啓蟄も過ぎ、暖かい日も増えてきた。
先日夜、家に帰ろうと自転車で走っていたら、路面に何やら蠢くものがある。
急ブレーキをかけて停まってみたら、冬眠から這い出してきたガマガエルだった。
革手袋だし、これでも大昔はトノサマガエルを山ほど飼っていた誼もあって、思いがけぬ珍客をひょいと摘み上げ、傍の茂みに戻してやった。
「蛙一匹命を救った」ちょっとした満足感を覚えたが、翌朝別の場所で、ぺしゃんこの姿に立て続けに二度も遇う。哀しい気分になるも、夕べ植え込みに放り投げた蛙は、私に遭遇したのが幸運だったのだ、そう思うことにする。
とはいえ今夜は格別寒い。今回のテーマはトレンチコート。鍋同様真冬の寒さがよく似合う。
ここ数年来、何故だかトレンチコートが気に入って愛用している。ふとしたことをきっかけに、微妙な仕様違い、形態違いの面白さに目覚め、気付けば随分数が増え、クローゼットが悲鳴を上げている。
クローゼットは悲鳴上げへんやろ~
クローゼットが悲鳴上げとったら服しまうたんびにうるそ~てしゃあないがな~
「何やえらい箪笥がキャーとかヒィーとかうるさいでんな~」
「すんまへんな~クローゼットが悲鳴上げてまんねん~」
京都の話。
「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」という諺がある。
「じゃあ神戸は?」というと「神戸の履き倒れ」。更には「奈良の寝倒れ」などという言葉もあるそうだ。
「神戸の履き倒れ」は、長田(ながた)のケミカルシューズが元になってのことだろうが、元々神戸の出の割には、さほど上等の靴を沢山持っているわけでもない私は「履き倒れ」の実感はない。
「何でもかでも」と行かぬところが哀しき庶民の性だが、トレンチコートに関しては、「着倒れ」を名乗ってみても宜しいのではないか、或いはそれが極端にせよ、一種の「トレンチコート・バブル」状態ではあろう、そう考えたのである。
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トレンチコートの「トレンチ」とは塹壕(ざんごう)のことである。塹壕というのは、戦争で歩兵が敵の銃撃や砲撃から身を守るために掘られた穴や溝のことである。泥でぬかるんだ中、耐候性に優れた、この元は軍用に考案されたコートが重宝された。
エポレットといわれる肩のストラップは、戦地で倒れた仲間の身体を引っ張り上げるのにも役立ったそうだし、一部の製品の腰元のベルトに付いている「D環」といわれるリングは、何と元々は手榴弾をぶら下げるためのものだったらしい。
襟元には「チン(顎)・ストラップ」、手首部分にもベルトがつき、あちこちを締めることで防寒に役立つのである。(以上、wikipediaの記事参照)
トレンチコートというと、腰のベルトをどうするか悩まされることになる。後ろで締めたり、女性だと蝶々結びにしていたりする方を、街中でよく見かける。
私はというと、脱ぎ着に少々面倒だが、いちいち前でベルトをしている。腰の絞りのシルエットこそが、本来の特徴だと思えるからだ。
トレンチコートにも流行があり、自分の記憶では1970年代半ば~後半頃は、今よりも流行っていたように思える。
当時父親が通勤用に、茶色い長いダブルのトレンチコートを愛用していた。近寄ると煙草の匂いが染みついた、大人の男の香りがした。
フィルム・ノワールのことを知るのはずっと後のことである。
当時、テレビでみたトレンチコートの男といえば、真っ先に思い浮かぶのは、故・田宮二郎氏である。
『白い巨塔』の財前教授役以前も、専らベージュのトレンチコートを風に靡かせる姿が記憶に残る。
『大都会』や『西部警察』シリーズの渡哲也氏も、子供の頃、目に焼き付いたトレンチコート姿の男であった。
もう一人、印象的なトレンチコートの男といえば、『ルパン三世』の銭型警部である。
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初めてトレンチコートを買ったのは大分後のことである。
既に二度ほど登場した、中野の安い紳士服屋で、或る時バーバリーの輸入物が色んな種類売っていた。
その中から、記憶に残る、最も典型的なトレンチコートの姿と思えたダブルの型を選び出す。
相場よりかなり安い。後で考えると並行輸入だったのかもしれない。
毛布みたいな裏地が付いたそのコートは、見た目以上に暖かく、姿形も気に入って、随分愛用した。
その後、暫く別のタイプのコートを着ていて、バーバリーのことはいつしか忘れていた。
数年前、クローゼット奥から、クリーニング上がりのビニールを被った状態のものを発見し、久方ぶりに着てみるとやはり具合がよい。
嬉しくなって、その冬はどこへ行くにもトレンチコートになった。
駅弁大会にも着て行って、芋を洗うが如きすし詰め状態の休憩コーナーで、戦利品の駅弁を頬張っていたら、不覚にもおかずを落として襟口を汚してしまった。
そうなると俄かにかけがえのないコートに思えてくるから不思議なものだ。
「腐っても鯛」もとい“並行輸入でもバーバリー”である。
別のを着て、クリーニングに出せば良いだけのことなのだが、同じようなものが一体幾ら位で手に入るものなのか、ふとそんな考えが湧き上がった。
その時でさえ襟口を汚したコートは既に12年物だったので、別段古着でもよいわけである。
初めてオークション・サイトをのぞいてみると、意外に安く出ている。
その中から、確か江東区のリサイクル業者が出品していたバーバリーを落札してみた。
5桁にも満たぬ金額である。
