ikekatのブログ-20120219001
随分遅鈍な話だが、今年最初に観に行った映画は本作であった。


1月下旬、駅弁大会最終日、改装なったル・シネマに朝から出向くも、寝不足で開始早々睡魔に負け、気づけばティルダ・スウィントンが白い背の高い寺院の屋上で、娘の手紙を読んでいた。


2月上旬、公開終了前に、2度目の鑑賞としたのである。



ikekatのブログ-20120219003

本作は、一言でいえば不倫ものである。

イタリア人富豪に見初められ、ロシアから輿入れし、良妻賢母として、又社長夫人として家を切り盛りしてきたエンマ(演:ティルダ・スウィントン)が、息子の友人のシェフ・アントニオとの愛に目覚め、遂には屋敷を出奔する。


この手の役を日本人女優が演ると、


「誰それが脱いだ」


といったことばかりが、物語の筋とは関係なく取り上げられることだろう。


「何不自由ない暮らしをしてきた有閑マダムが、息子ほど年の離れた愛人を得て、長らく忘れていた女の悦びに目覚め、官能の世界に身を投じ、愛欲に耽る。遂には全てを捨て去って若き愛人の元へ走る…」


そんな多分に悪意と嫉妬を込めた言い回しがなされるに相違ないのである。


物語中盤、アントニオがエンマの長い髪を屋外で切るという象徴的な場面に続き、菜園で愛を交わしあう場面が結構長く続く。

暖かい陽光のもと、柔らかな風のそよぎに身を任せ、マーガレットに野イチゴと、花や果実と戯れる虫たちの生き生きとした姿と共に、愛の交歓が描かれるこの場面、人間もまた、この世に生を享けた生き物の一つなのだということを、今更ながらに感じさせられた。

プログラム中で、女性作家の方がこう書いている。

「この場面がずっと続けばいい、と幸福感に包まれながら思うのは、わたしだけではないだろう。」



ikekatのブログ-20120219002
ル・シネマ
の客層は、その大半が若年層よりはずっと上の女性である。

単に「官能の世界に身を投じ、愛欲に耽る」、あるいは、随分古い言い回しだが、主婦の「よろめき」を描いたものだと、ここでは受け入れられまい。


女性の生き方を深く考えさせ、能動的なものを感じさせるものでなければ共感は得られまい。


「エロかわいい」、「エロかっこいい」といった何やら得体のしれない言葉が流行る昨今、嘗て「エロ」という言葉から感じられた淫靡な後ろめたさはどこへやら、随分日常性を獲得したように思われるが、どうも「色っぽい」とか「フェロモン」とかといった言い回しを、この国特有の“言い換え”によって、ちょっとスタイリッシュでお洒落なイメージに変換しているに過ぎないようにも思える。


「エロ」とは「eroticism」あるいは「erotic」から来ており、確かに「性愛」やら「色情的」といった意味合いを持っているが、更に元を辿ればギリシャ神話の「Eros」という神がルーツになっている。

「Eros」は恋愛の神である。

即ち「エロス」=愛である。


本作のティルダ・スウィントンに「エロス」を感じることはあっても、「エロ」はさほど感じない。


*****


とはいえ、愛に生き、全てを捨て去る決心をしたエンマをして、抑圧された女性の解放を勝ち取った、などというのも行き過ぎのような気がする。

確かに、夫となる人から見初められ、彼の好む名に通称を改め、ロシア人としての自分を押し殺して生きてきた彼女は、随分抑圧されたものがあったであろう。

だが、アントニオとの愛は、もっと自然な、生き物としての本源的欲求に根差してのものに思えてならない。

きっかけが、アントニオの作った料理をエンマが味わったことによる(それもプリプリとしたエビの食感が見るからに口腔内を刺激していそう)というのが、実に象徴的である。


2人の関係を悟った息子・エドが自分を詰るのを釈明しようとした矢先に、目の前で事故で失い、葬儀の後、悲しみに打ちひしがれるエンマは、それでも夫・タンクレディに、アントニオへの愛を告白する。


