家事労働つながりで、今回は素人裁縫の話。



私服の黒いズボンをこっそり仕事に着て行った。

冬用の厚手の生地で暖かいが、少々タイトな作りである。


書類の束から探し物をすべく、屈んで立ち上がった拍子に「プチッ」といやな音がした。

恐る恐る股に手をやってみると、3センチほど裂けていた。


非常用に持っているパジャマのズボンに履き替える。


真冬でロングコートを着込むとはいえ、このままではパジャマで家に帰らねばならない。

仕方ないので、私一人なのを良いことに、裂けた縫い目を繕うことにした。

既に仕事のテンションはすっかり下がっている。

何やらズボンの補修が至上課題であるかのような、勘違いした気分になっている。


こういう時のために、100円ショップの安物だが、ソーイングセットを持っている。


ikekatのブログ-ソーイングセット

適当な針を選び、黒い糸を通す。

糸が抜けるのが嫌なのと、少しでも頑丈にしたいのとで、糸を輪っかにして底で結び、糸を二重にして縫うことにした。


大昔、小学校の家庭科の授業で習った最低限のことは覚えている。

波縫い、半返し縫い、返し縫い。

堅牢さと手早く補修したいという両方の需要を考え、半返し縫いでいくことにする。


元々普通のチノパンよりは分厚い生地が、幾重にも重なっている部分である。最初の針がなかなか通らない。指ぬきを挿し、針を無理やり押し込んだ。


最初の難所を越えると、意外なほどスイスイと針が運んでゆく。コツをつかめばリズムに乗れる。

運針しながら、考え事に耽る。


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母方の大伯父には一度も会ったことはないが、母の話によると、がっしりとした巨躯の豪傑肌で、軍人ではないが、徴兵され、戦地に赴いたそうだ。多分甲種合格だったのであろう。

深酒のせいで、壮年期に食道を病み、早世してしまった。

男尊女卑が激しい時代ではあったが、戦場では、炊事、裁縫、その他諸々家事万端、自分で全てやるしかない。

概して戦地を経験した男は、意外と器用に家事をこなす。


そんな話を聞かされたことがある。


母が戦中の最後の最後に生まれた、その子供である私は、無論戦争とも兵役とも無縁の世界で生きている。

だが、自分で食べる食事の仕度や、着る服の補修など、いざという時に何も出来ないでは情けない。

仕事上の専門といったことは抜きにすると、一人の人間として、実生活で最も役立つのは、子供の頃は大して重視していなかった家庭科だったのではないか、そう思えてくる。


戦争を肯定する気など毛頭ない。不自由から来る切羽詰った需要が技量(というほどでもないが)を生み出す。その一例として大伯父の話を書いたにすぎない。


だから下手でも繕い物をする。前の回のように、素人料理を適当でも作る。


オークションで激安価格で手に入れた古着のコートが、裏地の薄いスベスベとした生地の縫い目の糸がほつれ、でれんとなっているのを自分で補修したことがある。

何せ激安だったから、出品者のリサイクル屋に文句を言っても始まらない。素人裁縫だが自分で直したほうが早い。

同系色のミシン糸を探しだし、表面に糸の結び目が出ないよう、慎重に縫い合わせた。


コットンパンツ(ズボン)の股が、夏場に、汗と自転車のサドルに擦れて薄くなり、破れたのを、当て布をして繕ってみたり、Tシャツの脇が破れたのをつなぎ合わせてみたりしたこともある。


コートはともかく、ズボンもTシャツも特別なものではない。

母に裁縫のことを話すと、「捨てて新しいものを買えばいいのに」と言われる。


おいおい、それは逆ではないのか?

若年世代がモノを使い捨てにするのを、親がたしなめるならわかる。

だが、子供がモノを面倒な補修をするのを、親が使い捨てを推奨してどうする?

内心そんな気もするが、こちらも、こんな機会でもないと裁縫などせず、いわば技量の維持のためという思いも半ばあるので、直せるものは直すのだ。


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やがて針は無事ズボンの端まで到達した。


針で糸を絡め3回くるくると巻き、指で押さえて結ぶ。

一連の動作を、体が覚えているのが不思議である。


決して家庭科が得意だったわけではない。

小学生時代の実習で、電動ミシンのスピード調整の要領がつかめず、人差し指に針を突き刺して以来、電動ミシンには恐れを抱いている。

当時、家にあった足踏み式のミシンで、速さを調節しながら、ゆったりと縫っていくほうが好みであった。

ベルトで動きが伝わってゆく様が目に見える、メカニカルさにも興味を惹かれた。


だが、時代である。

程なく、家にあった足踏み式ミシンも、鋳物の本体だけを生かして、やけに重たい電動ミシンに作り変えられた。


料理で使う刃物も、裁縫で使う針も、家庭科の授業というよりは、以前熱心だった模型工作の趣味で扱い慣れていた、といったほうが正しいのかもしれない。

模型工作と手芸は、確かに親和性があるように思える。嘘だとお思いの方は、「ユザワヤ」などを覗かれてみるとよい。



結局30分ほどで仕上がった。

ズボン一着めでたく復活。


手馴れた人なら、電動ミシンを使えば、ものの数分でできてしまうことだろう。

近頃では、ポータブルのミシンが随分安く売られている。

針刺しトラウマを振り切って、一丁ミシンでも買ってみるか。

そんな気さえする近頃である。


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ズボンの繕い物に挑んだ2日後、毎週見ている『クレヨンしんちゃん』で、父親のヒロシがズボンのお尻が破れて困った、という話を観た。


何という絶妙のタイミング。

こういうことってやっぱりあるんだなぁ…やはり男子とて、いざという時は最低限の繕い物位できないと。改めてそう実感した。