前回から2か月近いブランクが空いてしまった。

3月にこの記事を纏めようとあれこれ考える内、少々格好つけた言い方をすれば、思考の迷宮に嵌まり込み、日々の雑事にかまけ、放ってしまったというところだが、気付けば4月も末である。

4月の記事が無というのも寂しいので、滑り込みで纏めてみることとした。

情報としては完全に旬を逸してしまったが、ご容赦を。


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2月中旬、まだまだ寒かった頃に遡る。


使っているパソコンが突然壊れ、翌日観に行こうとしていた映画・『ヒミズ』に生きそびれた。

日を改めて観に行った。その日のことを書く。


劇場公開からひと月も経つと、幾ら海外の映画祭で受賞した作とはいえ、どこでもかしこでも朝から晩まで観られるわけではなく、銀座、渋谷に新宿と、夜や夜中しか上映しなくなっていた。

朝からやっている劇場を探す。吉祥寺・バウスシアターの名が目に飛び込んできた。



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バウスシアターは、そんなに頻繁に訪れてはいないが、印象に残る映画をこれまで幾度か観ている。


全編音楽のみで構成され、台詞が一切出てこない、一人の男の夢想という形で時間と空間を飛び越え、壮大な幻想旅行が繰り広げられるスペイン=キューバ合作映画・『バロック』。


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政治家である父の秘書を務めるヒロインが、大学時代の恋人から共に死のうと誘われ、それを受け入れるが、その前に自分たちの生きてきた証を残すべく、墓となる土の塔を築く作業が延々と描かれる、3時間にも及ぶ邦画・『TRUTH:A STREAM』…等々。

駅前からだと商店街を結構歩くので、北からバスで行くことにする。ラッシュ並に混んでいるバスを終点1個手前で脱け出し、アーケードに入るとすぐ劇場が見えてくる。

「雨の平日朝、そんなに混むこともあるまい」終映が13時半になるので、確かここは館内飲食ができた筈…と食べ物を用意する。

すぐ近くに西友があることを思い出し、洋風助六寿司に玉子ロール、みたらし団子やら、先に色々買い込んだ。

思った通り客は少なく、他には女子大生と思しき2人組だけというほぼ貸切状態。本編開始を待つまでもなく、予告編の間に、食料は全て食べ切って、少し早い昼食となった。


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(以下敬称略)

中学3年生・住田祐一(演:染谷将太)は、池の傍で貸しボート屋を営む母と暮らしている。震災で家を無くした被災者たちが周囲に住みついている。彼の願いは「普通」の大人になること。

クラスメートの茶沢景子(演:二階堂ふみ)は、愛する人と守り守られ生きてゆくことを夢見る15歳。

他と違い、大人びた雰囲気を持つ住田に恋い焦がれ、自室の壁一面に「住田語録」を貼り付け、ヴィヨン詩集を愛読する彼女は、彼に猛アタックを繰り返し、疎んじられつつも、纏わりついている。

借金で蒸発していた父親(演:光石研)が金を奪いに帰ってくる。住田を激しく殴りつけ、早く死ねと罵られる。母親もやがて男と駆け落ち。僅かな小銭と無責任な置手紙だけが残され、住田は天涯孤独の身となる。


一見裕福な家庭の娘にみえる茶沢もまた、両親の愛を受けられずにいた。母親は娘のために絞首台を作ろうとしている。住田の境遇に共感し、懸命に励まそうとする。


そんな時、ボートハウスにヤクザがやってくる。住田の父親がこさえた借金の取立に来たのだ。住田は「立派な大人になってやる」そう叫び、ヤクザの理不尽な暴力に精一杯の抵抗を試みる。


やがて父親が現れ、「しぶといなぁ、俺本当にお前のこといらないんだよ。」

住田の心は限界を超え、気付けば父親を殴り殺していた。


「普通」の人生を諦めた住田は、それ以降の日々を「オマケ人生」と称し、自分よりも悪い奴らを抹殺することに決め、顔中を絵具で塗りたくり、手に提げた紙袋に包丁を忍ばせ、街中を徘徊する。


住田の異変に気付いた茶沢は、彼を救い出そうと奔走し、彼に懸命に向き合おうとする。彼の父親殺しを知った茶沢は、自首を勧める。

が、絶望し切った住田は、ヤクザの残していった拳銃で自殺しようとする。


池の中、弾を撃ち尽くした住田は、自殺を願った自分との決別を遂げる。


翌日、一緒に走る住田と茶沢。

「頑張れ、住田、夢を持て!この世でたった一つの花だろ!」

茶沢が懸命に叫ぶように住田にエールを送る。


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原作漫画の結末では、住田が自殺を遂げるそうだ。

東日本大震災を経て、改変がなされたらしい。


私は元来「頑張る」という言葉があまり好きではない。

歯を喰いしばって、力んで、踏ん張って、…と強要されているように感じる。


大抵の人間は、自分で気付いているいないに拘らず、何らかの形で頑張って生きているものだ。それを、更に「頑張れ」などといわれると、「無理に無理を重ねなさい」と無責任に言われているように感じる。などと言うのはひねくれた見方に過ぎないのであろうか。


