今回は最初はかなりディープな鉄道話である。
語呂を考え、こんなタイトルにしてあるが、早い話が「半分徹夜して「鉄道フェスティバル」に参戦し、モノを買ってきましたよ」ということである。
これから記す文章は、本来ならば「紀行」に区分けすべきものだが、あまりに鉄道話に偏った内容となるため、敢えて「鉄道」に分類しておく。
最後の方には、きっと食べ物屋の話が出てくるが、大半の方がそんな積りで読むと、きっと途中で嫌になる。
従って、繰り返すが、この文章は区分け原則を破り「鉄道」。
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先月25日のこと、朝から西武鉄道のイベントに保谷まで行ってきた。
目当ては「鉄道コレクション」という、一応玩具の形態はしているが、部品を取り換えればそのままNゲージ鉄道模型になりますよ、という代物。
事業者特注の限定品で、「401系」という15年ほど前まで西武線で走っていた車両の模型である。
あまりに詳しいことは省くが、私はこの電車には何度も乗った。
元は旧型の「赤電・411系」だったのが冷房化の上、新性能車にグレードアップされ、「真っ黄色」になった。結局、唯一の黄色の「食パンスタイル」となった。
1978年のデビュー当時のちょっとした衝撃を今も覚えている。それまで黄色の2両編成の増結車などなかったのだから。(「新101系」が登場したのはその翌年1979年のことである。)
マニアックなことを書くと、元の411系電車というのが、「クモハ411」+「クハ1451」の組み合わせだったのに対し、改造後は「クモハ401(奇数)」+「クモハ401(偶数)」の組み合わせとなったので、番号が途中で追いついてしまった。
(理論的には「411」「1451」→「401」「402」、「412」「1452」→「403」「404」…と、400番台が倍の速度で増えてゆくから、「420」「1460」→「419」「420」で追いつくことになる。但し、実際の新旧番号の対照は、必ずしもここまで規則的ではなかったようだ。)
そのため、例えば元の「クモハ422」は一旦「クモハ442」に改番の上で改造、「401系」の「クモハ424」に再改番という複雑な変遷を辿った。
最初はオークションで後で買おうか…とも思ったが、やはりこれ位は現地に出向くか。そう思い、10時の開場時間に着いた。地味な印象の電車だったが、今も譲渡先で走っているからなのか、意外な人気で、長蛇の列ができている。
幸い絶好の行楽日和の快晴。陽射しが眩しい露天で、牛歩の如くジコジコと進んでは止まり、進んでは止まり、その中を2時間ばかりずっと立ち詰めで並ばされる。
その間ずっと本を読んでいた。そんな状況下でも、意外と本は読めるのだ。立って読む、という意味ではこちらのほうがよほど「立ち読み」らしいや、などと時折思いつつ、希望の数を無事買えた。
(自分の記憶では新宿線で“ブツ6”の「準急」などは記憶にないが、一応3箱6連分を買う。)
折角だから、本来のイベントの目玉である、「5号」という今般綺麗に整備されたSLの写真を撮って会場を後にした。
「鉄道コレクション」を買いに並んだのは、今回の西武鉄道のものなどはまだまだ可愛いほうである。
もう一月半以上も過ぎてしまったが、10月6~7日に「鉄道フェスティバル」というイベントがあった。
そこで売られた阪急、阪神の「鉄道コレクション」を買った時こそ、随分苦労させられた。
25日と同じ快晴の日だったが、まだまだコートなどいらない暑い陽気であった。
カレンダーを戻し、その日のことを書いてみる。
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第1章・阪急の 鉄コレ少なく 大慌て
