すっかり間が開いてしまったが、前々回の続き。特記以外敬称略。
『アラベスク』
第1部:1971~73 「りぼん」(集英社)連載
第2部:1974~75 「花とゆめ」(白泉社)連載
“アラベスク”とは、元来、イスラム美術の一様式を指す幾何学的文様で、唐草模様のことだが、転じて、バレエにおける一ポーズを指す。
片脚でつま先立ち、一方の足と両腕を同時にのばす バレエにおいてもっとも美しいポーズ それをアラベスクという(原作冒頭より)
作中では、『アラビアン・ナイト』の「アリババと40人の盗賊」を原案とする、ヒロイン・モルジアナとアリババの物語を描いた新作バレエが、『アラベスク』と命名され、主人公の少女の出世作となる。
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読み始めたら止まらない、耽読状態に陥った作品である。
遥か昔、東京に越してきて間もない頃、妹がバレエを習い始め、ほどなく日本橋の三越劇場へ発表会を観に行った。(昨年2月に、『わたしは誰!?』という芝居を観に行ったのが、実に数十年振りの三越劇場となった。)
胸よりは、お腹がポコッと出た幼児体型の少女たちが、頬紅に付けまつげ、青や黒のアイシャドウを塗りたくり、黄色と黒のダンダラ模様の衣装を身にまとい、ミツバチに扮して踊っている。
10歳にも満たぬ年だった私に、舞台化粧の意味などわかる由もなく、ただただその不自然さが気味悪く、お蔭ですっかりバレエ・アレルギーになってしまった。
その数年後、正確には1978年夏のこと、「普門館」という杉並区にある大ホールに、ボリショイ・バレエ団の来日公演を家族で観に行った。
演目は『白鳥の湖』である。
無理やり親の鞄にねじ込んだ鉄道雑誌を幕間に読み耽り、肝心の本編はすっかり居眠りこけていた。記憶に残っているのは、帰りのタクシーで、ふと目を覚ました時、夜の灯りが流れゆく中杉通りの車窓だけ。随分親不孝なことをした。
そんなバレエ・アレルギー少年だった私が、バレエに対して一目置くようになり、それどころか寧ろ畏敬の念さえ抱くようにまで変わったのは、全くこの『アラベスク』を読んだお蔭だといってよい。
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主人公は、ノンナ・ペトロワという16歳の少女。舞台はソ連(当時)。
バレエ教室を営む母は姉娘の方に目をかけており、ノンナは166cmという長身にも、自らの所作にも、コンプレックスを抱いている。(昔は、上背のある女性はバレリーナになれないというのが通説でした)
ところが、若手実力派の男性舞踏手、ユーリ・ミロノフが、その可能性を見出したのはノンナの方で、かくしてノンナはレニングラード・バレエ学校に編入する。
ライバルや天才少女に蹴落とされ、挫けそうになるが、ユーリを信じ、ユーリに導かれ、ノンナは上達を続けてゆく。
第1部のクライマックスは、パリ・オペラ座の客演に招かれたユーリとノンナが、マチューとロベールという実力派ペアと出会い、互いを高め合うが、マチューが白血病のために志半ばで倒れ、亡くなってしまう場面であろう。
マチューを見舞ったノンナは、マチューからバレエへの想いを託され、暫く後、彼女の危篤の報に動揺しつつも、舞台に穴をあけじと懸命に舞う。
悲しみを乗り越え、更なる発展を期待させるところで、第1部は幕を閉じる。
その後の山岸凉子独特の、簡素でありながら、繊細で、何ともいえぬ色気のある描線とは異なり、随分レトロな雰囲気の、目が大きく、やけに鼻筋の目立つ子鹿みたいなキャラクター造形に思えてならないが、挫けそうになりながらも、バレエへの情熱と、ユーリへの信頼(と愛)を揺るがすことなく、上達を続けるノンナの姿は、大変な勢いを感じさせ、まさに今年の干支・龍の如し。
読んでいて実に気持ち良い。