「頑張れ」という言葉が真に実感を込めて感じられるのは、何か行動を起こしたいという意思があるのに、なかなか最初の一歩が踏み出せない、そういう状態にある時、背中を押してくれる他者の言葉として作用する場合だけ。そう思えるのだ。


境遇の違っている者が、相手の状況を察することなく、安易に「頑張れ」などと言っても、却って空虚な高みの見物にしか思えてならない。


そういう意味では、この映画において、茶沢さんが住田に発する「頑張れ」は、珍しく説得力を感じる。

共に中学生でありながら、親に生きることを望まれず、寧ろ、その死を期待されるという異常な状況下に置かれた者同士。

本来なら、他の者全てから自分の存在を否定されたとしても、せめて親には、自分の存在を肯定してもらいたい、親はその最後の砦。中学生位の歳ならそれ位は期待しても良いのではないか。

住田にせよ茶沢にせよ、それが全く否定される境遇にある。

住田の父親殺しは、茶沢自身が母親に対してやりたかったことではないか?そんな気さえしてくる。


茶沢が住田のために献身的に動くのは、自らと同種の、しかし更に根深い境遇に陥れられた住田への強い共感ゆえではないか。住田のための尽力が、自らの魂の救済にも繋がるのではないか。どうも「住田が好き」というだけではないように思えてならない。


しかし、本質的な疑問として思うのは、本作のような、親からの愛情、親との信頼関係が根こそぎ損なわれている状況下に苦しむ少年少女の物語に、果たして東日本大震災を盛り込むことがより効果的だったのだろうか、ということなのである。


こんなことを書くのは多くの方々の顰蹙を買い、多くの方々から反感を抱かれることなのかもしれない。


それを敢えて書くのは、昨年の3月11日以来、どうも人間が思い悩む物語というと、決まって被災者のエピソードが挿入され、そのことに触れなければならないという暗黙のルールでもできているではないか、と感じるからである。


勿論、東日本大震災の甚大なる被害は今なお大きなものがあり、現に苦しめられている多くの方々がおられることは事実で、それこそ支援乃至は声援を送らねばならない。他人事として忘れ去ってしまってはいけないことは百も承知である。

だが、そのことと、物語において、人間の苦悩=東日本大震災、と直結させることとは別のことだ。


映画やTVドラマの物語において、作っていた話を東日本大震災によって急遽作り替えた、書き換えた、という話を見たり聞いたりする度に、正直なところ疑問を感じる。

不謹慎なようだが、人間の苦悩の種は、他にも幾らでもある筈だ、そう敢えて言いたくなる。


東日本大震災後、殊更「絆」ということが言われるようになった。

『ヒミズ』は、言うなれば、その「絆」が断たれた少年の物語である。

あちらも深刻なら、こちらも深刻である。優劣など論じられない。


私は今、ことさらに「東日本大震災」という長い言葉を繰り返し用いてきた。「震災」と略して書くことを避けた。

理屈を述べるようだが、「震災」という一般名詞は、東日本大震災を特定する言葉ではない筈である。中国・四川省も、ニュージーランドも、それこそ1995年の阪神・淡路大震災だって「震災」の筈である。


それを、東日本大震災=震災と、新聞が特に書き続けるのは、津波という大きな被害と、今なお苦しめられている多くの被災者の方々がおられることが第一ではあるが、加えて原発の被災という大きな問題が惹起され、電力供給不足、原発の是非という問題に繋がってしまっているからだろうと考える。

又、少々意地の悪い見方をすれば、中国やニュージーランドは外国のことだから、阪神・淡路大震災の時は、少なくとも東京では、その直後にオウム事件が起きて、マスコミの関心がそちらに移ってしまったからだと思っている。


映画『ヒミズ』では、原作漫画では主人公の級友だった男が、被災して家を流された中年の会社社長に置き換えられている。それが敢えて、犯罪を犯してまでも、主人公の少年の背負わされた借金を陰で肩代わりする。

「彼には将来があるから」…確かそんな台詞があった筈だ。


例えば、主人公の少年が自殺を踏みとどまったのを、この中年社長の苦しみに比べてみて「死ねなくなった」などと描かれていたとしたら、あまりにも出来すぎた話に、私はそもそも当Blogでこの映画を取り上げることを意地でもしなかったであろう。

敢えて被災者を少年の支援者にしたところが、この監督らしい一種の捻りのようにも思えるものの、繰り返しになるが、親子の絆の断絶(それも親のほうに一方的に問題有)の物語に、果たして東日本大震災のエピソードを盛り込むことは必要だったのだろうか。私には、最後までこの疑問が拭い去れなかった。