「鉄道フェスティバル」は例年日比谷公園で行われるが、今年の会場は明治公園であった。日本青年館の目の前、千駄ヶ谷駅が最寄りである。
例年、各私鉄会社のブースにて、事業者限定の「鉄道コレクション」(以下「鉄コレ」と略)が売られる。
9月だったか、今年は阪急電鉄は「6330系」という元の特急車両が、阪神電鉄は「7861/7961形」という急行系車両が、それぞれ鉄コレで出るということを知った。
詳しい方には釈迦に説法だが、一応簡単に触れておくと、阪急の6330系電車というのは、1975年にデビューした6300系という特急車両が後で数が足りなくなり、1984年に1編成だけ増備されたものである。
車体に関してはベースの6300系とほぼ同じだが、走行機器のシステムはその間の技術革新を反映し、当時の最新式通勤車両「7300系」同様となった。その関係で、6300系にはなかったパンタグラフ付先頭車が作られるなど、独自のスタイルで人気を博した。
惜しまれつつ2010年に引退し、廃車となっている。
(ほぼ同形の6300系電車)
「2ちゃんねる」を見ていると、実車が1編成しかない独自仕様の電車で、模型としては他への改造転用などのつぶしがあまり効かないこと、試作品の画像を見る限り、特に前頭部の印象把握が今一つ似ていないことなどから、さんざんの評判であった。
それに、8両固定編成の実車通りに模型で再現しようとすれば、「先頭車+中間車」で売られる「鉄コレ」を6箱買わねばならない。その煩わしさも又、不評を呼んだ。
一方、阪神の7861/7961形電車は、急行系車両として作られた「赤胴車」である。
(阪神では、普通用と急行系用で車両がはっきり区別され、両者の性能も全く違う。急行系は上半分クリーム色、下半分朱色の塗色で「赤胴車」と呼ばれ、普通用は下半分が青色のため「青銅車」と呼ばれる。尚、「赤胴車」は、当時人気だった『赤胴鈴之助』に因んだといわれる。)
7861/7961形電車は、2両固定編成のため、かつては本線の増結車として用いられ、特急としてもよく使われ、その頃私も当時度々乗った。
現在も武庫川線で細々と走っている。
かつては当たり前のように走っていた形の電車が、今ではわざわざ求めて行かないと乗れないほど数を減らしてしまった。
(武庫川線にて撮影)
現役車両だし、買いやすいし、そんなことから、「鉄コレ」としては、今年は阪神電車のほうが人気が出るのではないかと思った。
ところが、阪急の「鉄コレ」で、実車の8両編成を再現しやすくするため、中間車ばかりの4両セットを少量生産の上、発売することになった。
全体で1000個といわれる。
この内、「鉄道フェスティバル」で売られるのは400個。ということは、各日200個ずつ限定発売されるということになる。
これには参った。
毎年日比谷公園では、朝6時半頃家を出て8時前に着けば普通に買える。そう思ってきた。
だが、行列の200番以内に入らねばならなくなってしまった。
何も阪急の鉄コレに並ぶ人の全員が全員、中間車セットを買うとは限らないが、8両編成だった実車を再現するには不可欠のセットだし、稀少価値が付くことは目に見えている。
始発に乗って現地へ向かっても、7時前に着ければ良いほうである。
それに、絶対に何時に着かねばという確かな決まりがない中、早起きしてさっさと家を出ることは到底できないように思われた。
そこで思い切って前夜都心部でホテルに泊まることにした。確実に現地へ早朝着くにはそのほうが良い。
色々探してみたが、宿泊自体が目的ではないので、極力安くあげようと考え、結局新宿のカプセルホテルに泊まることにした。
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第2章・新宿の カプセルホテルに 宿をとり
10月6日の前夜、金曜日の23時にカプセルホテルにチェックインするべく予約を取る。