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暫くの時を経て始まった第2部は、絵柄も大きく変わり、山岸凉子調が愈々強まってくる。ノンナについても、技術的よりは、内面的葛藤や成長に、話の重点が移っているのが感じとれる。
ヴェータという、ノンナ同様、ユーリがスカウトして連れてきた転入生のエピソードで幕を開ける。
ユーリから、ノンナを超えることを至上課題に命じられたといい、ノンナに敵愾心をむきだしにするヴェータ。
国元で独学でバレエを学んできたというヴェータは、ユーリからチャンスを与えられる度に、ノンナを始め、教室で踊りの達者な生徒、果てはノンナの親友・アーシャに及ぶまで、ことごとく彼女たちの踊りを一度見ただけでそっくりに舞って見せ、次々に代役をこなしてゆく。
ノンナは、そんなヴェータに脅威と反感を抱く一方、ユーリへの不信を募らせ、精神的重圧からか、脚が動かなくなってしまう。
バレエ学校の最上級・8年生になっていたが、勧められていた新設カリキュラムの9年生に進むことを余儀なくされる。
9年生に進まず、8年生で卒業の道を選んだ同級生たちの卒業公演を、車椅子のまま見やるノンナ。
そこでノンナが目にしたのは、脚が動きさえしていれば、自分が踊るつもりだった演目(『せむしの仔馬』)を、攫うようにしてヴェータが舞うという事実であった。
いたたまれず、ノンナは会場を後にする。
だが、そのヴェータの踊りに、ユーリは嘆息する。
「これが私がノンナの信頼を失ってまでして得たものの結果なのです」
ヴェータは、独学のバレエゆえか、芸達者な他のダンサーの模倣には長けていても、オリジナリティーが表現できなくなっていた。
いつしか急な代役にのみ重宝される「便利屋」となっていたのである。
ヴェータは、ノンナのライバルという表舞台から去ってゆく。
ユーリの親友にして宿命のライバルのエーディクは、ドゥミ・キャラクテールという物珍しさでしか評価されないソビエトの閉鎖的な状況に限界を感じ、ベルギーへの亡命を決意。行き詰まるノンナを誘う。
同行しようとしたノンナだが、土壇場で、ユーリへの想いを捨てきれず、発作的に車椅子から立ち上がり、ユーリに追いすがる。
エーディクは、自らのノンナへの想いを封じ込め、ノンナの脚を治すための一世一代の大芝居を打ったのだと強がって見せ、単身亡命を果たす。
ノンナは、たとえユーリが振り向いてくれなくとも、彼への想いを胸に、バレエに精進することを決意する。
エーディクの亡命騒ぎで、ボリショイ出身の新しい副校長ザカレフスキーが、監視役を兼ねて着任する。
ザカレフスキーは、ノンナを、キャラクターダンサー向けと決めつけ、プリマができると主張するユーリと激しく対立する。
売り言葉に買い言葉で、ユーリは、ノンナに、コンクールの最終演目として、オーソドックスだが派手さに欠ける『ラ・シルフィード』を踊らせることになる。
一方、ドイツからカリンという女性バレエ・ピアニストが学校に入る。
カリンは、ノンナに事あるごとに絡み、自らの愛した夭折のバレリーナ・ローゼと比べ、ノンナの踊りには情緒性がないと否定する。
カリンは、ノンナの清浄無垢さが鼻につき、時にノンナに妖しく迫り、ユーリに自ら気持ちをぶつけ、肉体関係を持てと唆す。
一度は思いつめて、ユーリに身を投げ出す覚悟をしたノンナだが、バレエへの求道者として厳しくあり続けるユーリの姿に己を恥じ、カリンの言に惑わされることなく、ある種の悟りの境地に至る。
コンクールで『ラ・シルフィード』を舞う時が来る。
カリンのピアノの伴奏と共に踊るノンナだが、その時、突如としてピアノの音が止る。
カリンがピアノを弾く手を止めてしまったのである。
動揺する審査員たちをよそに、無音と化した会場で、ノンナは一人踊り続ける。
この場面が、『アラベスク』第2部の白眉だと、私は思っている。