夫は、妻に掛けてやった自らの上着を剥ぎ取り、


「お前は存在しない」


と冷たく言い放って立ち去る。


存在を否定されたエンマは、それまでの女性的な装いを脱ぎ捨て、宝飾品も全て取り払い、素っ気ないジャージ姿に身を包む。


「私はもうレッキ家の飾り人形ではないのよ」


そういう意味合いが込められているのかまではわからない。


一瞬目を離した次には、エンマの姿は跡形もなく消えていた。


だが物語はここまで。

果たしてこの後、アントニオが彼女をどう受け入れたのか、或いは受け入れなかったのか、全く描かれぬまま映画は終わる。


プログラムの解説で、上で紹介した女性作家の方はこう書いている。

「さて、エンマは果たして、アントニオと幸福な老後を送ることができるのだろうか。

それはないかもしれないな、とわたしは思う。」


アントニオとの、幸福感に満ちた愛の交歓場面が印象的だが、こう考えていくと、やはりこの映画は、女性が自らを抑圧から解き放った作品ということになるのだろうか。


*****


主演でプロデューサーも兼ねている英国人女優、ティルダ・スウィントンの名を覚えてから20年にもなる。



ikekatのブログ-20120219004

デレク・ジャーマン監督が元気だった頃、『エドワードⅡ』という映画をシネマライズ渋谷に観に行った。

ティルダ・スウィントンは英国王の若き妃の役である。

随分昔のことゆえ、細かい筋は忘れてしまったが、妃よりも青年を寵愛する若き英国王と、妃と結託して王を玉座から追い落とそうと企む貴族の、静かではあるが激しい抗争を描いた作品であった。


闇黒の中、ボーッと浮かび上がるかのような登場人物たち。

その中で、美しく装ったティルダ・スウィントンの白い顔がひときわ目立ち、印象に残る作だった。



ikekatのブログ-20120219005

次にティルダ・スウィントンを見たのは、1993年に日比谷シャンテで観た『オルランド』である。


400年の長きに及び、両性具有の青年貴族・オルランドを描いた壮大な物語。


物語の白眉は、2度目の昏睡から7日目にして目覚めたオルランドが姿見の前に立つ場面であろう。

一糸纏わぬ姿で鏡に映しだされたのは、女性に変わった自分の姿であった。

金色の光が差し込み、柔らかな囁くような女性の歌声を背景に、オルランドは淡々とこう呟く。


「前と同じ人間。何も変わらない。」そしてこちらを向き、

「性が変わっただけ。」


それまで男性だったオルランドが女性に転換したことを示すため、タイトル・ロールのティルダ・スウィントンは、フルヌードになっている。

当時、日本での公開に当たり、当初この場面が輸入禁制品に相当するとされたが、後に撤回され、完全版での公開となったそうだ。(当時のプログラムによる。)


ジャック・リヴェット監督による長編映画・『美しき諍い女』の公開において、ヌード・モデル役のエマニュエル・ベアールの扱いを巡って「ヘア論争」が起こったのが、この前年の1992年。