日頃は家路へと急ぐ時間に、全く逆方向の電車に乗って新宿へと向かうのは奇妙な感覚であった。
歌舞伎町のカプセルホテルへ行ってみて驚いた。
ここは男性専用の施設だが、こんなにも多くの会社員やら学生やらが週末泊まりに来るものだとは知らなかった。
既に30人ほどの長い列ができている。
赤ら顔ですっかり出来上がっているおじさんもいる。
キャリーカートを牽いて、夜行バスで東京入りしたと思しき若者の一団もいる。
漸く自分の番が来た。
23時には着いていたのだが、長蛇の列のせいで、既に15分ほど遅れている。
翌日、明治公園で長時間じっと動かぬ行列に並ばねばならない。
簡易な折り畳み椅子を用意しておこうと思いつつ、すっかり忘れてしまっていた。
そこで、チェックイン後、すぐに外出し、新宿だから「ドンキホーテ」にでも椅子を探しに出ようと考えた。
深夜の歌舞伎町ゆえ、客引きが声を掛けてくるのをすり抜けて靖国通りへと向かう。
苦労してやってきた「ドンキホーテ」だったが、簡易な造りの折り畳み椅子は却って置いておらず、クッションの付いたパイプ椅子なら割と安く売られている。
だが、こんな嵩張るものを買っても、後で到底持ち歩けないことは目に見えている。
椅子が立派過ぎるのだ。何故、戦国武将の床几のような簡素な椅子が置いていないのであろう。
結局、椅子は諦め、手ぶらで帰るのも癪だから、まだまだ暑い日だったので、アイスキャンディーを買って舐めながら歩いて宿へ戻ったら、さすがの客引き兄ちゃんも、アイスを歩き食いする男はそっち方面目当てでないと悟ったのか、誰一人として声を掛けては来なかった。
(後日100円ショップで発見。こんなのが欲しかったのに。)
カプセルホテルに戻る。
ここでは皆、フロントで支給された、灰色とも青色ともつかぬ、何ともみすぼらしい作務衣風のお揃いの衣装に身を包むことを要求される。
裸足でペタペタと館内を歩き、上の階の大浴場へと向かった。
途中の階には、男性専用施設らしく、食堂に加えて居酒屋、それにマッサージ店まである。
フロントを通った先は、一種の共同体。外界からは杜絶された、一種の独立国家である。
ここには通貨は存在しない。
代りにあるのは、皆それぞれ腕に巻いた、鍵付バンドに付されたバーコードである。
内部でサービスを受けるには、全てバーコードを読み取り機にかざすだけで、あとは全てツケで済む。
読み取られたデータは蓄積され、チェックアウト時フロントで精算する仕組みである。
何だ、ホテルの冷蔵庫から酒やジュースを飲むのと変わらぬではないか。
そう思われる方もおられようが、普通のホテルでは、廊下の自販機でものを買うのは自分で財布のお金を使って済ませるものだ。
それに対し、ここでは自前のお金を使うことをそもそも許されない。
腕のバーコードをかざしさえすれば、万人等しく同じサービスが受けられるという点で、老若問わず皆ひとしく平等である。
着ている服も皆同じみすぼらしい作務衣だから、恰好による貴賤もない。
等質性が徹底される中で、皆、大浴場では等しく素っ裸になり、風呂に浸かる。
一種の共同体である。
私はカプセルホテルはこれが3度目の経験だが、面白い仕組みなので、未体験の方は一度泊まってみられると面白いと思う。ある意味貴重な社会勉強になる。
大浴場はその名に恥じぬ広々としたもので、中央に大きな浴槽が横たわっている。防水対策が施された大きな液晶テレビがあり、ニュースをやっている。
露天風呂もある。
その間の通路脇にマッサージ・コーナーがあり、韓国人お姉さんが声を掛けている。
すっぽんぽんで歩く中、幾らマッサージのお姉さんとはいえ、何だか気恥ずかしい。
こういう時「どうだ!」とばかり、フリ○○で堂々と歩けば良いのかもしれないが、まだまだそこまでの度胸はない。
扉を開けて外へ出ると、ビルの6階なのに涼しい風がそよぐ開放感あふれる露天風呂が姿を現した。