深刻な問題だから、あらゆる物語に反映されて当然。素直にそう思えれば良いのだが、どうしてもどこか引っ掛かるものを感じてしまう。デリケートな問題だから、言葉は選ばねばならない。

偶々ではあるが、神戸の時も、東北の時も、震災数か月前に、後に被災地となる場所を旅で訪れている。三宮センター街時代の「G線」で洋菓子を嗜み、女川駅に降り立って、駅を撮影しているのである。


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映画・『ヒミズ』から、東日本大震災に思考が広がってゆき、全く収拾がつかなくなってしまったのであった。


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そんなことをあれこれと思いながら劇場を後にした。

手には微かに玉子ソースの匂いが染みついている。


商店街を駅へと向かいつつ、アーケード内の古本屋と、ディスクユニオン3Fに立ち寄ることにする。

古本屋は、以前、香山滋の『海鰻荘奇談』(講談社大衆文学館)という稀少な本を発見したことがあり、吉祥寺のディスクユニオン3Fは、これまでクラシック音楽の貴重な盤を随分発見した店なので、寄らないわけにはいかない。


しかし、色々なものを買い集めすぎたのか、めぼしいものは見つからず、退散。


この後、猫カフェに行ってみようと思っている。

吉祥寺にも店はあるようだが、最近滅多にこの街に来ないから、今後リピートする可能性を考え、同じ系列の新宿店を目指すことにする。


その前に、ふと、隣町の西荻窪に寄ることを思いつき、雨を押して盛林堂書店に立ち寄るも、こちらも空振り。稀少価値はなさそうな小泉喜美子の文庫を1冊のみ買う。

ならば、「甘いっ子」。そう思い、店を訪ねると、「店主通院のため臨時休業」と貼紙が。

ついていない時はとことんついていないものだ。


そう思い、来た道とは1本脇の道を駅に戻ると、途上に「越後杵つき餅」の幟が目に入る。



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昼間なので色々な種類の餅菓子が売られている。

白い作業着に身を包んだ親方風のベテラン職人と、その弟子と思しき若い衆の2人で店を切り盛りしている。若いほうが売り子で、親方は餅作りに忙しい。

大福餅といっても色々な種類があるので、若衆に尋ねると、すかさず脇で作業中の親方から返事が返ってきた。

“詳しい違いの説明は若造には任しておけねぇ”といったところか。


色々買い込む。紙でしっかり包んでくれたから、この後猫カフェに行っても、猫に食べられることはないだろう。


その日の晩、お萩に苺大福、草餅と、あらかた食べてみたが、豆大福だけがどうしても食べきれない。


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翌朝に回すと、餅がすっかり固くなっている。だが、これこそが混じりっ気なしの本物のコメの餅の証。

ガブリとかぶりついてみたら、これにも苺が入っていた。


若衆、豆大福を苺大福と間違って詰めてくれてしまったらしい。

後で親方に叱られただろうな…と思いつつ、思いがけない「当たり」に、この日のこれまでの「外れ」感覚が一気に帳消しとなった。庶民感覚なんて、こんなものである。


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愈々新宿に降り立つ。

確か靖国通り沿いの雑居ビルに猫カフェがあったはずなのだが…そう思い、上のほうを向いて横断歩道を渡りかけると、行き交う人にぶつかりそうになる。

ビルに入った店を探す時に限っていえば、坂本九の「♪上を向~いて、あ~るこうおうおうおう」って歌は、ありゃウソだ。

上を向いてちゃ危なくっていけない。前を向いて歩かねば。


幸い「富士そば」の上にお目当ての店は見つかった。


蕎麦屋の脇の暗い通路を奥に進み、エレベーターを目指す。

目的地は猫カフェなのだが、場所柄なのか、何だか不純な所へ向かうような気分になってくる。

少々躊躇していると、カップルに先を越される。男のほうは、安田大サーカスの一人のような巨体の坊主頭で、よく見ると英字の形に髪を残している。

彼らの目的地も同じ猫カフェであった。

こんなゴツイ男も猫目当てなのか…そう思うと気が楽になり、彼らに続いて入店する。


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猫カフェは、イメージしていたものとは違っていた。


私が何となく思い描いていたのは、普通の喫茶店のように、椅子とテーブルがあちらこちらにあって、客が座ってコーヒー、紅茶などを飲んでいる。仕切り壁に観葉植物が置かれ、その仕切りの上やや床やらを、猫が自由に歩いている。椅子の脇に、時に猫がやってきて、人間が猫をてんでに撫でている。撫でながらお茶をしている。そんな光景であった。