「これは安い」嬉々として到着を待つが、腰のベルトがなかった。
「それで安かったのか」納得する。
「何だかアッパッパみたいだな…」と思いながらも、トレンチコートのスペアができたことを喜ぶ。
こうなると欲が出てくるもので、一丁腰ベルトが付いたものをもう一着買ってやろうじゃないか、そう思い始める。
そういえばトレンチコートというのは元々軍用のものではないか。日頃着る服の好みは、ミリタリーとは傾向が違っているが、これは言うなれば先祖返り。早速ミリタリー用品店のサイトをのぞいてみることにする。
…こうしたことを繰り返す内、随分色々増えてしまった。
以下は、それぞれの写真と簡単なコメントである。
予めお断りしておかねばならないのは、
言うまでもないことだが、全て紳士ものであること、
多くが昔新品で買ったものか、一点ものの古着であること、
もし以下の記事をお読みの方で同じものが欲しいと思われても、私自身その手立てがわからないということ、
トレンチコートと一口に言ってもこんなものがあるのですよ、と何らかの参考に資するのではないかと考え、掲載すること(当時の購入価格も覚えている範囲で記載)、
全て愛用していて手放す気はないということ、である。
サイズは全てL。
掲載順序は概ね買った順。
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バーバリー。英国製。
トレンチコートとしては最初に買ったもので、今から16年ほど前に、キクマツヤ中野店で約45,000円。相場よりかなり安く、並行輸入だろう。
その後この店で売られているのを見たことはない。(当時マフラーも売られていた。)
毛布みたいな分厚いウールのライナーが付いている。ライナー、裏地共にノバチェック。両腰ポケットはスロットになっていて、中の上着のポケットに手が届くようになっているが、慣れるまで随分不便に感じ、幾度か手袋を落としている。
大きくて分厚くて暖かい。が、ライナー付で着ると重い。
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バーバリー。英国製。
オークションでリサイクル業者から購入。7,500円位。
写真では判りづらいが、「①」よりは色が緑がかっており、いわゆる「玉虫色」。腰ベルトがなく、それで安かったのか?そう思ったら、ベルトループが元々付いていない。そういうデザインで、元々ベルト無のタイプなのか、あったはずのベルトが欠品なのか、わからず。
安く買った古着で、腰ベルトもないから…と雨でもラフに使用。
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ポーランド軍のデッドストックもの。WIPというミリタリー専門店から購入。6,800円。
楽天市場では最近売り切れてしまった模様。
コットンの裏がラバーコーティングされたマッキントッシュ生地というもので出来ており、最初はゴム臭かったが、その内慣れた。
写真では取り外しているが、フードも付いている。店舗の商品写真はもっと茶色っぽいが、ご覧の通り、オリーブ色に近い。
始祖鳥みたいな鳥が刻印された釦が格好良いが、ベルトのバックルはプラスティック製で、留め具が恐ろしく細く、大丈夫?と心配になる。
ぺらぺらで薄くて軽い割には暖かく、畳んでも嵩張らないので、座席が狭い劇場へ出かけるときなど重宝している。
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米軍用新品。L.A.BOYというミリタリー専門店で購入。当時9,000円位。
楽天市場で、前は色々なサイズがあったが、38Rという「M」相当のみが1万円で売られている模様。ネイビーもあったが売り切れてしまったようだ。
生地はアクリル×ポリエステルで、相当ゴワゴワしている。ライナーはキルティングで黒。袖口まである。
分厚くて堅牢な作り。ライナー付だと相当分厚い。ベルトはフリーストップで締めやすい。
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チェルシー。日本製。
オークションでリサイクル業者から、驚きの99円で購入。
生地はウール。裏地はポリエステルでスベスベしている。腕を通す部分の縫い目がほつれていたが、あまりの安さゆえ、文句をいう気になれず、自力で縫い合わせた。(2/7「素人裁縫」の記事参照 )
他よりタイトな作りで、真冬の着膨れ状態では少しきついが、シルエットは非常に良い。
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Christian Dior。米国製。
オークションで約5,000円で購入。偶々ライバルが少なく、このブランドとしては破格値。
表面はコットンで、裏地はポリエステル。上品な臙脂色のウールのライナーが付いており、袖口まであるため暖かい。
オレンジ色味の強いベージュ色が独特で、何だか森永製菓の「ハーバード」という昔懐かしのオレンジクリームビスケットを思い出させる。
唯一惜しむらくはベルトのバックルが革ではなくプラスティックであること。形がとても良く、特にお気に入りの一品。
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バーバリー。英国製。
オークションでリサイクル業者から購入。11,000円位。
ネイビー色のバーバリーが欲しくなり、入手したが、紺色は人気色で、ベージュのものよりも相場が高い。