水風呂と電気風呂以外は、私は基本的には全ての浴槽に入りたがるたちだが、この露天風呂の時は、向こうにある浴槽のことは諦めざるを得なかった。
向こうの浴槽の前には、やはり防水加工が施された大きな液晶テレビが置かれ、夜のニュースをしゃべっている。
皆、それを見ながら、じーっと動かない。
7~8人の大人が、露天風呂で固まって、じっとニュースを見ているさまは、温泉地で雪の中露天風呂に集団で浸かるお猿さんみたいだ。
風呂から上がると既に1時を回っていた。
カプセルのある階へ行くと、既に辺りは静まり返っている。
私の寝床は上段であった。
カプセル脇の梯子につかまり、全体重をかけてよじ登る。
何だか寝台列車を思い出してしまった。
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数年前の海の日、「きたぐに」という夜行寝台急行に乗りに、わざわざ大阪まで出向いたことがある。
新幹線でひとっ跳びというのも芸がなく思え、小田急の新宿から当時、沼津まで走っていた「あさぎり」という特急に乗り、東海道本線で清水へ行き、静岡鉄道の新清水から新静岡へ。再び静岡からJRで豊橋、名鉄に乗り換え名古屋へ。名古屋から関西本線で亀山、奈良を経て新今宮。大阪環状線に乗り換えたら、出発30分前位に漸く大阪へ辿り着いた。
余計な待ち時間がなくなった代りに、朝から「乗り鉄」漬けである。
さすがに疲れ果て、陽が落ちた関西線ではすっかり居眠りこけていた。
それ以上に参ったのが、沼津の改札で「青春18きっぷ」を見せたら、「明日からしか使えません」と言われたことである。
不覚をとってしまった。
結局、全て実費で運賃を支払うことになった。
意外と、自分の取引銀行の支店が見つからない。東京や大阪では「犬も歩けば…」状態なので、すっかり油断していた。
「みどりの窓口」で長距離切符を買う度に、カード決済を申し出る。
数十年前ではこうはいかなかったであろう。
手持ちの軍資金をなるべく目減りさせぬよう、それでいて、銀行探しなどで余計な時間を費やして「きたぐに」に遅れないよう、内心随分焦ったが、他行のATMでお金を降ろして、手数料をくれてやる位なら、茶でも飲んだ方がましだ。変なところでケチ根性を出し、やせ我慢した結果がこれである。
「きたぐに」は「583系」という、鉄道好きなら知らぬ人はいない寝台電車が使われる。
今となっては旧式も旧式。開放タイプの3段寝台だが、切符を取る時、何となく一番「らしい」気がしたので上段にした。
あまり強度なこだわりを示すこともあるまいと、「モハネ582」のパンタグラフ下の「中段」というマニアックな指定をしなかったのは、その実、寝台番号を調べるのが面倒になったからである。
深夜にもかかわらず、珍しい列車ゆえであろう。
多くのギャラリーに見送られながら、「きたぐに」は大阪駅を発車した。
洗面所で歯を磨き、一通りの寝支度をした後、既にセットされている自分の寝台へと向かう。
列車は速度を増し、時折がたんと揺れる。
その中を、肩掛け鞄を提げ、脱いだ靴を紐で鞄に結わえ付け、自分の背丈と同じかそれ以上の高さまで梯子をよじ登るのである。
梯子は細く、甚だ頼りなく、心もとない。
今、この瞬間、バランスを崩して落ちたら、複雑骨折か、打ち所が悪けりゃお陀仏だな…と思うと、真夏なのに身震いがした。
「夜行列車の惨事。乗客男性梯子から真っ逆さま。還らぬ人に」
そんな新聞見出しが頭をよぎり、梯子をつかむ手に思わず力が入る。
何とか上段まで辿り着き、自分のベッドへ潜り込む。
しかし、驚くほど高さがない。
無理矢理身体を横にして、そのまま布団をかぶって寝た。
翌朝、直江津で降りることになっていた。
完全な寝不足だったが、寝過ごすと大変なことになると思うと、不思議と30分ほど前に目が覚めた。
