ソロリティー会長としての最後の輝きを前に、奈々子が心に浮かべたのは、マリ子の父が若かりし頃に書いた美しい小説の一節。
その小説の結末はきっと悲しいものだろう。
だが、全てを出し切った。生き切った。
そう思えるほどの生き様ならば、納得のいく一生だったと胸を張って言えるだろう。
蕗子のために、蕗子のことを思い続けるれいのことを指しているであろうか。
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見たでしょ、こないだ。あの方の誇りを。揺るぎない美しさを。
嬉しかった。ゾクゾクするほど美しかった。
幼い時に見た誇り高い蕗子さまがそこにいたから。確かにいたから。
ソロリティーの廃止とか存続とか、そんな問題を遥かに超えて、美しい蕗子さまがあそこに…。
今ね、とっても幸せなんだ。こんな奇妙な気持ち初めてさ。いつまで続くのかな…ウフフフ…。
昨日ね、ほんとに久しぶりによく眠れたんだ。
(#33)
ソロリティーが事実上の崩壊を見せた。「ソロリティーは蕗子さまそのものだ」と、薫の君からソロリティー廃止提案を打ち明けられた当初は激しく反対したれいだったが、ソロリティーに縛り付けられていたら、却ってその気高き誇りまでもが傷つけられてしまう。そう判断してソロリティー廃止に加担した。
12の時から憧れ続けた蕗子さまの変わらぬ美しさと誇り高さ、気高さを、再認識できたことに、れいは心から安らぎを得、自分のとった行動が決して誤りではなかったことに喜びを感じる。
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「巷に雨が降るごとく…お前さんに借りてた本、出てきた。ベッドの下から。」
「ああ、ヴェルレーヌ」
「我が心にも涙ふる…似つかわしくないな。今日の天気には」
「今のれいにもね」
「…かな…?」
「…だよ…」
「月曜日、返却致します」
「了解」
(#33)
珍しく晴れ晴れとした気持ちのれい。部屋の掃除までして。心浮き立ち薫に電話。
「…かな…?」、「…だよ…」
そのツーカーな関係、この気安さこそが、薫とれいの特別な絆を思わせる。
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この辺りで一旦打ち止め。
以下、次回へ続く。





