明日は朝から新幹線の乗客となり、早起きせねばならない。
一方、録画してある『華の嵐』は、今日の回はきっと、
天童と柳子が一瞬心を通わせる屈指の名場面の筈なのである。
「…夢の中で、あなたはマリアだった。」
「ホホホ…今日の貴方は素直でいらっしゃる。」
こちらも是非旅の前に見ておきたい。
前後の時間を挟まれる中、この文章を作るのは、随分スリリングな状況下ではあるが、こういう切羽詰まった時こそ、楽しい文章が生まれるのだ。
そう信じて今宵も書き綴る。
…昨日書き記した、かき氷屋の梯子、実は最初からうまく事が運んだわけではない。
9月19日のことである。
その時、熱心に見ていた『山河燃ゆ』の続きをもっと見たい、という欲求を後ろ髪を引かれる思いで断ち切り、西荻窪へと向かったが、私の認識が甘かった。
祝日でも月曜は月曜。「甘いっ子」は休み。
場所だけ確認できたんだし…と自分に言い訳しつつ、退散。
何やら、これも休みの古本屋が気になるなぁ、と横目で見つつ
(これが「盛林堂」なのですが)
折角西荻へ来たのだから、タダでは帰れぬ、とばかり
「ぼぼり」の、ヘルシーではあるが、些かさっぱりしすぎた味のジェラートに少し人心地がつき、根津へ向かう。
すると、「芋甚」も休み。
折角ここまで来たのに、成果は、さっき衝動買いした、
食べ頃が迫った黒いアボカド3個のみというのも我ながら情けなく、
「どこか近くで甘味処は?」と懸命に考えを巡らせる。
言問通りをまっすぐ行って、浅草「梅むら」の「豆かん」に行こうか、
門仲「いり江」の「クリームコーヒー寒天」にしようか、
両国「いがらし屋」で「田舎パフェ」はどうだ…。
その時、ふと、「近江屋洋菓子店」で「サバラン」が食べたい、という衝動が脳天を突き抜けた。
新御茶ノ水まで戻り、JRとは逆側で降り、お店へと向かう。
この店も、随分前から来ている。
神保町の古本屋巡りの後、秋葉原の石丸でCDを探しに向かう途中に休憩がてらよく立ち寄ったものだ。
天井が高い、濃紺のイメージのあるレトロな店内に入ると
向かって右側にケーキのショーケース。左側にはアイスボックス。
入り口脇の窓際には、平日昼だけパンが色々と並び、これを目当てに近場のOLやサラリーマンどもがわんさか押しかける。(実に羨ましい)
奥にはセルフ喫茶コーナー。
ここの喫茶は、一種独特のスタイルで、525円払ってスチロール製のカップを買うと、ドリンクバーの、ミキサーで作られた自家製ジュース数種類、ミルク、ホットコーヒー、ホットココアに紅茶など何でも飲み放題。
お好みで、お店で売られているケーキなどを買って食べるというものだ。
薄緑色のトレーが何だか給食みたいで懐かしい。
いつも店内を見回して思うのだが、ここのアイスクリームはあまり売れていない。
しかし、皆様!そんな周囲の様子に惑わされてはならない。
ここのアイスは絶品なんですぞ。
今時、老舗の洋菓子店で、自家製アイスクリームをこれだけ売っている店はそうはない。
私にとって、この店のアイスクリームは欠かせぬ逸品なのである。
特にお気に入りの、ラムレーズンが載った「バニラ」と、ロールケーキ風にしつらえたアイスケーキ(そういえば昔「コトブキ」に「アイスクーヘン」という素晴らしいアイスケーキがありましたっけ…)を一切れ。
忘れずに「サバラン」。それに、これも定番の「ショートケーキ」
調子に乗って「アップルパイ」も注文する。
応対してくれたのは、珍しく、制服姿ではない年季の入った女性。
「…大丈夫ですか?」(翻訳:「あなた、これ全部召し上がるの?」)
「ええ、昼食は抜いてきましたから。」ニッコリ微笑み返しておいた。
実はこのお店のアイスクリームには唯一困ったことがある。
アイスボックスの性能が良すぎて、カチカチに凍りつき、
提供される柔なプラスティック・スプーンでは、到底歯が立たぬのである。
初めてこの事実に直面した時、私は途方に暮れた。
両掌で温める、ハンカチで覆ってみる、蓋を開け息を吹きかけてみる、果ては舌でべろんと舐めてやろうかとさえ思ったが、流石にお下劣なので止めておいた。
ところで、15年ほど前から、ドリンクバーに「ボルシチ」が加わった。
こいつがまたとんでもなく熱い。
黒い大きな保温器に守られ、蓋を開ければモワ~ッと湯気が立ち込める。
大昔、幼稚園で、無理矢理温蔵庫にアルミの弁当箱を入れられ、いざ食べようとすると熱すぎて手に持つことすらできない、あの「お預け」を喰らった無念さに似ている。
…要するに、それだけ熱い、ということだ。
脇には、縁日で「豚汁」などを盛り付けてくれる、
白いふにゃふにゃのスチロール容器が山積されている。
これがまた、実に心許ない容器である。
異様に柄の長い柄杓をかき混ぜ、底から具を掬うと、
ちゃあんと肉も僅かながら入っている。
(金魚すくいで、黒い出目金を掬い上げた気分!)
ついつい欲張って具沢山に盛り、
汁が指にかかると大火傷を負いかねない。
考えた末、容器を二重にして持ってくるという「技」を考え付いた。
…ふとその時、青天の霹靂の如く閃いたことがある。
「そうだ!このボルシチの熱で、カチンコチンのアイスクリームが溶かせないか?」
柔なスプーンの侵入を頑なに拒むカチカチに凍りついたアイスクリームは春の雪解けの如く溶解し、
熱すぎて、食べると即火傷のボルシチは、心地よい「暖かさ」にまで冷める。
互いの熱と冷気が相互に作用しあい、共に「食べごろ」になってくれる。
こういうのをまさしく「一石二鳥」というのである。
かくして、私がこの店の喫茶コーナーに来た時は、
アイスクリームの蓋をした状態のカップの上に、白いスチロール容器のボルシチがオブジェのように鎮座まします光景が見られるようになった。
偶にアイスの冷気が勝り、ボルシチが冷め切ってしまうことがある。
ほぼ常温と化したボルシチなら、猫舌の私でも普通に頂ける。
勇敢に闘って斃れた一兵卒か、殉職した刑事を悼む気分である。
すかさず、空になった容器に、第二陣のボルシチを盛り、
再びアイスの冷気と戦って頂く。
幸いにというか何というか、この奇妙な光景に対し、
「何をしているんですか?」と尋ねられたことは一度もない。
一見奇妙な「儀式」の背後に、これほどの意味があろうとは
一体誰が想像し得たであろうか。
「アイスクリーム、ボルシチ載せ」について公開するのは、この場が初めてである。
しかし、これだけ長きに亘ってこのお店を訪ねているにも拘らず、
一度も似たことをされている御仁に出逢ったことがない。
不思議だ、実に不思議だ。皆さんあの固いアイスをどうやって召し上がっているのだろう?
その時、私は思い出した。
「…そうだ、この店でアイスはあまり売れていないんだった。」
祝日の昼下り。小一時間の時を過ごし、この店を後にした。
中途半端な時間にケーキを随分食べ、すっかり腹がくちくなった。
この日の晩ご飯は、ずっと提げて帰った、皮も黒ければ、中も少し黒ずみかけたアボカド3個のみとした。
流石、八百屋の親父。痛みかけを良く知っていなさる。その眼力には脱帽だ。