読書や、漫画を読むという行為は、本来私的なもので、活字や絵を追いながら、無音状態から物語上の様々な音を想像しつつ行うものだと思う。
いわば無音から、音を想像で作り出す作業である。
ところが、この場面は、読み手に対し、より高密度な緊張した無音状態の想像を強いる。
元々無音に近い読み手の環境から、異なる次元の無音状態を想像させるのである。
禅問答じみた言い草だが、さしづめ「無音からの無音」とでも言おうか。
ノンナの踊りを目にするユーリの独白を引用する。
「この目ではじめて見る 霊感というものを……
彼女はいま踊るということに自分のすべてを捧げているのだ
音楽も観客もそして自分さえ
これらすべてを滅却してはじめて到達しうる踊り
私がどうしても教えることができなかったもの
いや教えるということがどだい不可能なこの芸術の世界を彼女はいまつかんだのだ
この沈黙の舞台で彼女は 本来の姿を見いだした……
蒼ざめて透明な 真のロマンチック・バレエを!」
ピアノ伴奏を欠いたノンナの踊りに、審査員たちは、その扱いを巡り意見が割れるが、それまでノンナに対し否定的だと思われた副校長・ザカレフスキー氏の熱い言葉も、長くなるが続けて引用する。
「まってください みなさん!
わたしは自分がレニングラードの人間だからこういうわけではありません
あの時 ノンナが踊りつづけた時 我々は一種の感動をカンジたはずです
音楽というものが必ずしも楽器で奏されるものでしょうか
そうじゃありません
聞こうと思うならば 我々をとりまく生命あるすべてのものから音楽を聞きとることはできるのです
しかしそれができるバレリーナというのは数少ない
いや少ないどころか皆無にひとしい
ノンナ・ペトロワが自分の心に流れる曲を聞いて踊りつづけたということは
これはひとつの奇跡なのだとすら 私には思えるのです
この奇跡のまえでは規則や前例なぞ何の価値もないのです」
バレリーナとしてのノンナの技術的成長は、ここで頂点を極めたといってもよいだろう。
ノンナは特別賞グランプリを受賞する。
この後カリンはノンナと対峙し、ローゼを巡る自らの激しい愛と死の遍歴をぶちまける。
激しさが嵩じ、カリンはノンナに銃口を向ける。
ノンナの身を案じ、駆けつけたユーリが身代わりになって撃たれる。
辛うじて一命をとりとめたユーリは、ノンナの“無音の舞い”という、漸く彼女が到達し得た境地に感慨を漏らす。
彼は、ノンナが成長しきらぬうちに、自分という相手と巡り会ってしまったことが、寧ろ彼女の成長を止めてしまうのではないか、と危惧を抱いていたのである。
退院したらノンナにプロポーズするというユーリ。
「彼女があのシルフィードを踊るまで待つのは長かった……
本当に私の手を離れて一人のプリマとして歩き出してくれるのを待つのはね……
そして その時はじめて私は ノンナの師としての役を終えて
一人の男としてノンナに接することができるんだと自分に言いきかせてきたんだ」
ノンナの無事に安堵して寝息を立てるユーリの傍に寄りそうノンナ。
近い将来訪れるであろう二人の幸せを確信させつつ、物語は静かに幕を下ろす。
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『アラベスク』は、第1部連載開始から、既に40年以上の時が経った。
バレエを扱った漫画作品は、この後、幾つも出たし、山岸凉子自身の手による長編作・『舞姫 テレプシコーラ』も近年登場している。
だが、『アラベスク』の、特に第1部の上り調子の勢いは、瞠目すべきものがある。
『アラベスク』以前、バレエ漫画といえば、ヒロインの少女が意地悪なライバルから、トゥ・シューズに画鋲を入れられ、あいたたた…といった話ばかりだったそうだ。
そういう中にあって登場した本格バレエ漫画のダイナミズムは、今なお古さを感じさせない。
バレエに少しでも興味のある方は勿論のこと、そうでない方にも、是非読んでみてほしい名作である。