さて、起きて朝ご飯でも食べますか。
そう思って起き上がろうとしたら、ゴツン。列車の天井に頭をぶつけてしまった。
あまりに天井が低く、寝床で起き上がる事すらできない。
だからといって、床まで命がけで何度も梯子を上り下りするのは嫌だ。
結局起き上がることもままならず、寝床で仰向けになりながら、私は前夜買っておいた菓子パンとお茶の朝食を摂った。
食物が食道をゆっくりと通過してゆくのがわかる。
完全に仰向けだと気味が悪いので、少しだけだが頭を起こしてみる。そんな姿勢を取っていると、とにかく腹筋が疲れる。そんな姿勢をいつまでも維持し続けていられるほど私は身体を鍛えていない。そこでまたグタッと仰向けになる。暫くするとまた頭を起こし、パンを食べる。その繰り返しである。
よくよく考えてみたら、直江津で降りてから長野へ乗り換えるのだから、それから食べればよかったのだが、あまりの非日常的狭小空間に身を置いて、そんな知恵すら回らなかった。
三段寝台が通路両脇にずらりと並び、カーテンで仕切られている。
その狭いスペースに人間が一人一人入り込んで棲息するさまは、何だか蚕棚のように思えた。
前夜上る時は、土足の床から苦労して靴を結わえて寝床へ潜り込んだが、降りるのは昇るのよりも怖い。
暑い夏だったので、寝ている間は裸足であった。
段々通路に降りる時は靴ばきで、というのが面倒になってきた。
裸足で降り立ち、体勢を安定させてから靴を履く。
これでも、この型の車両が40数年前に登場した当初は、寝台の幅が広くなった、として歓迎されたそうだから、昔の人は一体どんな過ごし方をしたのだろうか。
それとも、こちらが贅沢にできてしまっているということなのだろうか。
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カプセルホテルのカプセルは、それに比べれば遥かにましだ。
寝床で上半身を起こせるだけの高さがある。
10月初旬は、夜でもまだまだ暑かった。
空調が今一つだったのか、寝る寸前にお猿さんの仲間になって湯に温まり過ぎたのか、寝苦しくて寝つけない。
朝は早いのだ。
まんじりともせぬまま、何となく目をつむり、寝返りを繰り返しつつ、いつしか少しだけうとうととし…またしても4時半の目覚ましが鳴る前に目が覚めてしまう。
蚕棚電車寝台よりはまだ広いとはいえ、そう狭苦しい場所に籠ってばかりもいられない。
そーっとそーっと梯子を下りて、大浴場へと再び向かう。
新宿の巨大カプセルホテルともなると、色々な御仁が居られるようで、4時半過ぎという随分な早朝なのに、少なからぬ人が浴場にいるのには驚いた。
風呂に入ると気分がスッキリ、シャッキリする。
風呂の洗い場で歯を磨くのも、T字で髭をあたるのも、決して普段の習慣ではないが、郷に入ったら郷に従え。周囲を真似てみれば、これが意外なほどに気持ちが良い。
さすが男性専用施設。シェービングフォームもあって、塗ってみるとスーッとする。
歯磨きの後、口はどうやってすすぐのか?と思ったが、よくわからないのでシャワーを口に向けて噴射。「あー」と口を開けてすすいでおいた。
身体を拭いて、作務衣を着、ロッカーへと向かう。
元の服に着替えると、漸く外界へ戻る気がしてくる。
結局、私の手首に巻かれたバーコードは一度も用をなさず、「ツケ」なしを通した。
チェックアウトし外に出ると、まだ空は暗い。
歌舞伎町のネオンに照らされた場所を、「星が瞬いていた」などと大嘘は書けないが、さすが不夜城新宿。結構人が歩いている。
朝5時のことであった。
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今回も脱線に次ぐ脱線話で、随分長い文章になってしまった。未だに会場へ着いてさえもいないが、一旦これでおしまい。
続きは次回にて。