同じく、女優・樋口可南子さんの写真集をきっかけに、やはり「ヘア論争」が起こったのもやはり1992年。そういう時代であった。


監督はサリー・ポッターという女性監督。

この場面もまた、全く「いやらしさ」は感じられなかった。

『ミラノ、愛に生きる』同様、女性の視点に徹しているからなのであろうか。


******************************


この日は、中野に用事があるので、映画の梯子はしなかった。


そうはいっても、ル・シネマから出てきたのが13時半を回っている。

随分お腹がすいた。


とりあえず渋谷で空腹をしのぐことにする。


東急ハンズへ向かう広場の一角にある大衆中華料理屋(店名忘れる)の、「A定食」~「C定食」が頭に浮かんだが、この日は生憎の雨。


東急本店を出て、目の前に看板が目立つ「ひもの屋」へ駆け込んだ。


ikekatのブログ-20120219006

1年少しぶりである。

数年前から店が出来たことに気付いてはいたが、干物をテイクアウトする販売所だと思っていた。


確か前回は、金目を奢った気がしたが、後で考えたら鯖だった。

ひものの定番・「あじの開き」定食を選択する。

結局、またしても勘違いから、「金目定食」を食べそびれてしまった。



ikekatのブログ-20120219007

ここの定食は、付け合せに納豆が出てくる。


「元」とはいえ、関西人の自分は、そのイメージに違わぬ大の納豆嫌いである。

それが、この店の納豆だけは食べることができたのだ。


「今度こそ金目を喰うぞ!」


そう心に誓って、「ひもの屋」を後にした。


******************************


雨の中、銀座線を潜り抜け、西口バスターミナルへと向かう。

中野へはJRならすぐだが、同じ車窓風景も見飽きるので、時間があるときは路線バスに乗る。


京王バスの一番前に陣取り、ほどなく発車する。

丸井辺りまでは渋滞でまごつくが、NHK辺りから快調に進む。

井の頭通りから山手通りへ曲がり、初台が近づくと、首都高速同士の連絡道が空中にうねり、背後に高層ビルが聳える。こういう景色を見ると、今更ながらに、「東京だなぁ」と実感する。


ikekatのブログ-20120219008

中野まで丁度1時間。ちょっとした小旅行気分が味わえた。


******************************


中野駅から商店街のアーケードを抜け、「中野ブロードウェイ」へ向かう。


ここも昔から世話になっている。


「まんだらけ」、「フジヤAVIC」、「ディリー・チコ」。

少々マニアックな古本屋もあるが、こちらは結構入れ替わりが激しい。

2階の「古書うつつ」、4階の「古書ワタナベ」はよく訪ねるが、「古書ワタナベ」は開いていない時のほうが多く、幻の店の感がある。


ikekatのブログ-20120219013

近年では「まんだらけ」が、漫画のみならず、文芸書などにも手を広げ、ちょっとした古本屋顔負けである。


気が向いた時には2階の「丸子亭」という、麦とろごはんの店で食事を摂ることもある。


ikekatのブログ-20120219011

ikekatのブログ-20120219012

(後日、再び訪れた時に撮影)


この日、用があったのは、これらいずれでもなく、1階の「キクマツヤ」という紳士服店であった。


ikekatのブログ-20120219009

前回、穿いているズボンの股が裂け、自力で繕ったという記事を書いた。

素人細工ゆえ、頑丈に縫っておいたが、こうなると爆弾を抱えているようなものである。

普段着のズボンを補充すべく、この店を訪ねたのであった。

実は、前回の記事は、この中野行きの伏線なのであった。


序に隣の靴屋ものぞく。

店先に屯していると、店のおじさんが声を掛けてきて、サイズを言うと靴の山から探し出し、場合によってはお勧め品も出してくれる。

折角なので一足買う。


ikekatのブログ-20120219010

上の各店も一通り巡るが、色んなものを買いすぎて、最近では欲しいものが見つからない。


とはいえ、『君の唄が聞きたい』という昔のTVドラマのシナリオが、初回と最終回以外全て揃っているのを発見し、喜んで買って帰ったら、故・佐藤慶さんのサインが付いていた、ということがあった。

『丘の上の向日葵』のシナリオを、揃いではないが発見したのも、ここである。


結局空振りのまま、地下の「ディリー・チコ」で、ソフトクリームを久しぶりに味わう。

この店は「特大」の「8色」が名物だが、真冬だし空腹でもないので、「中」の「2色」としておいた。

色んなフレーバーがあるが、これまで食べた中で、「ミルクティー」「カスタード」、それに「ジャージー」が絶品であった。

いずれも過去のものである。この日は「キャラメル」「モカ」という色彩的にはあまり綺麗とはいえないが、味は美味い取り合わせとした。


ikekatのブログ-20120219014

通路を挟んだ隣に鶏肉専門店がある。「鶏もつ」という、玉子が出来上がっていく過程がわかる肉が量り売りされているのも今時珍しい。

子供の頃、母にせがんでこれの料理を作ってもらったが、見た目通りの半熟のまま調理というわけにはいかず、どう料理してもあまり美味いものではない。

一度、つい懐かしくなり、この店で「鶏もつ」を買って帰ったことがある。

さてどう料理してやろう?悩んだ末、ニラと一緒に味噌で煮込んでみた。

ikekatのブログ-20120219015

*****

時間に余裕があったはずなのに、気付けば日がとうに落ちている。

中野に来ると、時の経つのが早い。