前回の続き。


廃車となった5000系「レッドアロー」の走行機器は、後継車NRAに再利用された。多くの車体は解体されたが、一部は富山地鉄に譲渡された。


やはり廃車となっていた、JR九州の485系特急型電車等の走行機器を組み合わせて再生され、「16010系電車」として第二の人生を歩み始めた。



当初は3両編成だったものが、2両編成に改造されるなどの変化はあったものの、同社の看板車両として今も走っている。


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数年前に一度、山陰路を東上する旅に出た。

途中、福知山から敦賀を経て、富山にも立ち寄った。


その時、富山地鉄に初めて乗った。



偶々だが、「レッドアロー」と再会した。



電鉄立山まで普通列車として乗り通し、そこから「アルペン特急」として折り返す。折角なので、宇奈月温泉まで乗ってみた。


デッキが廃されオープンになったものの、西武線で名残に乗ったのと基本的には同じ内装で、青いリクライニングシートも変わっていない。

外観は、西武時代と微妙に違う個所はあるものの、全体のイメージはそのままである。


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10年ぶりに旧友に再会した気分になった。



本年9月、北陸路を旅した際、再び"地鉄のレッドアロー"を、今度は少し時間を調べて待ち、写真に収めた後、途中までだったが再び乗ることができた。

その時の旅行記に書いたので、詳しくは繰り返さない。



地鉄のレッドアローは2編成あるが、その内の1本は、2011年水戸岡鋭治氏のデザインによって、観光列車「アルプスエキスプレス」として生まれ変わっている。



その話を知った時、派手派手しい奇抜な色に塗り替えられてしまうのではないか、その名の因んだスイスの観光電車か、或いはJR九州の特急電車のように真っ赤なトマトのようにされてしまうのではないか、そんな懸念を抱いていた。


だが、華々しくデビューした観光列車は、そんな心配をよそに、外観上の変化はアイボリーに赤帯の元の塗色はそのまま、部分的なロゴの追加に留められていた。


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その代り、内装は水戸岡氏お得意の木の素材を生かした暖かみのある空間が演出され、所々に遊び心が加えられている。


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今夏、時間を捻り出して、レッドアローに僅かでも乗るべく「特急うなづき号」の切符を買った。

電鉄富山駅には「アルプスエキスプレス」が停まっている。

てっきりこちらが特急になるのだとばかり思っていたら、もう1本のレッドアローが入ってきて、そちらが特急になった。

「アルプスエキスプレス」は、特急の後追いの「普通」として使われた。明らかに「アルプス―」のほうが豪華内装で、こちらこそ看板車両といってよい。

それを分け隔てることなく、普通列車に使い、特急には改装していないほうのレッドアローを使うところに、親しみを覚えた。


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前回も今回も、特に鉄道ファンとも思えなさそうな乗客が、地鉄のレッドアローに乗りながら、「この電車はね、昔西武線で走っていたんだよ。」と話しているのを耳にした。

電車を背景に記念撮影する人も少なからずいた。


譲渡先でもレッドアローという元の愛称がそのまま浸透し、フラッグシップ車両として愛されている。

鉄道車両としては、幸せなほうなのかもしれない。


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かつて西武百貨店池袋本店11階に「しぐなるはうす」という名の鉄道模型売り場があった。

隣は帆船模型、もう一方の隣はパスル売り場と、大人の趣味の店という風格があった。


ブルートレイン・ブームが当時の少年たちに広まり、Nゲージ鉄道模型がブームになる少し前、小学校高学年になった私は、クラス替えを経て、前からNゲージを趣味にしている友人と親しくなった。

私にとって、鉄道模型趣味はこの時が最初ではなかったが、それをきっかけにNゲージを趣味にし始める。


中村橋や富士見台から池袋へ出やすく、よく「しぐなるはうす」を訪れた。


この店に一人、当時としては珍しい、茶色い長い髪をした若い女性の店員さんがいた。

その頃の私は随分と人見知りする子供であった。間違っても、「お姉さん、これ頂戴。」などとは決して言えず、何だか緊張していた。

今にして思えば、生意気なことに、美人を意識していたのかもしれない。


店の奥には大きなショーケースがあり、Nゲージよりも一回り大きな、HOゲージの模型車両が色とりどりの姿を見せていた。

今は、線路の幅や縮尺などで、「HO」と呼ぶのは不適切だといった意見もあり、「16番」と呼ぶべきだと言われたり、模型雑誌では「HO」ではなく「J(=Japan)」と表記されたりしている。

だが、当時は皆「HO」と呼んでいた。従って以下では「HOゲージ」という呼び名で統一する。


当時、鉄道模型はまだまだ車両の種類が少なく、HOゲージではプラスティック製モデルもなかった。高価な金属製が主流で、その多くは国鉄型に限られた。


私鉄車両の金属製完成品モデルは珍しいものだった。


東京へ越してきて間もなく、確か大丸東京店の売り場で、京都模型の阪急6300系という特急電車の完成品が、誇らしげに飾られているのを羨望の眼差しで見た覚えがある。


かつてロコモデルという、ペーパー製車体模型のキットを数多く手がけるメーカーがあった。

HOゲージにおいて、私鉄電車の模型は、専らこのメーカー製のものが主流であった。

デパートの模型売場には、キットを組み立てた特製完成品がショーケースをその華やかな色で彩った。


「しぐなるはうす」には場所柄か、西武5000系「レッドアロー」の特製完成品が陳列してあった。


先頭車両の正面は、あの紺色と山吹色のヘッドマークすらない、登場時のすっきりとした姿が再現されている。

厳密には先頭車両の片方へのトイレの有無など、登場時の姿が完全に再現されていたかまでは、記憶に無いし、第一、当時そこまでの実物への知識はまだ無かった。


だが、よく見ると、走行機器のパーツの形が明らかに違っている。

完成品の種類が少なかったから、そうした部品の種類が少ないのは当然で、朧な記憶だが、この特製品「レッドアロー」の模型も、台車と呼ばれる車輪を支える枠のような部分は、当時、この手の空気バネ台車のパーツとして広く代用されていた、国鉄の「DT32/TR69」という型がグレーに塗られて使われていた。


子供はそういうことには目ざとい。

「台車が違うじゃないか。」

そんな偉そうなことを内心思ったのであった。


ところで、この国鉄型の「DT32/TR69」という台車は、旧国鉄の特急型、急行型車両の多くに採用されたものであった。

「485系」という交直流特急電車にも採用され、今でもこの電車は徐々に数を減らしながらもJRの各路線で走っている。


富山地鉄に西武5000系「レッドアロー」が譲渡された時、走行機器は廃車となったJR九州の485系特急型電車などのものを組み合わせて再生された、と上で述べた。


地鉄のレッドアローの台車は、まさしくこの「DT32/TR69」である。



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今夏、電鉄富山駅のホームで実車の写真をあれこれ撮っている内、この台車部分だけも写したくなった。

写真を撮りながら、私はふと、昔「しぐなるはうす」で売られていた、「台車がにせもの」呼ばわりしたロコモデルの特製完成品のことを思い出していた。

やや穿った見方をするならば、実物と微妙に違った仕様の模型に、実車が近づいたようなものである。

感慨深い思いをしながら、写真を撮り続けた。


そういえば、あの茶色い長い髪のお姉さんは今頃どうしているのだろう。

そんな思いが一瞬頭をよぎった。


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随分と長い鉄道回顧録となってしまった。

到底ささやかなどとは言えない量になってしまったが、3回に亘るこの文章、当blog連載100回記念のつもりである。