ところが、実際は、靴をスリッパに履き替えて、総絨毯張のだだっ広い大部屋に入る。猫が広間を自由に闊歩し、キャットタワーやら段ボールの家で寛ぎ、人間たちがそれらの猫を撫で、脇に寝そべっている。いうなればキッズルームに猫が居る。そんな形容が正しい空間であった。


会計窓口脇にフサフサとした長毛種の猫が招き猫のように陣取っている。

この猫をひたすら撫でてみる。

撫でられ慣れているらしく、少しもゴロゴロといってくれない。

が、逃げる風でもないことからすると、まんざらでもないのであろう。


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受付は6階だが、中で下の階にもつながっていて、サントリー美術館か、茅場町時代の山種美術館を思わせる。


5階に降りてみると壁際にソファがあり、漸く人間が座れる場所を発見する。

右脇のソファに猫が居眠りこけている隣に腰を下ろし、ひたすら撫で、喉をさすってみる。

嫌がりはしないが、何の反応もない。


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猫を抱っこするのは禁止されている。

フラッシュを焚かなければ写真撮影は可なので、そろそろこの「眠り猫」を写して河岸を変えようか、そう思ってカメラを取り出すと、ケースの紐に別の猫が興味を示し、左側のソファに上がってきた。


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何とかこいつを手なずけようと撫でさすってみる。

左右両手で別々の猫を撫でている。

両手に花ならぬ両手に猫。

「猫まわし」の様相に、海老一染之助・染太郎兄弟の「おめでとうございます」みたいだなぁ…などと懐かしくも勝手なことを思い出している。


紐に釣られたほうの猫はやがて撫でられ飽きて立ち去ってしまった。

それを潮に、キャットタワーの猫たちに一通り触れ、そろそろ時間を気にして、上の階に戻る。


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上の階のキャットタワーの猫は、先ほどは人が多くて素通りしていた。


その中の1匹を撫でてやると、ペロペロと手を舐めてくれる。

少し舐めてくれるどころではない。

延々と永久に続くかと思うほど飽きずに舐め続けてくれる。


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実は前の日に、手の指の爪を切った際、深爪していた。

猫の舌はちっちゃくて可愛らしい形をしているが、ささくれ立ってザラザラとしている。やすりで擦られるようなものだ。

深爪したところを舐められるたびに、「ひぃ~~~~っ」と悲鳴を上げたくなる。

だが、こんなに延々と初対面の人間の指を舐めてくれる猫はまず居ない。

一生に一度あるかないかの経験と思い、痛みにひたすら耐える。


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もしかして、映画館の暗がりで食べた玉子ロールの味がまだ手に残っているから、これだけ舐め続けてくれるのだろうか?

もしそうだとすれば、今日の私の手は、猫を引き寄せる「黄金の手」のはずだ。



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猫に手を舐められながら、通りかかったスタッフのお姉さんに尋ねてみた。

すると、「この子はこうやってずっと舐めてくれるんです。撫でてもらったお返しの積りなのかもしれませんね。」


「そうか。この猫はそういう子なのか。延々と舐め続けてくれるのは、玉子ソースの残り香のせいではなかったのか。」


「黄金の手」説は脆くも崩れ去った。

考えてみれば入店前に念入りに手を洗い、消毒までさせられている。当たり前か。


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人間からすれば、猫というものは圧倒的に小さくか弱い生き物である。

そのか弱き生き物が、背中を撫でられたお返しに、延々と指を舐め返してくれる。

猫は、撫でられると仲間に舐められたと同じように思うものらしい。

自分が身体を舐めて毛づくろいしてもらったお返しを、何倍にもしてくれているのである。


己の弱きを知る者は、他の弱きを労わるを識る


昨年3月末、東日本大震災の傷跡が東京でも未だ生々しく、昼間の電車の室内照明は消され、各駅停車だけが間引き運転されていた折、交通難を押して日比谷へ宝塚歌劇の貸切公演に行った。


終演後、組長(~宝塚は「○組」、「△組」…と組分けされているので、出演者代表はこう呼ばれる。決してヤクザの組長ではありません。~)の挨拶があった。


東日本大震災の被害を見舞うものであったが、自分たちも阪神・淡路大震災の時、大変な被害を被った。多くの方々のお蔭で何とか立ち直り、こうして無事公演ができている。

今度は自分たちが精一杯舞台を務めることで、被災者の方々を元気づけることが出来れば何よりも嬉しい。


そんな内容だった。


多くの企業の儀礼的なものとは異なり、時期と場所こそ異なれど、やはり同じ震災被災者なのだという実感が籠ったものであった。

又、芸事などやっている場合ではない、などといった妙な自粛とも異なる。


自分たちにできることを精一杯やる。自分の役割を全うする。そんな姿勢を感じたのであった。


この日、猫カフェで最後に出会った猫に、思いがけず、他者を労わるということの意義を改めて教えられた気がした。

そんな1日であった。