形は「①」と全く同じ。裏地は紺と赤のノバチェックだが、ライナーが欠品で、真冬には向かない。
着たシルエットは、最も大門刑事っぽい。
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ダーバン。日本製。
オークションで約5,000円で購入。
持っている他の多くのトレンチコートと違い、表の生地はウール。ベージュというよりは薄茶色で、クラシックな雰囲気がある。
着脱可能なライナーはないが、総裏地で生地の素材ゆえか結構暖かい。サイズの関係か、「⑤」のチェルシーよりはゆったりとしている。
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バーバリー。日本製。
オークションで驚きの2,500円で落札。個人出品で、ネーム刺繍と僅かな汚れのため「難あり」と書かれていたせいか、誰もライバルが現れず。
バーバリーのライセンスを受け、三陽商会という日本のメーカーが作ったもの。届いてからそのことを知る。
英国製のほうが良いという人もいれば、この三陽商会製のほうが繊細な作りで良いという人もいる。日本製は一般的に人気が高く、通常の落札相場は約1万円とみる。大変幸運な落札であった。
腰のポケットはスロットになっておらず、裏地はノバチェックではない。着脱可能なライナーはなく、総裏地となっているため、春秋用には向かない。
バックルは上質の革製。釦と共に、緑色。
英国製と比べると、悪くいえばどこかもっさりとしたシルエットをしている。
値段対品質の点で、最も良い買い物だった品。これも特にお気に入り。
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セリーヌ。イタリー製。
オークションで、ブランドリサイクル店から約15,000円で購入。元は18,000円位で出ていた。
これは珍品ではないか。セリーヌの男物自体あまり見ない中、コートとなると尚更で、一体元値が幾らなのか、いつ頃のものなのか、皆目見当がつかない。
特徴的なのは、ストームフラップと呼ばれる胸の大きな当て布と、左襟に垂れ下がるチン・ストラップで、これらが一種独特の、バーバリーとは異なる雰囲気を作り出している。
表面の生地はコットン。裏地はポリエステルで、総裏地だが薄手のため、極寒期には向かない。
腰のベルトがものすごく長く、前で普通に締めても余る。後ろで締めるとなお余る。
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バーバリー。米国製。
オークションでブランドリサイクル業者から約8,000円で購入。
「まだ懲りずにバーバリーを買い足すか?」と思われそうだが、米国産を試してみたかった。
「①」の英国製に限りなく近いが、色合いはこちらのほうがベージュ味が強い。
裏地はノバチェックで、ライナー欠品。よく見ると、「①」と全く同様、ライナーを付けるためのファスナーが付いている。もしかしたら、「①」のライナーが付けられるかもしれない。今度試してみよう。
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番外編・ドイツ軍のデッドストックもののステンカラーコート。
WIPというミリタリー専門店から購入。当時2,500円。
定価は7,800円だが、現在は半額の3,900円で、この記事記載現在も楽天市場で売られている。半額でも激安だが、更に値引されたことがあり、あまりの安さに購入。
ご覧の通り、釦が表に出ておらず、厳密にはトレンチコートではない。腰のベルトは「④」の米軍用同様フリーストップ。写真では内側に隠れているが、着脱可能な青系チェックのウール製ライナーが付いている。
何故か肩部に釦だけが付いており、エポレット自体は無い。不思議である。
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いつの間にやらこんなに溜まり、贅沢な話だが、文字通りのとっかえひっかえ。一応使い分けはするものの、結構ランダムに着る。
どれにしようと迷うとき、脳裏に浮かぶのは、『タイムボカン』に『ヤッターマン』。
どちらもシリーズ後半に、テコ入れゆえかメカが増え、「今日は何が出てくるか?」毎度お楽しみがあった。
お世辞にも各種メカが均等に出動しているとは到底思えず、「ドタバッタン」や「ヤッターパンダ」ばかり出てきて、「何でいつもこいつばっかりなんだ?」訝しく思ったものであった。
トレンチコート群にも同じことがいえる。
ついつい扱いが楽で、気を遣わなくてよく、着易いものの稼働が多くなる。
とはいえ、当時から、例えプロペラ飛行がダサいと揶揄されようがメカニカルな「クワガッタン」に、目つきが怖いが姿形の美しい「ヤッターアンコウ」という、マイナー・メカが好きだった私としては、せめて自分が羽織る外套くらいは、扱い辛く、気を遣い、着にくいものこそ積極的に着るべきだという思いに、一方で取り憑かれている。
私にとって、「クワガッタン」であり「ヤッターアンコウ」である、トレンチコートは果たしてどれであろうか。
少しきつめの「チェルシー」か、長いベルトを持て余しつつも何となく着るのを勿体ぶる「セリーヌ」か。
一番最後のこの段落。
「また訳のわからん例えを出して、折角のお洒落記事を台無しにして…」
そう思われるか、「ほほう、そう来たか…」そう思われるか。
それは、ここまでお読み頂いた貴方次第なのです。